第2話 弟子入り拒否

 桜舞う校内を初々しい表情を浮かべた少年少女たちが練り歩く。張り出された案内に従い彼らは一つの流れを作り出した。校舎の二階から渡り廊下を進み、彼ら新入生は体育館へと誘導される。入学式を終え、この春原学園は始業式を迎えようとしていた。


「今年も、男女比は相変わらずか」


 そう言って三階の窓から校門辺りの様子を伺う、おそらく在校生であろう青年が呟いた。短く切られた前髪はくせ毛に曲がる。寝ぐせの様に乱雑な頭髪は毎朝のブラッシングに打ち勝った天然の癖なのである。


 窓枠にもたれるようにし、外を眺める青年の名前は千宮直樹。この学園の騎士科に所属する三年生である。


「それもそうだろう」


 彼がその視線を室内に戻すと、彼同様、制服に身を包んだ少女の姿があった。


「年々騎士科の女性人気は高まる一方だ。最も、その理由は様々だがな」


 吐き捨てるように言い放つ少女の名前は紅葉秋。長く伸びる髪を後ろで括った彼女はその尻尾のような髪を揺らしながら大げさに嘆いて見せた。


「カッコいい私だけの騎士様を探すためにやってきて、お姫様気分で三年間を過ごす。何とも騎士科の本分にそぐわないとは思わないか?」


「そうだな」


 同意を求められ直樹は頷く。それに満足した秋は教室というには少し狭い部屋の中央に置かれた長テーブルの上に腰掛けた。制服の短いスカートから健康的な足が覗く。それから目を逸らすようにして彼女の前を通りすぎる。


「はしたないぞ」


「おや、学園最強と名高い君が私程度の魅力に参ってしまったのかな?」


 ふふんと、鼻を鳴らし秋はどこか勝ち誇った顔をする。けれど、そんな秋の挑発的な表情を一瞥することなく直樹は部屋から出て行ってしまう。


「あ、ちょっと」


 そんな彼を追うように彼女もまた部屋を後にする。二人がでてきた扉の上には『聖騎士会室』と書かれたプレートが設置されていた。


「置いていくことはないだろう」


「時間だったからな」


 追いついて来た秋にそう言うと、二人は並んで歩く。二人の間に空けられた距離が彼らの微妙な関係性を現していた。


 彼らはこの学園に設置された聖騎士会に所属している。聖騎士会とは、学園の、主に騎士科の運営をスムーズにすべく、生徒の中から選抜された者達によって構成される組織である。主な目的はイベントの補佐であるが、その権限は教員のそれと同等に与えられており、施設の使用や行事の企画立案なども一任されている。


「始業式の会長挨拶だっけ。ちゃんと考えてきているんだろうね?」


「当然だ」


 そんな聖騎士会の中で彼は会長という役職を持っていた。騎士科からの選抜は主に騎士としての実力、つまり戦闘能力によって決められる。彼に与えられた会長という役職はつまるところこの学園最強を表しているのだった。


 学生たちが体育館に移動し終えたであろう頃、二人は人の居ない渡り廊下を進み、体育館へと辿り着いた。中に入ると、所狭しと並べられたパイプ椅子に座る生徒の背中が見えた。皆が一様に制服に身を包むので、赤と白の垂れ幕の様に縁起の良い光景が広がっている。


 二人はそんな紅白を避け、体育館の脇を通り前方に用意された役員用の席に腰を掛ける。隣に座る教員たちに頭を下げていると、体育館のスピーカーからノイズが鳴り出し、司会進行を行う教員の声が室内に響き始めた。


「ただいまより、春原学園一学期の始業式を始めます」


 そうして学園長の話が始まる。


 この学園は普通科と騎士科の二つの学科が存在する。普通科では他の高校と変わらない教育が受けられる。学園の人気もあって偏差値は高いが、私立高校であるが故に学費が高く、普通科の生徒の大半が金持ちであった。


 一方の騎士科は国策として設立された騎士団の団員育成のため学科であり、独自のカリキュラムによって騎士の育成を行っている。


 そんな二つの学科が一堂に集まるのだから学園長の話も当たり障りのない内容になってしまい、騎士科に所属する二人にとっては退屈な時間であった。


「続いて、騎士科生徒代表、千宮直樹くんからの挨拶です」


 司会の言葉に直樹は立ち上がる。すると新入生の方がざわつき始めた。あれがこの学園の最強。それは新入生たちの興味を引くには十分すぎる肩書であった。


 そうしたざわめきを背に直樹は壇上に登る。中央のマイクの前に立ち全校生徒の方に向き直る。皆が学園最強の姿を認めた時、どこからかガタリとパイプ椅子のなる音が聞こえてきた。


 直樹がその方向へ目を向けると、そこには一人立ち上がりこちらを見つめる新入生の少女の姿があった。その少女は驚きと歓喜が入り混じったような表情で彼を見つめていた。けれど、その大きな瞳に射抜かれた彼は怪訝そうに眉をひそめる。


