二、世界が彼を拒んだ日

 そうして、刑は滞りなく執行されました。

 黒い髪の男の人と、白い髪の女の人は、世界の内側へ押し込まれました。



 ***



 黒い髪の男の人は、白崎一生という名前で生活を始めました。

 白い髪のエルディリカは、白崎唯吏という名前で生活を始めました。


 新しい世界は、それまで二人が生きてきた場所とは全く違う世界でした。

 剣も魔法も使わないその平和な世界で、二人は力を合わせて生活を始めました。


 けれど、新しい世界での生活は、思った以上に大変なものでした。


 住む家を確保することも、一筋縄ではいきませんでした。

 食っていくにも、食べ物を買うお金がありません。

 お金を稼ぐための働き口も、どうやって見つければいいものか。


 二人は協力し合い、方々から情報を収集して、少しずつ世界になじんでいきました。



 ***



 何年かが経ち、唯吏の白い髪が黒く染まってきた頃のことです。

 一生が神妙な顔をして、唯吏に言いました。



『お前さえよければ、なんだけど』



 一生の言葉に、唯吏は首を傾げました。



『何だい、改まって』



 唯吏が尋ねると、一生は意を決したように言いました。



『そろそろ夫婦になりませんか』



 その言葉を受けて、唯吏はぽかんとしてしまいました。

 それから少し考えて、困ったような顔で言いました。



『君に、黙っていたことがあるんだ』



 その表情につられたように、一生が眉根を寄せました。

 唯吏は頭を掻くと、少し言いにくそうに口を開きました。



『私は、何と言うか……普通の人間じゃない』

『それはそうだろ。あんなところで働いてたんだから』

『いや、そうじゃない。そういう意味ではなく』



 説明する言葉を探すように、唯吏はこめかみの辺りを揉みました。



『私は、こう……変なことができてしまう』

『変なこと』

『例えば、人の考えていることがわかったり、よくわからない力が使えたりする』

『ほう』



 身振り手振りを使って、唯吏は説明を続けます。



『ベタなところで言えば結界とか……あと、生命力が無駄に強い、ものすごく』

『へえ』

『だから、その……私は、普通の人間じゃない』

『そうみたいだな』



 一生は唯吏の話を聞き、腕を組んで、首を傾げました。



『それが何だ?』

『へ』

『それを言ったら俺だって、元の世界で何人殺してきたかわからない』

『いや、それを言ったら私もそうだ』

『お互い、この世界じゃどうしたって普通の人間じゃないだろ』



 心底不思議そうな顔で、一生が言います。



『それが断る理由として充分とは思えないんだが?』



 唯吏はぐっと言葉を詰まらせ、視線をさまよわせました。



『あ、そ、それともう一つ』

『まだあるのか』



 往生際が悪い、とでも言いたそうに、一生が眉根を寄せました。



『私と君はほぼ同一個体レベルで似ているらしい……と、言われた』



 自分と一生を交互に指差しながら、唯吏は言います。



『元素とか、成分とか、はたまた魔力の構成とか、そういう諸々がほぼ一致しているらしいんだ』

『へえ』

『私が、樹の外側から君の心を読み取ってしまった原因も、どうやらそこにあるらしいんだが』

『それで?』

『そ、それで……だからつまり、元素レベルでは同一人物みたいなものってことで』

『だから何だ』



 呆れたように溜息を吐いて、一生は言いました。



『俺は俺で、お前はお前。別人だろ?』

『それは確かにそうなんだが』

『それとも、何か? お前には俺と夫婦になりたくない理由でもあるのか?』

『そんなものはないさ!』



 力強く否定してしまってから、唯吏ははっとしたように口を塞ぎました。

 一生はその様子を見て、笑いました。



『じゃあ、夫婦になれない事情でもあるのか?』

『ない、が……』

『だったら断る理由はないんじゃないのか』



 そう言うと、一生はじっと唯吏の顔を見て、言いました。



『改めて、一緒に生きよう。これからは家族として』



 その言葉に、唯吏はまた言葉を詰まらせました。

 一生が、それを本心から言っていることが分かったからです。



『迷惑をかけると思うよ?』

『それこそ今更だ。お前がよそに迷惑をかけるよりずっといい』



 それから、黒い髪の二人は夫婦になりました。



 ***



 二人が夫婦になってしばらく経った頃、二人の間に赤ん坊ができました。

 二人はたいへん喜び、幸せな気持ちで出産の準備を整えました。



『強い子に育ちますように』

『優しい子に育ちますように』



 二人は毎日のようにそう願いながら過ごしました。


