第3話 思考


「真二、おかえり」



人が2人並べる程の玄関。そこから6歩ほど歩いて右手に台所。その隣にある冷蔵庫の前にドサリとスーパーの袋を置くと、丁度ビールを切らした父が部屋から出てきた。


「ただいま」


痛みを払うようにびったりと跡がついた左手を腰の前で振りながら答える。

父は真二の左手に視線を向けて「負担をかけるなぁ、すまん」と軽く頭を下げた。


「別にいいよ、今詰め時なんでしょ」


言いながら冷蔵庫を開ける。隙間どころかビールと牛乳、水以外ほぼ空っぽ状態の冷蔵庫は、待ってましたと言わんばかりに蛍光灯でまっすぐ真二の顔を照らしだした。


はい、と父にビールを手渡してからビニール袋の中の食材を入れていく。

種類別に、使う頻度が高いものは手前に、たまに使う食材は奥に。100円ショップで購入した取っ手がついた格子状の箱にどんどん物が積まれていく。


「仕事が一段落したらまた父さんも夕飯作るからな、すまんがまだよろしく頼む」



ボサボサに生えている眉毛をハの字に曲げ、46歳にもなる真二の父親、山本久志は言った。

昔から容姿にこだわらないところは変わらない。真二自身ももそこまでこだわるわけではないのだが、流石に父のようにはなるまいと反面教師にしているところはある。


昔、真二が小学三年生の頃。初めて父に映画館へと連れて行ってもらったことがあった。その時の父はくたびれたTシャツ一枚にジーパン、童顔の顔には似合わないヒゲを無造作に生やしておりおよそ清潔そうには見えなかった。

嬉しい出来事ではあったがそれ以上にこっぱずかしいと思ったと強烈に記憶しており、以降母が亡くなるまで2人で外出することはなかった。


ふと過ぎるその光景にそんなこともあったなぁと、思い出して苦笑いをする。


「わかってるって。ほら、さっさと仕事に戻りなよ」


最後の食材を入れ終わり、これで最後だと言わんばかりに勢いよく冷蔵庫は閉める。

冷蔵庫のパッキン同士が勢いに合わせて大きな音を立てた。



さて、と真二がビニール袋を畳みながら顔を上げると、久志はもういなかった。


「ほんと、仕事人間だなぁ」


先ほどとは違う気持ちが入り混じった苦笑いを、真二は浮かべた。



冷蔵庫の整理も一段落したところで洗面所へと足を向ける 。


台所がある通路の手前にある洗面所は、母がいなくなってからも継続的に掃除されており、キチンと備品が整えられている。(ほぼ真二が行なっているが)


真二のちょうどお腹のあたりに洗面台。白い取っ手がついた蛇口を左にひねると、飲むには苦い都会の水が音を立てて流れ出した。



手洗い。

---ちゃんと手首まで洗うの、爪の間も忘れないようにね


うがい。

---念入りに、少し喉まで通して。2〜3回はうがいするの


口酸っぱく言われたルーチンワークをこなしていく。



ふと洗面台に備え付けられている鏡を見た。


平均的な背、筋肉質でも脂肪質でもない体。少しタレ目で唇は薄い。


真二はけして世に言うイケメンとやらではないにしろ、ブサイクの部類に入ることはないと自負をしている。




その顔は自他共に認めるほど、母によく似ていた。



真二と唯一違うところを言えば、母は真二と違い自分の容姿に対しての情熱が凄まじいことだろう。真二もさぼっているわではないと思うのだが、家の中でも外でも変わらずきちんとした服を着ているなんてまでの情熱はなかった。


そんな母はたまの授業参観でもよく話しかけられる。おしゃれだからだけではない。人当たりが良く交友関係の広い母。見ている限りでは妬まれることもなくみんなから褒められていた。


