第32話 教えてカー子先生②

 ――楽しくない……


「ほら、タカシ。次はこっちの魔法陣ですよ」


 斜め後方から俺を呼ぶカー子の声が聞こえる。一体俺はどれほどの回数、この工程を繰り返したのだろうか。


 ――楽しくない…………


 俺はその声に振り向くと、カー子の手によって新たに地面に描かれた魔法陣に駆け寄っては、指先に小さく付けた傷口から血を垂らして魔法を起動させる。

 

 カー子曰く魔法陣の勉強は魔力を使用せずに自宅で勉強可能な為、今日は徹底的にカー子が描いた魔法陣に血を垂らして魔法を起動させ、”魔法陣に魔力を送り込む感覚”というモノを掴む為の訓練を延々と行う事になった。


 特訓再開の合図から、かれこれ二時間はこうしているだろうか。

 俺は先程から交互に描かれた風属性と土属性の魔法陣の元へ移動しては、垂らした血液によって起動した魔法を眺めながら、魔力の流れを感じる為に集中するという作業を只管繰り返している。


 魔法陣というのは不思議な物で、一度地面に描いた魔法陣を起動させると、魔力を使い切り効果が終了した時点で形が崩れて痕跡の様な模様が残るだけで再び魔力を送り込んでも魔法陣の体を成さなくなる。


 この現象はカー子によると、紙や布等に描いても同様の結果になるそうで、以前に見かけた『魔導装甲列車』やゴーグレの町にある巨大魔法陣の様に、鉱物を利用した上で継続的に魔力を徴収し続ける事で、結果的に効果の終了を迎えない『半永久式魔法陣』と呼ばれる特殊な仕組みの魔法陣だけが例外であるという。


 故にこの世界に生きる住人達は皆、魔法陣を起動させるだけならば誰にでも、それこそ赤子にだって出来る訳だが、こと実戦的な魔法に関しては、魔法陣の術式を知識として修めた上で、状況に応じて脳内で魔法陣を組み上げ、空間に魔法陣を展開、血を流す事無く魔力を流し込む事で術式を起動出来て初めて【魔法使い】と呼ばれるらしい。


 実際予め用意した魔法陣の描かれた紙を一枚一枚選んだ後、いちいち血を垂らしていたのでは、状況が移り変わる実戦においては、魔法など使っている間も無いという。


 そのため俺は、現在居る草原地帯の一角、地面の露出した一帯を、ひたすらカー子の描いた魔法陣を追いかけ回して、ぐるぐると時計回りに行ったり来たりしながら魔法陣を起動させるだけ、という単純作業を延々と繰り返している。


 ――楽しく、ない…………


 最初の一周程はまだ楽しかった。カー子が描いた風の魔法陣と土の魔法陣に血を垂らす度に、交互に発動する魔法が楽しくて暫く眺めていられた。


 しかしそれが二週、三週と繰り返し、何十週と続いてくると話が変わってくる。

 代わり映えのしない魔法をどれだけ集中して眺めてみても、一向に魔力の流れなど感じる事は出来ないし、傷口が乾いて塞がる度に新たに小さな傷を付けるという作業のせいで、俺の左手は既に傷だらけ、肉体的にも精神的にも苦痛を伴うこの特訓は、刻一刻と俺の身体と精神を蝕んでいた。


 この恐るべき退屈な単純作業に比べたら、刺身の上にタンポポを乗せる仕事の方が、まだ幾分かやり甲斐と楽しみを感じられるのでは無いだろうか。


 俺は既に効率化された機械的な動きで最早本日いくつ目になるかも判らない魔法陣を起動させると、集中出来ているのかどうかも分からない虚ろな目で眼の前の魔法を眺めながら思うのだった。


 そう――この魔法の特訓と言う名を借りた単純作業拷問、全く以て楽しくも何とも無いのだ……!


「うがぁああああ! 全然楽しく無いよぉおおおおおお!!」


 遂に限界を迎えた俺の魂の叫びに、ビクリと震えたカー子が目を見開きながら此方へと振り向いた。


「はぁ……もう音を上げるのですか?」


 溜め息混じりに返事を返したカー子は眉間にシワを寄せると、腰を曲げて見上げるような角度でジト目をこちらに向けてくる。


「うっ……」


 呆れたようなカー子の視線にズキンと心が痛む。

 

 やめてくれ、その視線は……俺に効く……


「始めに言いましたよね? スパルタで特訓すると。それに元々言い始めたのはタカシの方からですよ?」


 全く以て正論である。返す言葉もない。

 しかし実際問題この特訓は、肉体的にも精神的にもかなりの負荷を伴うのだ。


 魔道に全てを捧げてその道を志す探求者と違い、今の俺は働きながら休日の時間を使って魔法も覚えようという身だ。

 身体を休める為の休日に心身共に酷使して、体調を崩したのでは元も子も無い。


「それは確かにそうなのだが……身体を壊したらそれこそ元も子も無いだろう? そこを何とか大精霊様のお力で裏技的にショートカット出来ませんかねぇ?」


 先程息巻いたばかりという手前、その気不味さから逃げるように、言い訳を交えながら茶化す形で頼んでみたのだが、その事が完全に裏目に出てしまったという事をこの時の俺はまだ知らない。


「……いいでしょう。使わせてあげましょう……それもタカシご希望の火属性魔法を、今すぐに」


「え? マジで? 出来るの? さっすがー」


 思ってもみなかった景気の良い返事に、思わずテンションの上がる俺。


 そう――、この時俺は見逃していたのだ。カー子のこめかみに浮かび上がる一筋の青筋を。


 聞き逃していたのだ。景気の良い返事の後に続けて放たれた「一体何が原因でその大精霊の力を失っていると思っているんですか……」という、怒りに震える微かな呟きを……

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