第16話 73階層ー4(83階層)

その日、ルーラは仕事にならなかった。籠の6割ほど集めたキノコを持って帰ると、当然の如く、師匠からブツブツ文句を言われてしまう。


 だが、運よく「疲れているのかもしれないね。明日は、治療の手伝いをしな!!」と言葉を引き出し、見事、屋内での仕事を獲得する事に成功していた。




 仕事を終えて自宅に戻ったルーラは、恐る恐る拾った本を手に取った。そして表紙をそっとめくると、そこに書かれていたのは……。


――ルーラ、リックの持つ指輪を手に入れなさい。


 指輪の力を使い、この世界を抜け出して、原初の世界を目指すのです。


 貴女が拒めば、やがて世界の全ては無に帰すことになります。――



 昨日と書かれている内容が変わっていたのだ。まるで、本が話しかけてくるような文章だった。




 ルーラは、暫し固まったまま、震える手で本を支えていたが、意を決して話しかける。


「き、君は、自我を持った本なのかい?」


 すると、本の文字が薄くなり白紙になったかと思うと、新たな文字が浮かび上がってくる。



 ――私の名はセディーラの書。原初の世界に創り出された、少女セディーラの意志を宿すもの。――



「そ、そうか、会話が出来るんだね。……ねえ、どうしてボクなんだい? ボクなんて大した力もない平凡な人間だよ」


 その問いに、セディーラは答える。淀みなく文字を浮き上がらせて。



 ――リックの指輪の存在に気付き、この階層に舞い降りた私を、初めに見つけたのがルーラだからです。それ以上の理由はありません。いつの世も、新しい物語は、そうして始まるものなのです――



 これには、ルーラも面食らった。あまりにも酷い理由で選ばれていると感じるから、文句を言わずにはいられなかった。


「それで納得しろって言うのかい!? もおー、無茶言うなあ。……とりあえず、話しだけは聞かせてもらうよ」


 そして、ルーラは、セディーラに物語世界の説明を受ける事になる。物語世界が出来上がる仕組み。物語世界で動くときのルール。そうしているうちに、徐々に打ち解けて……。




「そこまでは、わかったけどさ。どうして物語世界が閉じようとしているんだい? ボクは原初の世界に行って何をすればいいんだい?」


 ――私も詳しくは分らないわ。でも、一つ分かるのは、物語世界のどこかから上がって来た男が、私の創造主に接触して、破滅に向かうよう誘導している。それを止めてほしいの――


 セディーラの書に宿るのは、ルーラと同じ年頃の、少女の意志。


 最初は、神聖さを演出するために無理をしていたが、既に無理は止めて普通に会話をしていた。


「……ボクは、みんなが夢見て創り出した世界を、旅してみたいって思う。でも、それだけじゃダメだよね。ボクに世界を救えるだろうか?」


 ――ルーラなら救えるとは言わない。でも、可能性があるのは、ルーラだけ――


 ルーラは思った。自分にしか救える可能性がないというなら、やってやろうと。ルーラは、人々の悲しむ顔を見るのが嫌いだった。だから治療師の道を選んだのだ。ここで、破滅の時まで治療師を続けるよりも、きっと多くの悲しみを消し去ることが出来る。


「んーーーーーーー。わかったよ! でも、あんまり期待しないでよ?」




 翌日、ルーラはセディーラをバッグにしまって、治療院までやって来た。まずルーラがやるべき事は……。


 治療院のドアが開き、左手で右腕を摩る年配の女性が入ってくる。女性の腕は紫に変色している。その様子をルーラは見ていた。


 ……うわ! 前途多難だよ!! さっそく毒抜きの患者さんだ!!


 この日、治療院内で、院長の補助をしている弟子は5人。患者が治療室に入ったの確認したルーラは、弟子の一人に、トイレに行くと言って逃げ出した。




 まず、リックが来るまでデトリックを温存しなくてはいけない。


 82階層の物語に書かれている治療院のシーンで、リックを治療したのは弟子としか表記されていない。これは、作者の意志でクリエが治療したのではなく、世界の意志で脇役が治療したという事になる。


 その脇役と入れ替わるべく、ルーラは動いているのだ。世界の意志は自分の管理下にないルーラを止めることが出来ない。


 これは83階層と、それに連なる世界を崩壊させかねない危険な行為だが、ルーラが文章と全く同じように治療する事が出来れば、何の矛盾も生まれない。そうなれば、崩壊は起こらないのだ。




 毒抜きの患者を3人躱した所で、ついにリックが現れる。その腕には蛇に噛まれた傷跡がくっきりと刻まれていた。


 リックが治療室に入った後、ルーラは目を瞑って想像する。


 ……――――リック、座る。――院長、症状を聞く―――リック、話す――――こーこだあぁぁっ!!


