第2話 狐っ娘の正体

 プラネタリウムに着いた。


「モフモフさん、まさか」

「そう。ここが宇宙じゃ!」

「帰る」

「なぜじゃ! なぜそのような期待が外れたかのような顔をする!」


 俺の腕を引っ張りプラネタリウムに連れていこうとするモフモフさんに抗いながら、少し前のことを思い出していた。



  ☆☆☆☆



「おぬしをこれから宇宙へ連れて行ってやろう!」


 巫女服の袖をはためかせ、狐耳をぴこりとさせて、モフモフさんは言い放った。

 俺はぽかんとした猫みたいな顔をして背景に宇宙の画像を表示させた。


「宇宙……?」

「そうじゃ。宇宙じゃ。わらわは宇宙よりの使者、であれば、いつでも宇宙に行けるのは当然のこと」

「もうこの際モフモフさんがエセ宇宙人っぽいのは置いとくとして、俺を宇宙に連れて行ってなにをするつもりなんだ」


「フッフッフ……」

 両腕を組むモフモフさん。

「なに、宇宙へ行けば思い出さざるを得まいと思っての。まあ細かいことはよい、わらわについてくるのじゃ。いや、ついて来ざるを得まい……なぜなら!」


 思えばこの時すでにモフモフさんのフリーダム加減に、俺は少しだけ惹かれていたのかもしれない。仕事に人間関係に、様々なことでがんじがらめだった俺だから、モフモフさんに憧れに近い感情を覚えていた。彼女の大きな瞳が輝く。


「今日のおぬしは、なにもかも自由なのだからッ!」


 ああ、そうか。

 今日一日だけは――――



  ☆☆☆☆



 現在のこの状況に意識を戻す。そのなりだと目立つだろうからとモフモフさんには俺の帽子とコートを着せているので、巫女服やしっぽや耳は隠れているが、プラネタリウムに行きたがって駄々をこねているようにしか見えないので結局悪目立ちしている気がする。


「ぷらねたりうむ行ーくーのー!」

「……ああもう、わかったよ」

「ぷらねたりうむ行かないと地面に寝転んでイヤイヤしてやるのじゃー!」

「わ、わかった、わかったってば」

「そして末代まで呪ってやるわ」

「突然怖さレベルが数段上がるのやめないか?」


 とりあえず宇宙科学館の入館料を払い、中に入る。

 大きな地球儀のオブジェが、大広間のど真ん中で俺たちを出迎えた。


「うおーーーーーー!!」


 そしてモフモフさんは顔を輝かせている。


「すごい! すごいぞアユムよ! 地球がおっきい!」

「あんたケダマリン星から来る時これより遥かに大きい実物を見たはずだろ」

「あっちは、にゅー、ええと、にゅーとりの? の観測についてじゃと! ふおお、こっちもすごい! 『宇宙人は本当にいるのか?』を探るこーなーじゃ!」

「モフモフさん」

「なんじゃ?」


 俺は核心を突く一言を放った。


「宇宙人っていうのは嘘だよな?」

「さあおぬしよ、早速ぷらねたりうむに行こうではないか! 宇宙がわらわたちを待っている!」


 そそくさと小走りになるモフモフさんに、溜息をつく。なにがしたいのかわからないけれど、まあ今日は思わぬ休日を楽しむか。俺は「プラネタリウム、そっちじゃなくてこっちだよ」とコート姿のモフモフさんに声をかける。



  ☆☆☆☆



 予約もなにもしてこなかったから席があるかどうか不安だったが、なんとかギリギリ座ることができた。プラネタリウムなんて小学生以来だ。俺はシートに深く座り込み、ドーム状の天井を見上げる。既に淡く星が表示されていた。


「見よ! アユム! 星空じゃ! まだ昼なのに!」

「はいはい、静かにな」


 案内員の声が響く。「上映開始まであと少し! みなさん、カウントダウンを始めますよ! せーの!」


 客の、主に子供たちの声がカウントを始める。隣のモフモフさんも楽しそうに声を張り上げている。俺もなんだかワクワクして、途中から小声で参加した。3。2。1。


 満天の星空が広がる。

 先程までとは比べ物にならない、まさに宝石を散りばめたような空だ。

 天の川や、渦巻いた銀河、白く輝くインクを吹きつけたような星雲、その全てが真に迫っていて、俺は圧倒されていた。なんだか現実感がない。宇宙空間で浮かぶみたいな感覚がして、それをきっかけに、どこかでの記憶がよみがえる。田舎にある祖母の家で星空を見上げた記憶だ。『うん! スターウォーズ好き!』これは幼い頃の俺の言葉か?『だからおれは悪の宇宙人をたおすんだ!』星空の下で子供の頃の俺は木の枝を振り回していた。『将来の夢? 宇宙飛行士!』誰と話してたんだったか。『宇宙飛行士になって、星々をわたりたい!』そんなことも言ってたなあ。『その時はおまえも連れてってやるからな、モフモフ!』


 えっ?


