唯、黒い髪の夫婦

一、世界に光が差した日

 時はさかのぼって、始まりの日。

 彼女が罪を犯し、彼の命を救った日のこと。



 ***



『彼を、治してくれないか』



 エルディリカは、医務室に来るや否やそう言いました。

 その背中に背負われた青年を見て、ザルディオグは眉間にしわを寄せました。



『何、どこから持ってきたの』

『拾ったんだ』



 そう言って、エルディリカはわずかに目を逸らしました。

 ザルディオグは目を眇めると、やがて呆れたように溜息を吐きました。



『それを治療するのは気が乗らないんだけど』

『頼むよ。……責任は取る』



 青年を背負ったまま、エルディリカは頭を下げました。

 その頭のてっぺんをしばらく見てから、ザルディオグはガシガシと頭を掻きました。



『仕方ないね。そこのベッドに置いて』

『ザルディオグ!』

『言っておくけど、本当に責任は君に取ってもらうからね』

『もちろんだ! ありがとう!』



 ほっとしたように礼を述べて、エルディリカは青年をベッドに寝かせました。

 傷だらけの青年は、顔色も悪く、生気があまり感じられません。



『ギリギリだね』

『何とか寿命直前で老化が止まったらしい。治るかな』

『そうだな。血も止まっているし、やりようはあるかもね』



 青年をまじまじと観察した後で、ザルディオグは言いました。



『何とか治療する。君はちゃんと支部長に話してくるように』

『ああ、わかったよ』

『くれぐれも、嘘はつかないように』



 ザルディオグの言葉に、エルディリカは小さく笑いました。



『つかないよ。だって、どうせバレるじゃないか』



 ***



 場所は変わって、支部長室。

 デスクに着いているレスティオールの目の前で、エルディリカは唾を飲み込みました。



『レスティオール、』

『何があったかは大体わかっている』



 じっと、心の奥まで見透かすように、レスティオールはエルディリカを見ました。



『先ほど、森で『何者かが過剰な干渉をした』反応を捉えたと連絡があった』

『……っ』

『何故、あんなことをした?』



 レスティオールは、責めるような目でエルディリカを見ました。

 エルディリカは、眉間にしわを寄せ、レスティオールからわずかに視線を外しました。



『……何故、樹の中の命に干渉するような真似をした?』



 繰り返される質問に、エルディリカがわずかに口を開きました。



『彼の、心が……伝わってきて、痛かったから』



 そう言って、エルディリカは自分の胸の辺りを押さえました。

 レスティオールはわずかに眉根を寄せ、じっとエルディリカの顔を見つめました。



『自分が何をしたか、わかっているのか』

『わかっているさ。許されないことをした。それでも私は』



 きゅっと唇を噛み、エルディリカはレスティオールに向き直りました。



『彼に、生きてほしい』



 二人の間に、沈黙が流れていきます。

 やがて、レスティオールが口を開きました。



『エルディリカ』

『……ああ』

『この件は黙認できない。お前には、相応の罰を受けてもらうことになる』

『……わかっている』



 レスティオールは、エルディリカの目を見て思いました。

 彼女はすべてを覚悟しているのだ、と。


 小さく息を吐いてから、レスティオールは扉の方へ視線を向けました。

 それが何かの合図だったのか、すぐに扉が開き、何人かの委員が入ってきました。



『こいつを、しばらく地下牢へ』



 レスティオールの指示を受けた委員の手で、エルディリカの手に重そうな手錠がかけられました。

 引きずられるように連れて行かれるエルディリカの後ろ姿を見送って、レスティオールは再び顔を伏せました。



『……本当に、馬鹿な子供だ』



 ***



 青年が目を覚ましたのは、それから数日後のことでした。



『……ここ、は?』



 のっそりと起き上って、青年は辺りを見回しました。

 ちょうどそこに、ザルディオグが問診へやってきました。



『ああ、起きたの』

『え……っと、どちら様でしょう』

『……医者だと思っておいてくれればいいよ』



 ザルディオグは青年の近くの椅子に座り、言いました。



『回復力は高いみたいだね。この間まで死にそうだったのに』

『……あの、俺はいったい何故、こういう状態に?』

『何、覚えてないの』

『いや、白い髪の女と会って、少し話したのは覚えているんですが』

『それだけ覚えていれば充分だよ。たぶん君、そのあとすぐに気を失ってるから』

『マジか』



 困ったような顔をする青年には構わず、ザルディオグは青年の病衣をまくりました。