 やがて二人の間には、両親によく似た、黒い髪の男の子が生まれました。

 二人は自分たちの名前からそれぞれ漢字を取って、自分たちにとって唯一のものであるという意味も込めて、その男の子に『吏生』と名前を付けました。



『顔はお前に似ている気がするな』

『そうかな。君にも似ているように思うのだけど』



 二人の愛情を受けて、吏生はすくすくと育ちました。

 どちらに似たのか、腕っ節の強い子供になりました。

 また、育てば育つほど、顔は母親である唯吏に似ていきました。



『少し、心配に思っていることがある』



 ある日、唯吏が神妙な顔をして言いました。

 一生が首を傾げると、唯吏はわずかに目を伏せて、言いました。



『もしかするとあの子は、いずれ世界の外側へ出て行ってしまうかもしれない』

『何故そう思うんだ?』

『なんとなくだが、そんな気がしている』



 唯吏は、すやすやと眠っている吏生の頬を撫でて、言いました。



『忘れてしまいがちになるけれど、私は罰を受けている身だ』

『それはそうだが』

『だから、時々不安になるんだ。こんなに幸せになっていいものかと』



 その言葉に、一生も考え込みました。

 何となく、唯吏が言うことならば、いずれ本当になりそうな気がしました。



 ***



 一生は、吏生に武術を教えました。

 いざという時、自分の身を守れるようになってほしいと願いました。

 唯吏は、吏生に自然のことを教えました。

 いざという時、自分の力で生き延びられるようになってほしいと願いました。


 両親の本音を知らないまま、吏生はさらにすくすくと育っていきました。

 小学校に上がる頃には、他の子供たちよりしっかりした子供に育っていました。


 彼は本当に自分たちの子供だろうか……。

 一生と唯吏は、二人そろってそんなことを思いました。


 そんなある日、吏生が小学校でクラスメートに暴力を振るったと連絡がありました。

 驚いて話を聞けば、父さんの仕事をバカにされたから殴ったんだと言います。

 その話を聞いて、一生は言いました。



『ありがとう。人のために怒れるのはいいことだ。

 けれど吏生、それを暴力で解決しようとするのはよくない』



 それ以降、吏生が自分から暴力を振るうことはありませんでした。

 相手側から暴力を振るわれたことによる正当防衛はありましたが、一生はそれに関しては親指を立てておきました。



 ***



 中学生になった吏生は、両親よりしっかりした子供に育っていました。

 一生も唯吏も、とても頼りになる吏生を自慢の息子だと思っていました。


 しかしある日、吏生が傷だらけで帰ってきたことがありました。

 驚いて話を聞けば、ケンカを売ってきた不良のグループを潰して来たと言います。

 一生はその話を聞いて、しばらく考えたのち、言いました。



『よくやった!』



 さすがにその点は共感できず、唯吏は一生の頭を軽くはたきました。

 そして呆れたような顔で吏生を見て、唯吏は言いました。



『潰したというけれど、相手の再起は可能だろうね?』



 両親の反応に、吏生は少しだけ呆れたように笑いました。



『当たり前だろ? 元来、人を傷つけるのは苦手なんだ』



 一生と唯吏は顔を見合わせ、笑い合いました。

 自分たちの子育ては間違ってなかった、と思いました。

 けれどその後で、吏生が言いました。



『相手の人生に責任なんて取れないしな』



 一生と唯吏はもう一度顔を見合わせ、眉根を寄せました。

 自分たちの子育ては、もしかすると間違っていたかもしれない……と思いました。



 ***



 それでもそれ以降、吏生が表立った問題を起こすことはありませんでした。


 学校側の評価は、ケンカさえ売られなければ真面目な生徒です、というものでした。

 成績も決して悪くはなく、一生と唯吏はほっと胸をなでおろしました。


 そして、吏生は無事に高校へと進学しました。

 ちなみに吏生がその高校を選んだ理由は、家から徒歩で行けるから、でした。



『別に、自転車通学とかでもいいんじゃないのかい?』



 一度、唯吏が吏生にそう尋ねました。

 吏生は少し考えてから、眉根を寄せて首を振りました。



『自転車なんて高価なもん、目を離したら解体されるかもしれないし』



 いつの間にか、物騒な考え方をする子供に育ったものです。

 しかしながら、危機管理という観念から見れば優秀かもしれない……などと、唯吏は思いました。



 ***



 そして、三か月余りが経ちました。

 日付は、七月十二日。


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