第3話 異世界適合者

「ようこそ異世界へ、社会不適合者様。いいえ……異世界適合者様」



 声に釣られて俺が振り向くとそこには、鬱蒼と木々が生い茂る森の中には、到底不釣り合いと思えてしまう、真紅のロングドレスを身に纏った美少女が立っていた。


 背中まで伸ばした燃えるような赤髪に、キレのある力の篭った吊り目がちな美しいエメラルドグリーンの瞳。

 腰開きのスリットが左右に入ったマーメイドラインのロングドレスと、ウエストラインを締め付けるベルトが彼女の体のラインを際立たせる一方で、開いた胸元で所狭しと主張を続ける双丘と、その谷間で赤く光り輝く巨大な宝石が眩しすぎて、俺は目のやり場に困っていた。


 俺が彼女の出現とその風貌に動揺し、何から聞くべきか迷っていると、そんな様子に彼女は察しがついたのか、自分から続く言葉を切り出してくれた。


「初めまして、異世界適合者様。私は世界の秩序を司る大精霊カーバンクル。私の事を呼ぶ際は可愛らしくカーちゃんとお呼びください」


「そ、そうか……ご丁寧にどうもどうも。俺はタカシだ。それじゃあカーバンクルとやら、俺は急いでいるのでこの辺で失礼するよ」


 頭のおかしい奴と出くわしてしまった。そう思った俺は名を名乗り一礼すると、彼女に背を向け行くアテもなく森の中に向かって歩き出した。


 うん、これでよかっただろう。変な奴とは関わらないに越したことはない。

 呆気にとられた様子の彼女を置き去りにして、そのままこの場を去ろうと足を早める俺だったが、やはりと言うべきか呼び止められてしまった。


「ちょっ……ま、待ちなさいよ!」


 振り向くと顔を真っ赤にした彼女――自称大精霊カーバンクルが慌ててこちらへ駆け寄ってきた。


「どう考えても! これから私が貴方にここはどこなのか、一体何が起きているのかとか色々説明してあげる流れだったでしょ!?」


「いや、いいよ何か怪しいし。出会って早々に口調が崩れてるし……それにあれだろう? 此処は夢の中とかそういう感じだろう? そうでもなければ、いきなりこんな見覚えの無い森の中に居る訳が無いし、俺なんかにアンタみたいな美少女が話しかけてくるとも思えない」


「び、美しょ……」


 自称カーバンクルは何やら顔を赤くしてモゴモゴ言っている様子だが、声が小さくて聞き取れない。

 俺はというと、既にこの非現実的な状況に理解が追いつかず、勝手に夢だと納得してしまっているため気楽なものだ。


「どうせアンタも俺が作り出した妄想で、はぁ……このむちむちプリンだって触ることすら出来ない夢の塊……」


 そういって顔を赤くしたまま俯いている彼女に向かって、溜息混じりに手を伸ばして俺は絶句する。


 そう、

 ポヨンという感触が手の平に広がり、余りにリアルな感触に驚き俺は確かめるように二度、三度と手の平に掴まれたを揉みしだく。


 夢というのはこんなにもリアルなモノだったろうか? 明晰夢というのは何度か見た事があるが、ここまでリアルな感触を味わった経験は俺には無い。一体どういう原理なのだろうか?


 そして――


 右手の感触から意識を戻し、考察を終えて閉じていた目を見開くと、先程までとは違った意味で顔を真っ赤に染め上げた彼女が――否、一匹の般若が手を振り上げている姿が視界に飛び込んできた。



 ◇



「ずびまぜんでじだ……」


 俺は頬を真っ赤に腫れ上がらせながら、目の前の美少女に向かって膝をつき、地面に頭を擦り付けていた。いわゆる土下座である。


「はぁ……もういいですから、頭を上げてください。それと顔、失礼しますよ」


 そう言うと彼女は腫れ上がった俺の左頬にそっと触れる。

 彼女の手の先へと視線を向けると、そこには淡く白い光に包まれた見たことも無い模様の入った円陣が浮かび上がっていた。

 そして、そのまま頬に手を当てられ少しすると、途端に頬の痛みが引き出した。

 慌てて俺は自分の頬を触ってみるがやはり痛みは無い、それどころか腫れすらも引いていることに驚きながら、ゆっくりと立ち上がるのだった。


「こ、これは――?」


「そう、それが魔ほ――」


「やはり……夢!?」


 彼女は再び無言で手を振り上げた。


「サーセン! やっぱ嘘! 現実でした。もう痛いのは無しでお願いしゃっす!」


 勢い良く腰を曲げて謝り倒す俺に対して、本当に反省しているのだろうか? と疑るようなジト目でこちらを見つめていたが、暫くすると諦めたのか、ようやく振り上げた手を引っ込めてくれるのであった。


