第11話 大精霊の奇行

 目と鼻の先まで迫り来る脅威――ジャイアントオークの群れを余所に、突如俺の指をカッターで切りつけたかと思えば跪いて指を咥え始めるカー子。


「はむっ……んっ……チュパ……チュポ……」


 俺の指に右手を添えて、左手で顔に掛かる髪を掻き上げながら一生懸命といった様子で俺の指を咥えてしゃぶるカー子の姿は、命の危機が迫っているというのに、いや、命の危機が迫っているからなのだろうか、やけに艶やかで扇情的なモノに感じられた。


 早まる鼓動を押さえつける様に残された右手を心臓の上に重ねて心を落ち着かせた俺は、先程まで聞こえていた重厚な地響きにも似た足音が静まり返っている事に気付き戦慄した。

 そして、俺は、ゆっくりと、後ろを振り向き――絶望する。


 そこには醜悪な面を更に醜く歪めてブヒブヒと下卑た笑みを浮かべるジャイアントオーク達の姿があった。

 ジャイアントオーク達はようやく追いついた二匹の獲物を、万が一にも逃さぬようにとゆっくりと輪を描くように取り囲み始める。その数、八、九、十……十ニ匹。


「おい! カー子ぉおお!!」


 俺はこの異常な状況に思考が麻痺し、走って逃げ出すことも、未だ指を咥え続けるカー子から指を引き抜く事すら出来ずにいた。


「んっ……もうふこひれふ……」


 もう少し? なにを言っているのだろうかコイツは、もうお終いなんだよ。俺も、お前も……


 周囲を見回す。ジャイアントオーク達の包囲はもはや完璧に完成してしまっていた。

 俺の正面、つまりはカー子の後ろに居る一匹のジャイアントオークが雄叫びを上げながら手にした斧を振りかぶる。


 一体何故こんな事になってしまったのだろうか――

 無職で引きこもりの社会不適合者だから異世界転移してしまった? そう言われて一体誰が納得できるというのか。そもそも俺は何故引きこもりになったのだろうか――


 ハーフの母親を持つクォーターで周囲から浮いしまっていたから?

 十四の時に父親が失踪した事が原因で受けた精神的ショックから?

 クラスメイトや近所の住人から向けられる視線に耐えられなかったから?

 学校を休み始めた俺に一切怒らないカーチャンの優しさに甘えてしまったから?


 きっと答えは一つでは無く、全てが複雑に絡まりあった結果、ほんの少し足を踏み外してしまったのが今ここに居る俺なのだろう。

 命の危機に瀕し、遅すぎる自己分析を後悔と共に、母への親不孝を懺悔する青年の姿がそこにあった。


(もう駄目だ――! ごめん――カーチャン――!)


 これから下されるであろう残酷な死の鉄槌に身体を強張らせて、目を瞑り先行く不幸を母に詫びたその瞬間――


 ――チュポン。


 彼女の唇から俺の指先が解き放たれた。そして――


「お待たせ致しました」


 ――彼女の声が力強く響き渡る。



 嗚呼、なんだか暖かいな。俺は死んだのだろうか?

 何だか心が落ち着くような、まるで温かい光にでも包まれているような感覚が俺を包み込んでいた。


「……カシ――」


「タカシ――」


「タカシ――――!」


 俺を呼ぶ声にハッとして目を開くと、目の前には先程の膝をついた状態から立ち上がったカー子が名前を呼びながら俺の顔を覗き込んでいた。


 あれ? 死んで……ない? なんで? ジャイアントオークは?

 振り下ろされた筈の斧の行方を求めて視線を上へと向ければ、そこには俺達の頭上から僅か数十センチ程離れた場所で、淡く赤色に光り輝く壁に進行を阻まれた一挺の斧と、その先で振り下ろした斧を握り締めたまま驚愕の表情を浮かべるジャイアントオークの姿があるのだった。

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