 ルーラは、手に持ったペンをドア付近に転がして「おっと、いけないペンが転がってしまったよ」と棒読みで話しながらドアに近付く。その時。


「誰か、治しておやり!」完璧なタイミングだった。聞こえた瞬間ドアノブを掴んで治療室に入り込む。こうして、ルーラは治療した弟子に成り代わる事に成功したのだった。




 治療室に入ると、患者の方を見ようともしない院長と、その様子を眉間にシワを寄せながら見つめるリックの姿があった。 


 ルーラは口を真一文字に結んで、リックに近付く。――治療の様子を描く短い文章をルーラは、何度も何度も読み返していた。一字一句間違わずに暗唱できるほどに。それでもルーラの体から嫌な汗が噴き出している。


 ……セリフなんて二つしかないんだ。失敗しようがない。大丈夫、絶対に大丈夫……。


 些細なミスで、幾つもの世界を崩壊させかねない恐怖と戦いながら唱える。「デトリック」すると、紫色だった肌が正常な色に戻り始めた。


 ……よしっ! よしっ!! 噛まずに言えた。……あとは、ヒール、この一言で、セリフが終わる。


 この時のルーラの心境は、崖の間に渡された、手すりの無い、幅1メートルの橋を渡る時の心境に近い。失敗するわけがない。わかっているのに竦んでしまう。


 ルーラは、静かに息を吸う。「…………ヒール」……『で、できたぁ……』言葉に合わせて傷口が幻のように消えてしまった。



 だが喜んでばかりはいられない。まだ続きがあるのだから。ここからの展開は、こうだ。



 ――次に弟子が放った「ヒール」の言葉に合わせて傷口が幻のように消えてしまった。


 治療が終わった後もリックは、治療院を出ようとしなかった。眼を逸らす事無く真っ直ぐに院長を見つめている。


 3分もそうしていただろうか、視線に気づいた院長が、ようやく振り返り


「まだ用があるのかい? あたしゃ忙しんだ。さっさと済ませてくれよ」――



 弟子が退室した表記が無い。だから、この場にルーラは残れる。


 そして、リックは、この先、作者の意志により、3分間、院長を見つめ続ける。院長も振り向く事はない。――ただし、ルーラがそれを阻害するような行動をおこさなかった場合に限る。




 足音を殺して、リックの後ろに近付いたルーラは、背嚢に手を掛ける。開かれた背嚢の中は『まずいよ! まずいよ! ギッシリじゃないか……こんなの3分じゃ探せないよ!!』隙間なく物が詰まった背嚢の中を、音を立てないように必死にかき分ける。


 ――だが見つからない。時間だけがどんどん過ぎていく。――2分も過ぎる頃には、ルーラの血の気は下がり切っていた。


 ……10個有った頃ならまだしも、たった1個の指輪を、この中から探すなんて無理だったんだよ……。


 そう思いつつ諦めかけた時、ルーラの脳裏に、リックの物語の一文が浮かぶ。



 ――リックは、その後、新たに同じ指輪を9個作り、一つを指にはめ、残りは背嚢のポケットにしまい。1階層目指して旅立つ。――――



 残り時間は20秒も無かった。背嚢の口を閉じたルーラは、側面に付けられたポケットに手を伸ばす。『有った……指輪だ……間に合って!!』


 指輪を取り出し、ポケットの口を閉じ、立ち上がった刹那「まだ用があるのかい? あたしゃ忙しんだ。さっさと済ませてくれよ」院長の声が聞こえた。



――――――83階層は崩壊することなく、存在し続けていた。




 こうして指輪は手に入れた。もう、ここに残る必要は無い。視線を遮らぬように、ドアへと向かう。――ルーラは治療室の扉を閉める直前にリックの右手を一瞥した。そこには、1個の指輪が光を反射して、キラキラと輝いていた。