「席に着いて下さい」


 司会者の注意により少女は我に返ったのかしきりに頭を下げながら着席するのだった。


 なんだったのだろうかと思いつつ、直樹は一つ咳払いをしてから挨拶を始めた。


「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。ここには普通科の生徒もいますが、私は騎士科の代表として挨拶をさせて頂きます」


 落ち着いた声が響くと新入生たちのざわめきも鳴りを潜めた。


「皆さんは本日より騎士になるために一層鍛錬していくこととなります。その中で騎士に必要なものは何か、という疑問を抱くことでしょう。騎士道には騎士の十戒というものがあります。それは勇気であったり、忠誠であったり、信念であったり。それらは騎士に求められる行動の規範となるものであり、それらは騎士の持つべき思想を表しています」


 幾人かの教員が直樹の言葉に頷く。騎士とはかくあるべきであるという思想は現代に不似合いな固定観念かもしれない。しかし、そこに示された規範はこの現代においても確かに求められている騎士像であり、この学園が育成していく健全な精神の指針であった。


「けれど、その中に一つ例外が存在します。それは戦闘能力、騎士は何よりも強くあるべきだと騎士道は定めています」


 その言葉に頷いていた教員たちは途端に眉をひそめ始めた。


「勇気、忠誠、信念。確かに大事な思想であり、それを抱くことが騎士としての規範となるだろう。だが、何かを成すためには、何かを貫き通すためには、何者にも屈しない力が必ず求められるだろう」


 余所行きの口調が崩れていく直樹を秋はどこか冷ややかな目で眺める。


「その時のために必要な力を身に付けろ。以上、聖騎士会会長、千宮直樹」


 淡々と締めると、彼は壇上から降りた。静まるその空間では呆気にとられる新入生の姿が見られた。それを横目に彼は席に戻った。隣に座る秋に小突かれながらも、この日の聖騎士会としての仕事を彼は終えたのだった。


 始業式が終わり、生徒たちが自身の教室へ帰っていくのを教員と共に二人は見送る。それもそのはずで、彼らには自身の所属するクラスというものが存在しない。教員と同等の権限を持つ彼らはこの学園では聖騎士会としての業務をこなすことで授業への出席が免除されているのだ。


「また君はああいうことを言う」


 人の居なくなった体育館で教員が一人、彼に苦言を呈した。


「いいかい。確かに騎士は強くなければいけない。けど、それは後から付いて来るものだ。何も初めから強くなることを目的にしなくてもいいんだ」


「お言葉ですが、それでは俺の立場がないでしょう。俺はこの学園で最も戦闘能力に秀でているが故に騎士科の代表としてあの場に立ったのですから」


 直樹が反論すると教員は苦い顔をする。


「確かにそうなんだけど……」


「いえ、先生がおっしゃることも理解しています。力を持ったとして、騎士道精神が根付いていない者では道を外れるかもしれませんから」


「そ、そうか」


「けれど、俺のスタンスは変わりませんから」


 そう言い残し直樹は踵を返す。彼が出口の方へと歩き出すと、壁際で腕組みをしていた秋が顔を上げた。


「終わったか」


 教員から解放された直樹の姿を見止めると彼女は歩み寄ってくる。隣に並ぶ彼女の方を直樹は一瞥もせず歩みを進める。


「ようやく会長解任かな?」


「馬鹿言え。単なる小言だ」


「まあ、あんなことを言えば当然じゃないかな。騎士に求められるのは強さだとか、さすが学園最強の会長様は言うことが違う」


 彼女はからかう口調でそう言う。そんな彼女に直樹はため息を一つ漏らす。


「お前も同じようなものだろう」


「いやいや、私なんかが会長様と同じだなんておこがましい」


 彼女は組んでいた腕を解き、やれやれと言った様子で首を振る。


「それに、会長様曰く私は“弱い”みたいだからね」


「……それについては謝っただろう」


「私は根に持つタイプだからな」


 彼女はそう言いながらも、あまり真面目に彼を責めている様子はなかった。そんな彼女もまた役職を持っているが故にこの場にいる。


 学園最強の隣を歩く彼女は学園次席の実力者である。聖騎士会の会長を決める一戦、一対一の決闘で彼に敗れた彼女は聖騎士会の中で副会長の座を与えられた。その時、彼が彼女に言い放った言葉が『弱いな』だったのである。


「あの時は頭に来たが、理由を聞けばなんてことはない」


 秋は愉快気に笑みを浮かべながらに語る。その憎たらしい程に勝ち誇った表情に直樹は嘆息を漏らした。


「誰にも言ってないだろうな」


「もちろん言わないさ。それに、言っても誰も信じないだろうからね」


 彼女が直樹との距離を詰めようと一歩近寄ると、それに合わせて彼は一歩遠ざかる。何度かそれを繰り返し、彼女は彼の顔をニヤリと口元に笑みを浮かべ見つめた。


「まさか学園最強の騎士様が女性恐怖症だとはね」


 学園最強の戦闘能力を有する彼であったが、唯一の弱点がその女性に対する恐怖心であった。最も、ただ戦うのであれば恐怖も何もない。彼は女性の女性らしさに恐怖を覚えているのである。


