2



「こんな処で会うとは、偶然だな」



 男はそう言った。巨大な体躯を覆い隠すように纏う黒のコート。その黒の中から窺える冷徹な瞳。異質。異常。一目で解る変質者。あからさま。記号塗れのその男は俺に向かってそう言った。


「……誰だ、お前は」


「警戒しなくともよい――とは言えないな。君のその反応は正しい。初めまして。私の名は偶象然盛という」


「グウショウツレモリ……?」


「ああ、『偶像』の偶に動物の『象』に『徒然』の『然』に『盛る』で偶象然盛だ。無理な当て字のようなものだ。そこまで気にしなくてもよい。これは、私に充てられたただの記号なのだからな」


「『偶然』……っ⁉」


 偶然の男。


 俺は知っている。かつて必然の異名を持つ人間がいたことを。その人は世界滅亡を企てた張本人だった。つまり、今俺の目の前にいる男も、その事件に関わっていた可能性が高い。


「必木然子はもういない」


 偶象はその名を、まるで俺が知っていて当然かのように告げる。


「必木然子はもうこの世にいない。奴は死んだ。私が授かった能力はそういったものが分かる能力だった。この世の何処にも奴の反応はない。つまり、もう奴は死んでいるということだ。そう、お前が殺した」


「……それがどうした」


「お前は奴を救いたかったのだろう? 奴だけを救いたかったのだろう? しかし、お前は世界を救うばかりで彼女は救わなかった。一を拾うつもりが百を掬った。その結果何よりも大切な一を取りこぼした。気分はどうだ? ええ?」


「……お陰様で。複雑な気分だよ」


「それでも、良かったと?」


「あの時、あの役目ができたのは俺だけだ。その結果、ああなったのは俺の力不足なのかもしれない。でも、確かにあの時必木先輩に手を伸ばせたのは俺だけだ」


 そう。俺だけだったんだ。だから、手を伸ばした。


 精一杯、全力で。


 それでも、届かなかった。


「……ふむ、そうか。お前はそう思っているのか。なら私からはこれ以上言うまい」


「で、その必木先輩の知り合いが俺に何の用だ?」


「用などない。最初に言っただろう。こんな処で会うとは偶然だ、と」


 嘘だ。絶対に何かある。あの必木先輩の知り合いが、ましてや対の名を騙る者が、ただの偶然で済ませる筈がない。


 こんなに仕組まれた偶然があってたまるか――


「いいから要件を言え」


「……まあ、ここで会ったのも縁だ。ここで話せということなのだろう。必木然子はしくじった。奴は詰めの甘い人間だった。だから、今度は私の手で、終わらせる」


「……っ!」


 偶象のその発言に、背筋が凍った。必木先輩がしくじったこと、それは間違いなく世界滅亡の予言だ。つまり、こいつはそれを繰り返そうとしている――?


「何をするつもりだ」


「それは明日分かることだ。ここで話しても興が削がれるだけだろう」


 偶象はそれだけを言って、俺に背を向けた。


「ま、待て!」


 偶象に向かって手を伸ばす。しかし、偶象には届かなかった。視界が歪む。ぐにゃりと弛んで天地がひっくり返る。俺は、まともに立つことすらできず、地面に倒れた。


「がっ……?」


 体に力が入らない。まるで全身の神経を全て抜かれたかのように、俺の体は何も伝えなくなっていた。


 視界の中から偶象が立ち去っていく。しかし、俺は奴を追いかけることもできな

ければ、言葉を投げかけることも不可能だった。


 暫くするとその神経麻痺は解けていった。しかし、抜けるとはいえそれは歩けるようになるほどまでが限界で、まともに思考することもできなかった。俺は体を引き摺るように寮に戻った。ミコトが心配そうに何か問いかけるがその言葉が分からない。仕方なく無視して俺はベッドに倒れるように横になった。







