第16話 タカシ、クビになる

 そういった話を聞かせて貰いながらの食事を終えて、おっちゃん達と別れた俺達は、奢ってもらった酒の代金とは別に、自分達で食べた食事代の分を店員に支払っていく。


 今晩の食費は二人で150ゲイツだった。ちなみにゲイツはこのマイコーロフト王国の主流貨幣である。

 先程おっちゃん達の話に出てきたエイプル帝国ではジョブズと呼ばれる貨幣が流通しており、俺達が今いる大陸では殆どの地域でこのゲイツ通貨かジョブズ通貨が使われているらしい。


 俺は財布の中身を確認して溜め息を吐く。

 昼間の服屋でカー子の服に下着代、予備の服等を購入して約3000ゲイツ、今晩の宿泊費が朝食付きで500ゲイツの出費だ。


 財布の中身は残り6000ゲイツ程度、朝食は付いてくるとして昼夜二食をここで食べた場合、俺達は残り一週間も経てば有り金を使い果たして宿無し生活を強いられる事になる。


 一週間――それは俺達にとって余りも短すぎる猶予だった。

 元いた世界で一ヶ月半就職活動をして何一つ実りが無かったのだ。 今更一週間程度で何が出来るのだろうか。

 そもそも給与が月払いの仕事を選んだ時点でアウトである。出来れば日払い、最低でも週払いの仕事を探す必要があった。


 短すぎる猶予に加えて条件付き。無理だ、無理に決まっている。財布の中身を見つめながら俺の頭の中には既に”諦め”の二文字が浮かび始めていた。


 トントン――――


 唐突に肩を叩かれる。俺はビクリと跳ね上がって後ろを振り返った。カー子が二階へと続く階段の方を指差している。

 二階から上には俺達の部屋を含む客室があるだけだ。飯を食ったら眠くなってきたのだろうか? 支払いを終えた俺の腕を引っ張りながら階段へと向かおうとするカー子に対して、俺は若干の苛立ちを覚えながら苦言を呈する。


「おいカー子、旅疲れで眠いのは解るがもう少し我慢してくれよ。このままだと後一週間ちょっとで路銀が底を突いちまうんだぞ」


 しかしカー子は俺の言葉などまるで意に介さない様子で、階段の上り口付近まで俺を引っ張り続ける。

 そして急に腕を離したかと思うと階段の側面にある掲示板を指差すのだった。


「タカシ、これ……」


 俺の視線はそこに貼られていた一枚の紙に釘付けになっていた。


 【従業員募集――募集人数2名。内、食堂のウエイトレス1名。宿のスタッフ1名。宿泊費無料、まかない付き。給料は要相談――フロントにて従業員にお声掛け下さい】


 俺とカー子はフロントに向かって走り出していた。



 ◇



 内藤高志24歳、引き篭もり歴十年。いわゆる社会不適合者であった俺は、この異世界で初めて働き始めていた。


「タカシ君、カー子ちゃん、お疲れ様。今日はもう上がっていいよ。それと着替えたらちょっと私の部屋まで来てもらえるかな?」


 あれから5日が経っていた。俺とカー子はその日のうちに面接をしてもらい、翌日からここ『働き者のオアシス亭』で働かせてもらっていた。

 面接の時に自己紹介を求められたカー子が「私は世界の秩序を司る大精霊カーバンクル――」と初めて森で俺に出会った時と寸分違わぬ自己紹介を始めた時はどうなるかと思ったものだ。皆まで言わせず拳骨を喰らわせて黙らせたのは記憶に新しい。

 

 その時は流石にポカーンと口を開けるばかりの店主だったが、俺達の必死さが伝わったのか、若干引き気味ではあったものの、無事こうして雇用契約を結ぶに至った訳だ。


 そして今、呼び出しを受けて俺達は店主の部屋へとやって来ていた。


「悪いのだけれど、君達には今日限りで仕事を辞めてもらいたい」


「「えぇ? 何故ですか!?」」


 俺とカー子が同時にハモる。


「その返事が返ってくる時点で頭が痛くなってくるんだが……まずカー子ちゃん、君は一体今日までに何枚皿を割ったかな?」


「うッッ……!」


 カー子が担当していたのは食堂のウエイトレスだ。「こんな美少女が来てくれるなんて、ウチの看板娘の誕生だね」等と喜んでくれていた店主が苦虫を噛み潰したような顔をしている。一体何枚皿を割ったんだ……


「そしてとどめに今日、お客さんに暴力を振るったね」


「あれは! 酔っ払ったお客様が、私のお尻を触ってきたから……」


「うん、それはお客様も悪かったけど、いきなり暴力は良くないよね? まずは注意して、聞く耳を持たないようなら上に相談するなりしてくれないと。君、聞いた話によると無言で近くにあった椅子で殴りつけたそうじゃない」


 なんてバイオレンスなウエイトレスだ。俺だったらそんなウエイトレスを見かけた店は二度と御免である。


「カー子、お前何してくれてるんだよ……」


 店主がぐるりとこちらへ振り返る。


「タカシ君、君もだからね?」


「へ?」


 標的が俺へと変更される。


「お客様、特に女性客からの苦情が多いね。目を見て話さないし、ボソボソと喋っていて何を言っているのかわからないと。カー子ちゃん相手だとこんなに堂々と喋れるのにどうしてだい?」


「そ、それは……」


 こちとら引き篭もり歴十年の彼女いない歴=年齢の身である。

 中学以来まともに会話した事のある異性など、それこそ正真正銘カーチャンとカー子の二人だけである。

 方や身内、方や精霊である。特にカー子とはその関係上、まともに話せぬまま別れていれば今頃あの森で野垂れ死んでいたであろうから仕方がない。


 そんな二人と同等のコミュニケーション能力を、まったく見知らぬ赤の他人、特に女性に対して発揮するというのは今の俺にはあまりにも荷が重い仕事であった。


「まあ他にも色々有るけれど、二人の働く姿をここ数日見させてもらった限り、面接の時に話していたような田舎から出稼ぎに出てきた真面目な若者というよりは、生まれてこの方一度も働いた事の無い世間知らずといった印象を受けたというのが私の感想だ」


 これには返す言葉も無い。全くもって正解なのだから。


「そんなわけで改めて悪いのだけれど、君達は今日限りでクビだ。迷惑を掛けたお客様の視線もある、悪いのだが明日の昼までにはチェックアウトを済ませて出ていってほしい」


「そんな……」


「私だって心苦しいんだ、分かってくれ。新しい宿の紹介はするし、お給金の方も少しではあるが色を付けてあげよう」


 そういうと店主は俺達にこの5日間の給料が入った封筒を手渡して、部屋から退出させるのだった。

 この日、俺の人生初となる就職は、一週間も経たずにクビという形で幕を下ろした。 


 部屋に戻った俺は自分の不甲斐なさに唇を噛み締めるばかりで、結局その日は朝まで寝付く事が出来なかった。


 一体何が異世界適合者なのだろうか、俺はこちらの世界にやって来てなお、依然として不適合者のままだったのだ。

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