「過度に近づくな」


「大げさだなぁ」


 ふわりと香るシャンプーや石鹸の匂いでさえ苦手意識を抱くのだから、彼が彼女の接近に応じて後退するのも無理のないことである。


「女の子に寄られたくないから遠ざける意を込めて『弱いな』だって?」


「だから悪かったといってるだろう」


 近寄り難い雰囲気を出せば彼の危惧する女子の接近は避けられるだろうと考えていた直樹であったが、負けん気の強い秋には逆効果だったようで『弱いな』と言われたことを根に持ち、何度も突っかかってくるのだから彼もその理由を打ち明けざるを得なかったのだ。


 そうして二人が体育館から出て渡り廊下に差し掛かると、既にホームルームが始まっている時間であるにもかかわらず一人の女子生徒がそこに立っていた。


 二人はそれを不思議に思いつつも廊下を渡ろうとすると、少女は二人の前に立ちふさがった。それに立ち止まると直樹は少女に視線を向ける。その顔には見覚えがあった。短めの髪をふわりと浮かせ、輝きを含んだ大きな瞳が彼を捉えて放さない。


「あ、あの!」


 意を決したように口を開いた少女の声は存外大きかったようで、直樹だけでなく彼女自身もいくらか驚いた様子を見せた。


「会長さんですよね」


「そうだが……君は?」


「あ、ええと、私は騎士科一年の伊吹冬華っていいます」


 冬華は頭を下げる。


「新入生がなんのようだ」


 彼女が新入生であると分かると、直樹は少し語気を強め威圧するように問いかける。それは新入生に近寄り難いと印象付けるためであったが、頭を上げた彼女の表情を見るにあまり効果はなかったようだ。


「会長さんにお願いがあるんです」


 冬華はその言葉と共に一歩、直樹に近づく。適度な距離を取り対応していた彼はこちらに踏み出してきた彼女に少し焦る。


「おやおや」


 そんな彼の様子を秋は口元に手を当て愉快気に眺める。冬華は直樹との距離をどんどん詰めていき、最後には十数センチの辺りまで迫った。


「私を……」


「……」


 身長差を表すように冬華は直樹の目を見上げるように見つめた。


「私を、弟子にしてください!」


「断る!」


 直樹が間髪を入れずに断ると冬華は驚いた表情を浮かべ、秋は堪え切れずに笑い始めた。


「ど、どうしてですか⁉」


「どうしてもなにもない。俺は弟子を取ってはいない」


「あ、じゃあ、私が一人目ですね。一番弟子に恥じないように頑張ります!」


「なぜ取られた前提で話す。俺は弟子は取らないと言っているだろう」


「大丈夫です。二番弟子でも不貞腐れたりしません!」


「話が通じないのか!」


「お願いします、私本気なんです!」


 すがるように迫ってくる冬華に直樹は後退しながら拒絶し続ける。けれど、一向に折れる気配を見せない冬華と事情を知っているが故に腹を抱えている秋の姿に直樹はとうとう耐えきれなくなり、渡り廊下の手すりを飛び越え中庭へと飛び降りた。


「ええっ⁉」


「あっはっは」


 予想外の出来事に驚愕を顔に浮かべながら冬華は逃走する直樹を目で追った。自分も飛び降りるべきかと思案しつつ、渡り廊下から見下ろした地面が思ったよりも遠くに見え、手すりに乗り上げた体を戻すのだった。


「断られてしまいました……」


「残念だったね」


 肩を落とす冬華に秋が声をかける。


「貴方は?」


「私は紅葉秋。聖騎士会の副会長だよ」


「あっ、そうですよね。会長さんと一緒にいるんですから聖騎士会の人ですよね」


 冬華は一人納得するように何度か頷いて見せた。


「あの、会長さんはどうして弟子にしてくれなかったんでしょうか」


「んー、どういうべきかな。君が悪い訳じゃないとも言えるし、君が悪いとも言えるし」


「やっぱり、私が一番弟子に値しないからでしょうか」


「そこは論点じゃないかな。一つだけ言えることは、君に非はないってことかな」


 その言葉に冬華は首を傾げる。


「私が悪いのに、非はないんですか?」


「そうだね」


「難しいですぅ」


 再び肩を落とす冬華を励ますように秋は彼女の肩を叩く。


「押して駄目なら押し付けろというだろう。君のその体で当たっていけば、いつか折れてくれるさ」


 直樹の慌てふためく様を想像しているのか、秋は愉快気に口元を緩めながら冬華に助言する。


「そうですよね! 私、また会長さんにお願いしてみます!」


 秋のどこか可笑しな助言を冬華は一切の疑問を抱かず受け取る。落ち込んだり元気になったりと忙しい彼女の様子を秋は楽しそうに眺める。


「ところで、私には弟子入り頼まないの?」


「はい!」


「あ、そうなんだ……」


 元気よく答える冬華の無垢な笑みに秋は何とも言えない気分になるのだった。

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