真二はそれを眺めるのが好きだった。自分の母が評価されることに対しての優越感もあったが、なにより母が嬉しそうに笑ってくれているのがとんでもなく幸せだったのだ。



そんな母が突然亡くなってしまって、どんなに愛された人間でもあっけなく死ぬものなんだというのを真二は思い知った。


自分が不幸だと運命を呪うことはない。ただただ母の運が悪かったと、そう自分に言い聞かせる。ちがう、事実そうなのだ。



それでも誰かを憎むことができたらどんなに楽だったか。



誰が悪いわけでもないことに関してどう向き合うかなんてことは、まだ真二にはわからなかった。







「お、今日はチンジャオロースか」


原稿が一区切りついたのだろう、久志が缶詰部屋から出てきていた。


「ピーマンと豚肉が安かったからね」


真二がチンジャオロースの入った大皿から2つの小皿に小さな山を作って、お椀によそってあるご飯の隣に置いた。




久志の仕事はイラストレーターだ。漫画を描くこともあるがメインはイラストやキャラクターデザインで、仕事が入るたびにこうやって缶詰部屋と言われる部屋にこもる。

一度缶詰部屋に入ると、ビールが切れるかもよおすか、とにかくなかなか出てこないのだが今日は違った。


「いただきます」


2人の声が部屋にこだまする。





3年間。とても長く感じた3年間だったし、今考えるととても3年間とは思えない早さだったと思った。


壁を見ると、午前に使った喪服がハンガーに掛けられている。

片付ける間も無くとりあえずと掛けられたそれは、何年か前に祖父の葬式の為に母が買ってきたものだ。


それを今度は母の為に着たのだから、なんとも言えない虚しさを感じる。と真二は服から目を背けた。


「そういえば、文化祭の準備はどうだ」


真二の視線が服に移動していたのを見て久志は言葉を投げかけた。


「ん、…まあぼちぼち」


肉とピーマンを一緒くたにして口に運び、真二が答える。


「何か描くのか」


「まあ、うん」


「何を描くんだ」


「ポスターとか、看板とか」


人生初めての文化祭。真二は絵心が人より多少あることから、主にデザイン部門をを任されていた。


親にそれを言うのも恥ずかしいものだが、それ以上に自分でもできることがある、役に立つことができるという事実を他人と共有したいという衝動がつい口をついた。


「そうか、がんばれよ」


照れを隠すためかぼそりとあまり大きくない声で久志が呟く。


「うん」


真二もご飯を頬張りながらそっけなく返す。

これで会話は終了だ。

あとは各自残っている夕食を平らげて部屋に戻るだけ。


2人は黙々と肉とピーマン、米を頬張りながら目の前にある課題の次の構想を練ったり、あるいは何かしらの感傷に浸ったり、色々な思考をする。


久志は次のキャラデザインの構成を練っているのだろう。時々目を瞑ったり右上を見たりと忙しない。



一方真二はぼんやりと宙を見つめながら先程のやりとりを頭の中で反芻していた。


『がんばれよ』


内心嬉しくてたまらなかった。世間一般の尺度からするとやや子どもを放任がちで不器用な父だが、今は自分を気遣ってくれている。母がいた頃はいつも部屋にこもりっきりでなかなか会えなかったが故に、それだけの言葉で宙に浮いたようなふわふわとした心地よさと照れからくる不快感を感じてしまう。


やや気持ちが浮ついてしまっている自分にカッコ悪い、クールになれと諌める言葉がわいてくるが、自分の感情を抑えることはなかなか難しかった。



食事も終わり、各自が食器をシンクの中へと入れ込む。

真二は冷蔵庫から1Lのペットボトルを取り出して陶器のカップに水を注ぎ、久志はシンクの中の食器を洗いはじめた。


3年前から料理をしていない方が皿洗いなどの後片付けを行う。あくまで平等に、不平不満がないよう真二が作ったルールだ。



注いだ水を喉を鳴らしながら飲んで、疲れや気の緩みを一旦胸の奥底へと押し込める。


(あ…そうか)


頭の中で今日あった出来事を整理しようと記憶の箱を開けた時、今まで感じていた違和感がひとつ結びついた。


(あの女の子、母さんに似てたんだ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

陽炎 おはる @enterker

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る