「……」


 目が覚めた。体を起こす。


「あっ、起きたね。もう、心配したんだよ? 帰ってきたと思ったらフラフラなんだから」


 ミコトがむっとした顔をしながら俺にそう言った。そういえば、何も言わずに寝たんだった。少し申し訳ない気分になる。


 ♪~


 聞き覚えのある軽快な音楽が流れてきた。テレビがついている。そうか、今日はそういえば土曜日だったな。ミコトがいつも食い入るように見ているプリキュアの放送が始まったらしい。ということは朝か。


「おっ、始まった、始まったんだよ!」


 喜々として眼を輝かせながらミコトはテレビの前に正座した。……こいつ、本当に子供っぽいな。神様の威厳など微塵も感じない。――でも、それは当たり前か。年齢換算してみるとこいつは俺よりもずっと年下だった。なら精神年齢が低くてもなんらおかしくはない。……そう、子供のような彼女が、あの事件を。


「……」


 頭を抱える。余計なことを考える癖がついてしまったらしい。どうにかならないか、これ。


「わ~」


 テレビに映るヒロインを見て歓声を上げるミコト。その声を聞いて俺もこいつのように楽観的になれればと考えてしまう。……こいつも、何も考えていないように

見えて色々考えてるんだよな。たまに驚かされる。


「ねえねえ見て見て! この子! この子すごいよね!」


 あるキャラクターを指さしながら振り向いて俺に言う。そのキャラは気の強い女子で、プリキュアのメンバーの中では一番年上のような、そんな気がする。設定は知らないけれど。というかプリキュアってそもそも二人じゃなかったっけ? いつの間にこんなに数が増えたのだろう。アニメも時代が変わるもんなんだなあ。まあ、そんな話はともかく、それがミコトのお気に入りのキャラクターだった。いつも事あるごとに自慢するように俺に話しかけてくる。その所為で俺もまたこのキャラクターが気になりつつあった。プリキュア自体も興味がなかったのだが、ミコトに付き合って視聴するにつれて詳しくなってきている自分がいる。いやあ、意外と面白いよ。馬鹿にできないぜ。


「ほうほう、どれどれ」


 ミコトの横に座ってテレビに目を向ける。オープニングも終わって前回の続きが始まろうとしたその時、




 突然、画面が真っ白になった。




「ん?」


 テレビが壊れたかと思って近寄って確認してみるが、特にそんな様子はない。アンテナの問題か? とそこまで考えた時、


「あー、あー、どれ、繋がったか」


 聞き覚えのある声がテレビから聞こえてきた。


「⁉」


 俺は驚き画面を注視する。するとそこには、黒のコートを羽織った見覚えのある男が映っていた。


「偶象……っ!」


 偶象然盛。昨日出会った、謎の男。


「えー、テレビを視聴中に申し訳ない。電波を少しの間お借りして放送している。要件が終わり次第お返しするのでご心配なく」


 口では謝りながらも悪怯れる様子はない。不遜といった様子で話している。こいつ、一体何をするつもりだ?


「……え?」


 ミコトは何が起こったか分からないといった表情でこっちを見ている。すまん、俺も何が何だかわからない!


 偶象は続ける。


「諸君は、予言者を覚えておいでだろうか。そう、世界崩壊を、人類滅亡を予言したあの予言者だ。多くの方が、説明されずとも周知の人物であると思う。その予言者の予言が外れたと多くの方が勘違いしているだろうが、実は違う。予言は外れたのではない。ある人物が外したのだ。これまでの予言の中で、事件が成立されないように助け船を予言者が出して回避したことがあっただろう。それを、ノーヒントでやってのけた者がいた。その者のおかげで一旦は、世界滅亡は阻止された。だから我々はこうして今も生きながらえている。しかし、更にまた問題が起こった。先程の世界を救った者が原因で、また世界が危険に晒されている。それにより、予言者から再び予言を賜った。今、諸君らに予言者の真の姿を見せ、直接聞かせてみせよう」


 偶象はそう言って俺達からは見えない方に顔を向け、手招きをする。ミコトの様子をみてみた。ミコトは顔をぶんぶんと横に振りながら知らないよと全力でアピールしている。じゃあ誰だ? 偶象の言う予言者とは――


「初めまして。予言者……です」


 画面に映った予言者もまた、俺の知る顔だった。


 ――いや、知るなんてレベルじゃない。




 花道良太が、そこいた。




「な、んで……?」


 思わず声が漏れる。なんでここで花道が出てくるんだ。お前は、関係のないやつだろう?


