第2話

 逃げ込むように足を踏み入れた白石邸宅はさほど外と変わらない室温で帆足を迎え入れた。

 白石和子の死後、この家は殆ど誰も出入りしていないらしく、靴箱の上に置かれた黒猫の陶器の置物に薄っすらと埃が積もっていた。


 帆足は薄暗い廊下へ歩みを進めた。誰も出入りしなくなった家というのはこれほどまでに寂しいものなのだと、彼はここに来て初めて知った。

 使われていたであろうスリッパは壁際にヒッソリと佇み、仄暗い闇に紛れる観葉植物は心なしか色褪せて見える。

 リビングに行くとそこにはお茶を入れるために用意したのであろうグラスが一人、主の帰りを待っていた。

「一応来てみたはものの、何かがあるとは思えないな……」

調査の一環で来てみたはものの、あの死因からして原因や手がかりが見つかるとは思えなかった。

 帆足は閉め切られたカーテンと窓を開け放った。暗く閉じきった部屋に爽やかな外の空気が入り込んでくる。風が流れゆくのを感じて後ろへ振り返ると、一箇所だけ扉が開いたままになっていた。

 

 部屋の中へ入るとそこには簡素なベッドが一つと、チューナーに繋がれた年季の入ったなブラウン管テレビが置いてあった。

 ――――――ここが白石和子の死亡現場。彼女が何かに怯え、錯乱し、絶命したその現場。

 ここも薄暗い。カーテンを開けると陽光に照らされた床に何か落ちていることに気づいた。

「これは、櫛か?」

 拾い上げた琥珀色の櫛は所々が欠けていて、その周辺には破片がいくつか落ちている。


 ふいに、水村の言葉を思い出す。

『そういえば……、興奮していらしたのであまりハッキリとは聞き取れなかったのですが、『クシ』と、『カエス』という単語を言っていたような気がします』

 「クシ」とはこれのことだろうか。「カエス」に関しては文脈が詳しく分かっていない以上なんとも言えないが、「返す」とか「帰す」だろうか。

 思考を巡らせているうちに、帆足は自らが櫛をずっと触っている事に気づいた。それと自分が何かしらの感傷をこの櫛に抱いていることも。

「何か、懐かしい気がする」

 一瞬だけ脳裏に風景が過る。誰かの背中と、その手に握られた櫛。それはとても悲しい記憶だったような気がしたが川のせせらぎと共に流れ消えていってしまった。


 浅い白昼夢から覚めたような心地の帆足は戸締まりのために窓辺に立ち寄った。窓に手をかけた時、彼は傍らを流れる川の河口近くに木が突き立てられていることに気がついた。

「なんだあれ」

 帆足は自分が思わず独りごちていたことに気がついた。

 どう見ても元から生えていたというわけではなく、後から持ってきてあの場所で突き立てた感じだった。一体何のためにあんなものを作ったのだろうか。

 呆けた表情でそれを眺めていると外から川のせせらぎと、チャイムが流れてきた。その音に現実に引き戻された帆足は腕時計を確認した。時計はもう17時を指していた。

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