(た、助かった……)


「先程使ったのは治癒の魔法です。そして此処は貴方が住んでいた世界とは異なる時空にある世界、つまりは異世界ですね」


 異世界という、にわかには信じがたい単語を耳にして俺はここに来る前の記憶をよく思い出してみる。


「異世界? 俺は面接の帰りに公園に寄って……そうだ! ネカフェに向かう途中の路地裏で足の付かない水溜りに落ちて、沈んだんだ!」


「その水溜りが原因でしょうね。別に見た目は水溜りとは限りませんが、時空の歪み、同じ箇所における極端な魔力の膨張など、様々な理由が積み重なり貴方の居た世界とこの世界、異世界を繋げるゲートのようなモノが開いてしまう事が極稀にあるのです。」


「その穴に俺は偶然落ちてしまったという訳か、しかしなんだって俺みたいな何の変哲もない一般人がこんな目に……」


「本当に何の変哲の一般人でしたか?」


 どういう意味だ? と俺は首を傾げる。


「えーと、タカシ様……でしたか? タカシ様は向こうの世界、仮に現実世界としましょうか。現実世界で本当にただの一般人だったのでしょうか? 何かしら問題があって社会不適合者と呼ばれるような存在だったのではありませんか?」


 心当たりは……ある。だが何故今そんな事を聞くのだろうか?


「通常この異世界にも、タカシ様の住んでいた現実世界にも、目には見えず感じ取ることも出来ない理、『世界の意志』という力が存在しています。『世界の意志』とはその名の通り、世界の秩序、強いては秩序の従い生きる者達を守ろうと働く力です。この力のお陰で通常、この異世界と現実世界に時空の繋がりが出来たとしても、別世界の生き物は『世界の意志』に守られて迷い込むことはありません」


「じゃあなんで俺はこの異世界に迷い込んだんだ?」


「そこで社会不適合者です」


「そういえば最初に声を掛けた時も言っていたな、社会不適合者だの異世界適合者だの……」


「はい、結論から言ってしまうと、タカシ様は現実世界における『世界の意志』その秩序の力が認めた人間のルールから逸脱してしまい、社会不適合者、つまりはその世界の加護を授かるのに不適格であると判断された訳です」


 それで社会不適合者、転じて異世界適合者か。字面だけは格好いいがまるで嬉しくないな。

 要は『世界の意志』とやらに見限られてこの異世界に放逐された訳だ。

 不法投棄もいいところじゃないか、ゴミじゃないんだぞこっちは。


「ご理解頂けたでしょうか? それで本題に入りますが?タカシ様は現実世界への帰還を望まれますか? それともこの異世界での定住を望まれますか?」


 今、何と言った?


「か、帰れるのか? 元いた世界に!?」


 気が付くと、俺は彼女の肩を掴んで激しく揺すっていた。


「お、落ち着いてください。帰れるかどうかはタカシ様の努力次第です」


「俺の……努力?」


 ようやく肩を揺さぶる俺の両腕から開放された彼女は目を回しながら答える。


「先程話したように、現在のタカシ様は現実世界の『世界の意志』から見限られ加護を失った状態です。このままでは帰ることもできませんし、仮に帰れたとしても、今のままではまた何時、何処で異界のゲートに落ちてしまうとも限りません」


 確かに、それでは何の解決にもなっていないだろう。


「現実世界と、この異世界における『世界の意志』は表裏一体。秩序の理こそ違いますが本質は同じものであり互いに繋がっています。故にタカシ様は元いた世界で社会不適合者と判断された原因。それを心を入れ替え克服して頂き、『世界の意志』を通して現実世界で失った加護を取り戻す必要がある訳です」


 成る程、『世界の意志』に認められるだけの成果を残して、社会不適合者の烙印を撤回してもらうという訳か。

 俺の何が社会不適合者だったのか、考えるまでもない。十年に渡る引きこもり、そして無職である。


 という事はつまり……


「俺はこの世界でも就職しないと、帰れないって事かよおぉぉぉ!!」


 俺の絶叫が深い森の中に響き渡るのだった――

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