第4話

「もう今はこの話する奴は減ったけど昔はこんなんがあってなぁ」

 小川文雄は川のせせらぎの音のする方を指差すと訥々と語り始めた。

「川の流れには人の穢れが雑るんだ」

「人の穢れ?」

「おぉ。俺も人に聞いただけだからよく分からんのだけども、そういうものらしい。川の流れに沿った水原集落ならではなのか、それとも探せば何処にでもある話なのかは分からんがね。多分アレじゃねぇかな、手水場の考えと同じじゃないかね。水には穢を濯ぐことが出来て、川の場合はそれが大きな流れとなって下へ下へと運ばれていくんだろう。んでな、川の上流はその人の穢れが少ない場所で、下に行くにつれてどんどん穢れが強くなっていくんだとな」

「へぇ……」

「あながちこの手の話を戯言だと言い切れなくてな。随分と昔の話だが、上流の集落の人間と下流の人間とでダムを建設させるかどうかで言い争いが起きたんヨ」

「あのダムですか」

 帆足はこの地に来て、噎せ返るような熱気の中見惚れたあの煌めく水面のダム。あのダムはこの集落の傍らを流れる川とつながっていた。

「実のところ、あのダムの水底には元々村があったんだ。この集落からは少し離れた所だったんだが、下流の人間の血縁関係者がそこに住んでたんだ」

「なるほど、だから……」

「あぁ。故郷を追われるってんでダムの建設に反対してたんだが、数には勝てなかった。結局ダムは建設されて件の村は水底へ。それだけなら良かったんだが色々と不幸が続いた家もあったらしくてな。中でも聞いた話でひどかったのはある女の話でな」

 ここで帆足は、文雄の口調からある推測を立てた。

「すみません、もしかして小川さんはずっとこちらに住んでいた訳ではないんですか?」

「あぁ。一時だけ少し都会の方に出ていってね。まぁ都会の生活とか空気に慣れなくてすぐに戻ってきたんだが。その女の話は俺が居ない時の話だ。全く胸くそ悪い話でね」

 文雄は茶を啜ると、あからさまに顔を顰めながらその女の話を始めた。

「その女は元は底の村の方で住んでいたんだが、件のダム建設で中流の方へ移り住んだらしい。そこで下流の連中やら上流の連中やらのいじめの対象になっちまったらしくてな。多分、下流の連中からは裏切りだなんだ言われて、上流の連中には薄汚いだの何だの言われたンだろう。昔は今よりも縄張り意識みたいなのが強かったからな。それで心をやられちまったその女はとうとう、あのダムへ入水自殺しちまったらしいンだ」

「そんなことが……」

 帆足は自分の生まれ故郷にそんな話があるとは思ってもみなかった。

 水底に沈んだ家々に入水自殺。あの水面の下には多くの無念が渦巻いているのかもしれない。そう考えると確かに川の流れに雑る人の穢れの話は必然的に生まれでた話のようにも思えてくる。

「後日、遺書みたいなものが見つかってな。『あの家にあの子と帰りたい』って書き置きと一緒に櫛が置かれていたんだと」

「――――――櫛、か」

 帆足は自らのスーツの上着ポケットを意識せざるを得なかった。そこには白石邸宅で見つけた砕けた櫛が収まっている。

 帆足は無意識のままポケットを手で抑えると、一つ質問をした。

「あの子っていうのは?」

文雄は空を穏やかな目で眺めている。長い時を生きた人間独特の泰然自若とした態度だった。

「分からん。確かにその女は子持ちだったらしいが夫も子供もどこにも居なかったらしい」

「え?」

「俺に聞かれても分からんよ。当時の人間も誰一人として分からんかったのだから。まぁ、もしかしたら誰かが嘘をついていたっていう可能性はあるかもしれンがな」

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