10.ムラサキカガミ





 私は大きな爆弾を抱えている。

 それは、20歳になったら爆発する運命だ。




 ムラサキカガミという怪談を、知っている人はどれぐらいいるのだろうか。

 その噂が流れたのも随分昔だし、そこまで有名なものでもなかった。


 20歳になるまで『ムラサキカガミ』という言葉を覚えていると死んでしまう。または不幸になる。


 こんな風に、とてもシンプルで根拠の全くない怪談なのだが、何だか妙な恐ろしさがある。

 この怪談の面白い所は、20歳になるまでに覚えている人がどれぐらいいるのかという事だ。


 最初は怖いと思っていても、色々と日々を過ごす内に忘れていってしまう。

 もし覚えている奇怪な人がいたとしても、死んでしまったら伝える人はいない。



 そんなあやふやな怪談なのだが、さゆりのお眼鏡にかなってしまった。





「こういう怪談って、姿かたちは無いけど元はどうなのかしらね。」


 久しぶりにさゆりが私の家に来て、だらしなくベッドで横になりながら話しかけてきた。

 私は真面目に勉強をしている所なので、彼女が何を言っているか分からず話を流す。


 しかし机に向かっている腰の辺りに、ちょんちょんとつつかれる様な感触がした。

 私はしばらくそちらを見ないで、手で止めろとジェスチャーしていたのだが、さゆりはしつこかった。


 もはや腰がえぐられるのではないかというぐらいに心配になってきて、私は渋々さゆりの方に顔を向ける。



「はいはい。何の話でしょうか、さゆり様。」


 面倒くさいという表情を前面に出して見たのだが、彼女は特に気にしなかったようで私に何かを押し付けてきた。

 それは一冊の本で、しかも私の部屋にあったものだった。


『あなたも知っている身近な怪談』


 小学生の時に読んでいた本なので、汚れや日焼け埃まみれだから出来れば捨ててしまいたい。

 しかしさゆりのキラキラした目をむけられてしまったら、開かないという選択肢が出て来なかった。


 彼女が見ていたページは癖がついていたので、すぐに開いた。


「ムラサキカガミ?何か聞いた事がある。」


 私は中身をまじまじと見る。

 前にも読んだ事があったので、すぐに何が書かれているのか思い出した。


 そして顔をしかめる。


「え?どうするの?何がしたいの?」


「んー?迷っている所ね。理名は何が良いと思う?」


 そう尋ねられた所で困ってしまうだけだ。

 私はさゆりが何をしたいのかも分からないし、形の無いものにどうするべきか全く思い浮かばない。


「分からない。決まったら教えて。」


 とりあえず付き合っても時間を無駄にするだけだと、私は再び机に向かった。

 そのまま集中していれば、また腰に攻撃を受ける。


 思っていたよりも時間が経っていたようで、気が付けば外は暗かった。

 私はその殊に内心驚きつつも、頬を膨らませたさゆりを見る。


 勉強をしている間、暇だったようで部屋の中が荒れていた。

 しかし手にしっかりと持っている本に、さゆりの本気を感じる。


「それで、何をするか決まったの?」


「ええ。でも準備に時間がかかるから、今日はとりあえず帰るわ。」


 私は長くかかるかもと覚悟を決めていたのだが、呆気にとられるぐらいあっさりと帰ってしまったので、逆にものすごく怒っていると分かった。


 そうは思ったのだが、私だって勉強の邪魔をされたのだから怒られる筋合いは無いとむきになってしまう。

 だからその日は、全く連絡をとらなかった。





 それが悪かったのだろうか。

 私は目の前の光景に、ため息が出てしまいそうになる。


 フォローもご機嫌取りもさゆりにしなかったら、こんな風にこじれてしまうのか。

 予想の斜め上の行動を取られてしまうとは、全然考えていなかった。



 さゆりに呼び出されてやって来た地下。

 そこで待っていたのは、彼女と前に収集した怪談の1つだった。

 名前も忘れてしまうぐらいマイナーだったそれは、可哀想なほど震えている。


「さゆり、一体何をしようとしているの?」


 私は呆れながらもさゆりに聞く。

 鼻歌を歌いながら、何かを用意していた彼女は楽しそうにスキップをして私に近づいてきた。


「この前言った、ムラサキカガミについてやってみたい事があるの。」


 そう言って、ずっと震え続けていた怪談を自分の隣に引き寄せる。


「この子、もうすぐ20歳になるらしいの。怪談の年齢が適用されるかはわからないけど、この子にムラサキカガミを覚えていてもらおうと思って。」


 さゆりの言葉に私は、その意味の恐ろしさに冷や汗が出た。

 まさか本気なのかと、恐る恐る聞く。


「それって、危険な可能性もあるんじゃないの?」


 もしも怪談関係なく死んでしまうのだとしたら、後味が悪すぎるではないか。

 そう思って聞いたのに、さゆりはこともなげに言い放った。


「この子も覚悟してるわ。ね、そうでしょ?」


「は、はい。」


 全く覚悟していない。

 私は怪談の様子にそう悟ったのだが、意見を言うことが出来なかった。


 さゆりの顔が本気だと、分かってしまったからだ。


 だから私は怯え続ける怪談の顔を見て見ぬ振りをして、さゆりに笑いかける。


「そう。上手くいくといいね。」


「ええ、あと1週間で結果が分かるから、その時はまっさきに理名に報告するわ。」


 その時、絶望した顔が視界の端に入ったが、私は気のせいだと思うことにした。

 それがさゆりの為だから。





 そして触れられないまま一週間が経った。

 もしかして、そろそろ結果が分かったのではないのだろうか。

 私は聞くに聞けなくなり、モヤモヤしたまま日々を過ごしていた。


 しかしついに、さゆりの方から話を振ってくる。


「理名、そういえば言っていた実験の結果だったんだけれどね。」


「あ、えっと。どうだったの?」


 私は知りたくないような微妙な気持ちで、それでも耳を傾けた。

 さゆりはとても楽しそうに、本当に楽しそうに鈴が鳴ったような声を出す。


「ふふふ。あなたも見られれば良かったのにね。楽しかったわよ。」


 彼女は詳しい内容を話そうとはしなかった。

 しかしその態度で、私は最悪の事態が起こったのだと悟る。


「そっか。満足だったの?」


「ええ。色々と分かったからね。」


 それ以上の事は、深くは尋ねられなかった。




 たぶん私は、20歳になるまでこの事を忘れられないだろう。

 そしてその年齢になったら、あの怪談と同じように結末をたどるのか。


 怖いか、と言われたらそうでもない。

 その時が来たら、私は喜んで運命を受け入れる。



 何故かそんな気がするのだ。




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