 治療室の外にでたルーラは、兄弟子たちに「師匠の言いつけで外出するから、後は頼むね!」と、告げて、建物の外へと向かって歩く。


 作者の勘違いで、一個余分に作られてしまった指輪を手に入れたルーラが、すべき次の仕事は、セディーラと一緒に、ゲートへ向かう事。


 当然向かうのは、この世界の上層への扉では無く82階層に続く扉。その場所は、83階層の中にある2階層に存在する神殿。そこはリックが1階層に辿り着き、復活を願った恋人が生き返る場所。




 神殿に向かう途中、セディーラの書が光って、ルーラに表紙を開けと訴えかけてくる。それに気付き本を開くと、メッセージが浮かび上がっていた。


 ――ルーラ、もし、この先の旅路で、物語世界のルールを捻じ曲げかねない異能を発見した時は、出来る事なら、それを使えないようにして欲しいの。――


「それって、この指輪みたいな存在の事を言っているのかい?」


 ――そう、原初の世界を脅かす男も、どこかで手に入れた、特殊な異能を使って階層を上って来たはず。だから、少しでも、不確定要素は取り除きたいの。……――


「わかったよ! 覚えてはおくけど、その都度、教えてね!」


 その言葉に、セディーラは返答しなかった……。




 辿り着いた神殿、その中央に大きな台座が設置されている。その場所にゲートが存在する事を確認したルーラは、人目が無いことを確認してから台座に上った。そして、問いかける。


「それでさ、結局、この1回で壊れる指輪の問題が解決してないんだけど、どうするんだい? これだけじゃ82階層で足止めだよね?」


 セディーラの書にゆっくりと文字が浮かび上がって来た。本当にゆっくりと、躊躇いながら話しかけるように。


 ――ルーラを導くのに必要な力だけをセディーラの書に残して、残りの力を指輪に移すね。そして、指輪が壊れるのを防ぐから安心して良いよ――


「……そんな事して、セディーラは大丈夫なのかい?」


 ――多分、ルーラとお話しする事は、できなくなってしまう。でも大丈夫、話せないだけで、私は指輪の中から、いつも見守っているから――


 その文字を読んでいる間にも、セディーラの書から淡い光が抜け出して、指輪に向かって行く。


「そんなの、嫌だよ! それにボク一人じゃ、進めないよ……。お願いだよセディーラ、他の方法を考えよう? きっと何かあるから……」


 ルーラの必死の説得に、セディーラは、途切れ途切れに、力を振り絞るように、文字を浮かび上がらせる。



 ――ごめんね、ルーラ。……立ち止まるわけには……いかないの。…………ルーラ……78階層まで辿り着いて……そこで、きっと……あなたと共に………物語を紡いでくれる…………人が…………あらわ…………れる…………――



 それを最後に、いくら待っても、セディーラがルーラに語り掛ける事は無かった。


「…………酷いよ、セディーラ……」そう言いながら、ルーラは指輪を額に当てる。徐々に輝きを増した指輪から、光の帯が現れて、ルーラを優しく包み込んだ。――――その光が消えた時、台座の上に残っていたのは、小さな水滴のみだった。




 ――ルーラが過去の話を語り終わる頃には、二人は、ルメットが6日かけて進んだ距離を走破し、木陰からルメットの様子を窺っていた。


 ルメットは、手に持った粗末な剣で、必死にアンデットを斬りつけるが、その斬撃は浅く体表を刻むだけで、大きな損傷を与える事ができていない。逆にルメットが傷だらけになり、いつ倒れてもおかしくない状態だ。


 その様子を見たフレアが、もどかしそうに呟く。


「見ているだけってのは、嫌なもんだな……」


「我慢だよフレア君。ここで助けに行ったら、82階層が崩壊して、本末転倒になるからね……」


 そう言ったルーラは、すでにルメットを直視できていない。治療師として深い傷を何度も見てきたルーラは、傷自体に拒否反応は示さないが、現在進行形で、苦痛の声を上げながら傷を増やしていく姿は、見るに堪えなかったのだ。


 暫くすると、血にまみれたルメットが地に伏した。フレア達のところまでは、何を言っているのか聞こえてこないが、口が動いて、何か言葉を発している事は確認できる。


 アンデッドが、ルメットに止めを刺すべく錆びついた剣を振り上げた時、天から光を纏う女性が舞い降りる。女性から煌々と放たれる光を浴びたアンデットは、攻撃を中止して、後ずさり始めた。――――天から舞い降りた女性がルメットに問いかける。


