24.赤いクレヨン
幼なじみのさゆりは、普段から笑みを浮かべているのが多い。
喜怒哀楽という中で、喜びと楽しさだけしか周囲の人は見た事がないと思う。
私に対してだって、その表情をほとんど変えない。
しかし、そうじゃない顔もたくさん見ている。
そのほとんどの状況が、あまりいい時ではないので思い出すと嫌な気分になってしまうが。
さゆりの家に、まさか泊まる日が来るとは夢にも思っていなかった。
私がそれを了承する気持ちになるなんて、自分の事ながら天変地異の前触れではないだろうか。
そう思わないとやっていられないぐらい、最近さゆりに対して優しくなっているのが恥ずかしい。
「考えるな考えるな。」
私は気持ちを落ち着かせるために、頬を数回叩き、意を決してチャイムを押した。
『ふふふ。チャイムを鳴らさなくても、理名なら入れるわよ。どうぞ。』
そうすればすぐにスピーカーから、さゆりの楽しげな声が聞こえてきて、私は恥ずかしさをごまかすために顔をしかめる。
「一応のマナーとして、急に入ったら駄目でしょ。」
文句を言いつつも、しょっていたバッグの位置を直しながら私は中へと入った。
その姿を見ながら、さゆりはいつものように笑みを浮かべているのかと思うと、なんだか歩き方が変になってしまう。
ぎくしゃくと腕と足を同じタイミングで出して歩き、なんとかさゆりの部屋までたどり着いた。
「入るよ。」
「どうぞ。」
ノックをして声をかければ、中から返事がされる。
それを確認すると、私は扉を開けた。
「……凄いの用意したね。」
「だって理名が泊まりに来るから、張り切っちゃったの。」
部屋の中は様々なお菓子であふれ、さゆりはその中で埋もれていた。
置いてあるお菓子のどれもが、私が好きだと前に言ったもので、わざわざ用意したのかと思うとくすぐったい気持ちになる。
「それ片付けなきゃ、落ち着く場所もないでしょ。ほら。食べるものだけ選んで、他は違う所に置くよ。」
「……全部は食べられ、無いわよね。」
さゆりが小さく何かを言っていたが、私は構わずお菓子の山を両手に抱えて部屋を出た。
そうすれば部屋の外に、お手伝いさんが待っていて、腕の中のものをテキパキと持って行ってくれる。
さすがだな。
感心しているうちに、部屋の中は綺麗に片付けられた。
中にいるさゆりは、少し不満げな雰囲気をかもし出していたが、私が1つお菓子の袋を開ければ機嫌は直る。
それをつまみながら、くだらない話をしていると、さゆりが何かを思い出したのか声を上げた。
「そうだ。理名に言っておかなきゃいけない事があるんだった。」
「何?」
「あのね。理名だから、ほとんどの部屋に入っても良いけど、絶対に入らないで欲しい部屋もあるの。扉に赤い×印が書いてある所。絶対に、お願いだから入らないでね。」
彼女の真剣な顔から、ふざけているわけでも冗談を言っているわけでもないのを悟ると、私は胸を張って頷く。
そうすれば安心したようなので、心の中に深くその話を刻み込んだ。
さゆりがわざわざ言うのだから、絶対に約束は破らない。
そう思ったはずだった。
「ここはどこかな?」
私は見覚えの無い廊下で、1人固まっている。
夜中、トイレに起きて部屋の外へと出たのだが、まさか迷うとは思ってもみなかった。
使用人の人達も時間的に休んでいるのか、助けを求める事も出来ない。
さゆりを起こして、一緒に来てもらえばよかった。
今更な後悔をするが、本当に今となっては遅いので、自分で何とかするしかない。
私は窓から照らす月の光を頼りに、さゆりのいる所を探そうと歩く。
そんな時に、とある部屋に辿り着いた。
「ここかな?」
とりあえず入らない事には、私も何の部屋だか分からない。
だからここに、さゆりがいる事を願って扉を開けた。
「……違うな。」
しかし暗闇に慣れて来た目で見て、全く別の所だと分かる。
私は一度、落ち着いて考えようと手探りでスイッチを探し出し、電気を点けた。
「……‼」
そして明るくなった部屋。
中を見渡して、私は息をのむ。
部屋は一面真っ赤だった。
それは血でも、ペンキで塗られている訳でもない。
近くの壁に触れた私は、それが何なのかを確信する。
「クレヨン……。」
随分昔に書かれたものなのか、ところどころかすれている文字。
その全てが『おかあさん』と書かれていた。
「じゃあ、これは。まさか……。」
私はこれを書いた人を知っている。
それじゃあ、ここはさゆりが入ってはいけないと言っていた部屋ではないか。
その結論にたどり着いた私は、気が付かれる前に急いで部屋から出ようとした。
「ねえ、何をしているの?」
しかし振り返った先に、さゆりの姿を見つけて固まった。
「あ。さゆり、ごめっ。」
「私、この部屋には入らないでって言ったわよね。」
彼女は無表情で、私を見つめていた。
そしてその目には、紛れもない怒りの感情があった。
「ちょっと迷っちゃって。入るつもりじゃなかったの。本当にごめん。」
私は言い訳のように言葉を連ねた。
しかし全くそれは、さゆりに届いていなかった。
「出てって。早く出てって!ずっとまっすぐ行って突き当たりを右に進めば、部屋に戻れるから!早く!」
「ほ、本当にごめん!」
髪を振り乱し扉を指した彼女は、喉が裂けるのではないかと心配になるぐらいの大声で怒鳴った。
これ以上、ここにいてもいいことは無い。
私は最後に言い残すように謝罪をすると、走って部屋を出た。
彼女の言葉に従って進めば、あっさりと元の部屋へと戻った。
私は騒ぐ心臓を必死に収めながら、ベッドへと潜る。
部屋を見た時よりも、さゆりのあの取り乱した様子の方がずっと衝撃的だった。
言いつけを守らなかった申し訳なさもあるので、彼女が帰ってくる前に早く寝てしまおう。
そう強く念じたからか、いつもよりもすんなりと私は眠りについた。
翌朝、部屋にいたさゆりはいつも通りだった。
微笑みを浮かべて、私にお菓子を差し出す姿に、まるで何も無かったと錯覚を起こしそうになる。
しかしその目が全く笑っていないことに気づき、私は適当な理由をでっち上げてお暇する事にした。
たぶん色々と分かっているさゆりは、止めることなく玄関まで見送ってくれる。
それから決して私達の間で、あの部屋を話題にあげる事は無かった。
さゆりがそれを許そうとはしなかったからだ。
私も余計な事を言って、さゆりとの関係が壊れるのは嫌だったので決して口にしようとはしなかった。
たぶん、教えてもらわなくても、ある程度の予想はついているせいもあったが。
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