 遠くへ意識を飛ばしていた俺は、はっとして隣を見る。

 モフモフさんはすっかりはしゃいでいて、大きな瞳に鮮やかな星を映している。


 なんだ?


 もう少しでなにかを思い出せそうなのに、プラネタリウムの案内員の声に思考が遮られる。


「……そして、この光り輝く星空に埋もれてしまっている星もあります。先程申し上げた、六等星もそうです。光が弱くても、見つけづらくても、夜空には見えている星以上のたくさんの星があるのです」


「おぬし! 聞いたか!? 宇宙にはたくさんの星があるのじゃ!」

「はいはい……。……ねえ、モフモフさん」

「おお……! 六等星というやつは、寂しい星なのじゃな……なかなか見つけてやれぬ、寂しい星……」

「…………」


 まあ、盛り上がっているところを邪魔することもないだろう。

 思い出せた範囲のことは後で訊くことにして、俺はモフモフさんと一緒にプラネタリウムを楽しんだ。



  ☆☆☆☆



「いやー、最高じゃったな! 宇宙ってあんな感じなんじゃろか!」

「もはや隠す気ないよな?」


 プラネタリウムを出た俺とモフモフさんは一通り常設展示を見たり体験したりして回った後、科学館一階のレストランに来ていた。宇宙丼とかいうのがあったから注文したけど、色が青くて食欲がそそられない……。


「まあでも、今日は楽しかったよ。まだ昼だけどさ。ありがとう、モフモフさん」

「んっふっふ、礼には及ばぬ。して、思い出したか?」

「え? あー……」


 将来の夢についての話? と訊くと、帽子の下の狐耳がぴこーん! と立った。


「そう! それじゃ! 思い出したか! よかった……!」

「やっぱりこれを思い出させるために宇宙人のフリを?」

「そうじゃ。迫真じゃったろ?」

「別に……。でも、思い出したから何なの?」

「決まっておろう。おぬしはこれから宇宙飛行士を目指すのじゃ!」

「はあ!?」


 モフモフさんは宇宙スープをスプーンでずず、と啜りながらさも当然といったような目を向ける。


「おぬしは夢を忘れて、ぶらっく会社? の、社畜? になっていたではないか。もうそんな日々とはおさらばじゃ。夢に生きるのじゃ」

「んなこと言われても。昔の夢だよ」

「ほぁ?」

「もう俺は宇宙飛行士を目指す気はないよ。今から目指したって無理だろうし。昔ほど魅力も感じないしなあ」


 カラン、と金属音がした。

 モフモフさんがスプーンをとり落とした音だ。


「……モフモフさん?」


 うつむいている。テーブルの上に置いた拳が震えている。

 激情をなんとか抑えつけようとしているように見える。


「……なんでじゃ」

「モフモフさん」

「わらわは! わらわはおぬしが抱く宇宙飛行士の夢のために神になったのじゃぞ!」


 立ち上がって、叫ぶモフモフさん。周りの人の視線が集まる。

 俺は戸惑うしかない。


「と……突然どうしたんだよ」

「うるさい! おぬしなぞ嫌いじゃ!」

「え、ちょっ、モフモフさん!?」


 モフモフさんは「なんでなんじゃー!」と喚きながら駆け出して、レストランをダッシュで出ていく。

 な……なんなんだ……?


「って、追いかけなきゃ」


 俺は慌てて荷物を持って、走り出す。

 なにがなんだかわからないが、ひとつ確かなことがある。

 モフモフさんは、泣いていた。



  ☆☆☆☆



 小さな背中は簡単に見失ってしまいそうで、俺は焦る。


「モフモフさぁん! どこ行くんだよ!」

「うるさいっ! わらわはどうせひとりぼっちじゃ!」

「意味わからないぞ!」


 モフモフさんが点滅する青信号の横断歩道を渡る。俺が行く頃には赤信号になっていた。すぐに車が通りだして、足止めされる。


「くっそ、なんなんだ」


 見えなくなっていく背中。

 その光景を見て、なにか記憶が再生される。

 フラッシュバックに近かった。


 中学時代の修学旅行の記憶だ。


 友達のいない班に振り分けられてしまった俺は、班で孤立していた。京都を散策する時も班員の誰とも話さない。まあ孤独には慣れているつもりだった。もともと友達は少なかったし。それに、別に蔑ろにされているわけでもなかった。