「あのノートと引き換えに、あなたが物語世界で手に入れた勇者の力を、明日、日が昇るまでの間だけ使えるようにしましょう。それを受け入れますか?」




 ルメットは、迷わなかった。剣を杖がわりに倒れた体を起こし、女神の目を真っ直ぐに見つめて願う。


「構わない……何を差し出しったって構わない!! だから力を、妻を救い出す力を与えてください!!」


 それを聞いた女神は、慈愛の笑みを浮かべながら虚空に手をかざす。すると、その手には、ルメットの机の上に存在したはずのノートが握られていた。


 ノートのページが外れてバラバラになったかと思うと、全てのページがルメットの体に張り付き、徐々に紙から白銀の鎧へと姿を変えていった。


 ルメットは、女神に一言だけ感謝の言葉を告げると、アンデットを一閃した後、妻の元へ向かって駆けだした。その背中に未練など一切感じさせる事も無く。




 その様子を見届けた女神が、宙に浮き、空へ向かって上り始めた時「デュアルブースト!!」フレアの掛け声が響き、帰ろうとしていた女神を空中で捕獲して地面に舞い戻る。


「~~~~~~~~~~~~!?」


 目をぱちくりさせる女神の顔を見た時、ルーラは悪いと思いつつも笑いをこらえる事ができなかった。




「あははははぁ、はぁ、はぁ、……ごめんね女神さま! すまないけど、帰る前にボク達の願いもかなえて欲しいんだ」


 女神は、女神らしからぬ心底嫌そうな顔を披露しつつ、ルーラに答える。


「まあ、私の使命は、『出会った者の願いを叶える』ですから、貴女にも権利はありますが……」そこまで言うと、まだ自分を掴んでいるフレアを肩越しに見ながら続ける「この場合は、二人で一つの願いですよ。もう願いは相談しているのですか?」


「うん、決まっているよ。その前に、いくつか質問に答えてよ!」


 ルーラの言葉に女神が頷く事で、了承を示す。それを確認した後、ルーラが問いかける。


「まず。仮に、原初の世界を救って欲しいって言ったら、それは叶えられるかい?」


 それを聞いた女神は、何を言っているのかと言いたげに、首を捻りながら答える。


「原初の世界ですか? 私の認識していない事柄は、叶えようがありません」


 その言葉にルーラは特に落胆した様子もない。念の為の質問であって、初めから無理だと予想していたのだろう。


「じゃあ、次の質問だよ。上層へ向かう扉を開く鍵が欲しいって言ったら、作ってくれるかな?」


「はい、その位でしたら、叶えられますよ」




 ルーラは、その答えを聞いた後、数舜、自らの人差し指で光る指輪に、視線を落とす。その後、女神に視線を戻すと、自分の願いを伝える。


「うん、ありがとう! じゃあ、願いを話すね。――すまいけど女神さまは、この先、願いを叶える役目を放棄して欲しいんだ。それがボク達の願いだよ」


 この願いに、女神は困惑する。今まで幾度となく人々の願いを叶えてきた女神だが、それらの大半は、我欲に塗れていた。こんな誰も得をしない願いなど聞いた試しがない。だから問わずにはいられなかった。


「……なぜ、そのような事を……」


「より、多くの人を幸福にするためさ!」


 そう迷わず言い放つルーラの、真剣な眼差しを見た女神は、それ以上質問を重ねる事は無かった。


「あなたの願い聞き届けました……」




 それから少しの時間が流れて、ルーラとフレアは、ルメットの寝室にいた。72階層へ向かうゲートを開くために。


 まだ日は昇っていないので、ルメットは妻を救うべく戦っているはずだ。サージは、家にいたが、気付かれないように窓から侵入をはたしていた。


 ゲート開くために、セディーラが宿った指輪を額に当てるルーラにフレアが話しかける。


「よかったのか? 指輪の使用回数を外す事を願えば、セディーラとまた話す事ができたかもしれないのに」


 ルーラは、その問いかけに、セディーラが宿る指輪を額に押し当てたまま、目を瞑って答える。


「それは、セディーラが望まないからね。原初の世界に辿り着いて、門を開く必要がなくなった時、きっとまた話せる。ボクは、その時を楽しみに待つことにしたんだ」


 その言葉を最後に、光の帯が二人を包み、やがて球体になる。蜃気楼のように、揺らいで光が消えた時、そこに二人の姿は無かった。こうして72階層の物語がはじまる。

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