「今まで秘密にしてきたのには理由がある。それは諸君らから見ても分かる通り、彼はまだ若い。彼は予言者ということをやってはいるが、それは彼にそういった能力があったからで、彼が望んでやってきたことではない。私が彼に、人の役に立つことだからと勧めてやってきたことだった。滅亡の予言以降何の音沙汰もなかったのは前回の予言のショックで体調を崩した彼を慮ってのことだった。では今回、何故こうして私達が姿を現したのかというと、前回の予言が失敗したと思われていると私達が判断したからだ。前回の予言は確かにある人物のおかげで実行されなかった。だが、滅亡の予言は終わっていない。その人物は彼の予言の力を悪用しようとしている。私達がいながら予言者を騙り、諸君らを騙そうとしている。それを回避するがためにこうして姿を現したというわけだ。訳あって詳細は話せないが、どうか信じていただきたい。勿論、何もせずに信じろとは言わない。いつもの方式だ。諸君らのポストに例の紙をお送りしている。それには予言者を騙ろうとしている者の写真が入っている。では、予言者、予言をどうぞ」


「……はい。皆さん。今から予言します。写真に写った人物がいる限り、世界滅亡の不安は消えません。その者が生きる限り、来年、私達が初日の出を拝むことはないでしょう」


「何を言っているのこの人たち……」


 ミコトが顔を曇らせて呟く。俺だって何を言っているのかわからない。でも確実なことは一つ。


「俺かお前、もしくは両方の写真を全世界の人間に送る……? まさか、あいつら、ミコトに代わって予言者に成り替わる腹積もりなんじゃないか⁉」


「ええっ⁉」


 驚き、口を覆うように手を前に出すミコト。しかし、ミコトのその手は、手首から先がなかった。


「お前、それ」


「……消えかけてる。もしかしたら、信仰の対象が私からあの人たちに変わって神の力が抜けてるのかも……っ」


「まじかよ……っ、またあの時みたいに……」


 ミコトが消えたあの日のことが脳裏に浮かぶ。


「でも完全に消えることはないと思うよ。私の信仰者って、予言で得た人だけじゃないし」


「でも落ち着いている場合じゃないぜ。ポストを確認してくる!」


 慌てて部屋を飛び出す。俺のポストの中にも入っているかもしれない。ならそれで対策を練ることだってできるかも。


 寮のポスト群に辿り着くと、俺は自分の部屋番号が書かれた扉を引き千切るように強引に開けた。錠なんて気にしてられるか!


 すると、中に一通の封筒が分かった。手に取って封を切り中身を見る。




『果たし状


 今日の午前九時に決闘を申し込む。

 大帝徳高校グラウンドにて貴様を待つ。


 花道良太』




「なんだよこれ……」


 紙を持つ手が震える。今時果たし状なんて、という感想よりも、ただただ疑問しか浮かばなかった。なんで花道が……。


「どうだった?」


 ミコトが心配そうな調子で俺に問いかける。ミコトも降りてきたようだ。


「なあ、ミコト」


 俺は質問に答えない。


 俺は、既に心の余裕が失われていた。


「教えてくれよ」


 偶象然盛。


 奴にも神の力があった。


 それは、つまり。


「偶象然盛って何者なんだ」


 奴も必木先輩や俺と同じくミコトから力を受け取った人間。


 ならミコトは奴のことを知っている。でも今まで奴の話を聞いたことはない。


「何でずっとあいつのことを黙ってたんだ」


 俺には信用がないのか――そう勘ぐってしまう。


「……え?」


 ミコトは口を開いた。


 これで奴のことが聞ける。俺はそう思った。しかし、ミコトは戸惑った表情をしながら、予想外の回答を俺に言った。




「偶象然盛って――誰?」




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