 だからあれは悪気のないことだったのだろう。

 班員たちが信号のある横断歩道を渡る中、俺だけが渡り遅れ、道路を挟んで取り残されたことがあった。俺は、そんな俺に気づいて待っていてくれるだろうと期待した。けど、班員たちはひとり欠けたことに気づいた様子はなく、どんどんと歩いていく。俺は遠のいていく彼らを見送った。彼らの談笑する様子は遠くから見ても楽しそうで、


 なんでこんなこと思い出してんだよ。


「……ちくしょう」


 青になったので走る。モフモフさんは見失ったが、なんとかして見つけるしかない。俺は嫌な思い出を振り払うようにして、探すことに集中した。



  ☆☆☆☆



 そろそろ体力が限界だった。

 舗装された海辺の道を歩いていた。ベンチが並んでいる。息を整えながら、若干よろめきつつベンチのひとつに近寄っていく。


 息切れは徐々に収まっていく。


 俺はゆっくりとベンチの右端に腰を下ろした。


 左端で泣きべそをかいているモフモフさんを、横目で見る。

 律儀に帽子とコートは脱いでいなかったが、コートからはもふもふのしっぽの先端が覗いていた。


「わらわは……」


 絞り出すような声で、モフモフさんが語りだす。


「わらわはわらべの頃のおぬしに、命を助けられた一匹のキツネじゃった。おぬしは、おぬしに懐いたわらわをいつもそばに置いてくれた」


 昼の太陽が照らす海を見ながら、うじゅ、と洟をすするモフモフさん。


「夢を語るおぬしが好きじゃった。孤独で、根暗で、臆病なのに、夢を語るおぬしの瞳は美しかった。けれどわらわはキツネじゃ。おぬしの力にはなれない。そのことが悔しかったんじゃ。……おぬしが小学五年生の時に転校して田舎を去った後、残されたわらわは山で静かに死んだ。思いを残したままで。きっとそのせいじゃろう、わらわは霊となってこの世とあの世の狭間を漂った。これぞ僥倖と、わらわは生前からの願いを続けた。大好きな恩人の夢が叶いますようにと。……年月が過ぎ、わらわの願いが神の目に留まったのじゃろう。おそらくは神の気まぐれにより、わらわは一時的に神として顕現することを許されたのじゃ」


 そこまで言ってモフモフさんは、キッと俺を睨むようにして見た。


「おぬしの宇宙飛行士の夢を支える、神として、顕現を許されたんじゃ!」


 俺はなにも言えず、モフモフさんのくしゃくしゃになる顔を見ている。


「どうしてじゃ……どうして昔のことだと一言で片づけられるんじゃ……わらわはずっと、おぬしのために……」

「モフモフさん……」

「ほんとうに……目指す気はないのか? 諦めてしまったのかの……?」


 涙を拭いながら問いかけてくるモフモフさん。

 俺は……、

 俺はこう答えるしかなかった。


「……うん。俺は宇宙飛行士の夢を、諦めたんだ」

「……!」

「でも」


 思い返す。この半日のことを。

 朝からどたばたしていた。宇宙科学館に着いてからも、自由なモフモフさんに引っ張られて……けど、楽しかった。こんな日が続くとは思わない。明日はどうせ休日出勤で、地獄の社員生活がまた始まるだろう。でも。


「俺には子供の頃から変わっていないところだってある。きみはなぜか俺と添い寝してくれてた時、しっぽを抱かせてくれてたんだろ? あの感触で、懐かしい気持ちになってさ。俺もきみのことを覚えてたんだよ。きみと一緒にいられる楽しさのことをさ……っていう……うん……だから俺はモフモフさんと一緒にいたい。モフモフさんと一緒にいる幸せさえあればいい。……だめかな?」


 言い終わってから、なんだかプロポーズみたいで恥ずかしいこと言ってんな、と思う。

 彼女の顔をうかがう。

 戸惑っているか、それとも嬉しがってくれているか……


「わらわはな」


 モフモフさんの表情はそのどちらでもなかった。


「わらわはおぬしと一緒にいることはできぬ」


 え?


「……え?」

「一時的に顕現を許されたといったじゃろう。もとより、わらわはただのキツネ。わらわを維持する神力は、今日一日しかもたぬ」

「それって」


 モフモフさんは立ち上がり、涙を散らし、吐くように言った。


「おぬしと一緒にいられるのは、今日限りなのじゃ……!」

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