 数か所に巻かれた包帯には、ところどころに血がにじんでいます。

 ザルディオグはあまりしゃべらず、テキパキと包帯を替え始めました。



『あの、彼女はどこに?』

『……』

『あの』

『そのうち会えるよ』



 青年の質問に、ザルディオグはそう答えるしかありませんでした。

 今しがた目を覚ましたばかりの彼に、君のために彼女が捕まっているなどと、どうして言えたことでしょう。



 ***



 エルディリカの処遇が決まったのは、その翌日でした。


 上司である本部長から受け取った文書を握りしめ、レスティオールは地下牢へ向かいました。

 地下牢では、手錠で拘束されたエルディリカが、ぼんやりと座り込んでいました。



『処遇が決まった』

『……ああ、時間がかかったんだね』

『本部とのやり取りが必要だったからな』



 そんな話をして、レスティオールは先ほどの文書をエルディリカに突きつけます。

 エルディリカは少し腰を上げて、その文書を覗き込みました。



『森からの無期限追放』

『無期限、追放』

『期限を決めない追放だ。何度か輪廻をくぐれば、戻って来られる可能性はある』

『……そうかい』



 わずかに目を伏せて、エルディリカはまた腰を落としました。

 レスティオールは文書を懐にしまいました。



『執行は三日後だ』

『そこも随分と時間がかかるんだね』

『大人の事情というやつさ』



 ふざけるようにレスティオールが言うと、エルディリカがくすくすと笑いました。

 それからふと表情を消し、心配そうな顔を浮かべて、エルディリカは言いました。



『レスティオール』

『ん?』

『彼は今、どうしているかな』

『……ああ、何とか生きているよ』

『よかった』



 ほっと息を吐き、エルディリカが笑いました。



『じゃあな、エルディリカ。次に会うのは執行の日だ』

『ああ。ありがとう、レスティオール』



 後ろ手を振って立ち去っていくレスティオールの姿を見送って、エルディリカは目を閉じました。



 ***



 青年にエルディリカの処遇が知らされたのは、さらにその翌日でした。


 病室を訪ねたレスティオールが、事の経緯を青年に伝え聞かせました。

 この森がどういう場所であるか。

 エルディリカが彼を助けたことが、罪であること。

 その処遇として、森から追放されること。


 話を聞いた青年は、しばらく考えたのち、レスティオールを見て言いました。



『あいつに会うことは、できないか?』



 レスティオールは、ちらりとザルディオグの方を見ました。

 するとザルディオグは、大丈夫だ、とでも言うように頷いて見せました。



『ああ、大丈夫だ。ザルディオグに同行させよう』



 青年はザルディオグに手を借りて立ち上がりました。

 レスティオールが頷いて見せると、ザルディオグは青年を連れて歩き出しました。



 ***



 鉄格子が揺れる音がして、エルディリカは顔を上げました。



『! 君、』

『話は全部聞いた。お前、追放って』

『……ああ、そうらしい』

『お前、俺のことはどうする気だよ』

『レスティオールがうまくやってくれるさ』

『ふざけるな』



 再び、鉄格子が揺れる音がしました。



『お前が俺に言ったんだぞ、『一緒に』って。だから来たんだ、俺は』

『……』

『その癖に、ここで放り出す気なのかよ』



 青年が、睨むようにエルディリカを見ました。

 そして鉄格子をつかみ、エルディリカに向かって言いました。



『連れて行け』



 エルディリカが、驚いて顔を上げました。

 青年は鉄格子に右腕を突っ込んで、エルディリカに向かって手を差し伸べました。



『……一緒に、行くんだろ』



 青年の右手を見て、青年の目を見て、エルディリカは目をしばたかせました。

 やがて腰を上げると、おずおずと青年に近付きました。



『私が“一緒に”と言ったのは、この建物までのつもりだったよ?』

『そんなこと知るか』

『森からの追放は、ものすごい苦痛を伴うそうだよ』

『それが何だ。こっちは一度死んだようなものだ』

『……君の生きやすい世界では、ないかもしれないよ』

『それでも独りじゃなければ、それだけで幾分か生きやすい』



 差し伸べた右手はそのままに、青年はエルディリカに向かって笑って見せました。



『一緒に生きよう』



 エルディリカは顔を上げ、青年と視線を合わせました。それから視線を落とし、青年の右手を見ました。



『……うん』



 青年の手を、手錠の付いた両手で握りました。

 青年から伝わってくる心はもう、痛みを伴うものではありませんでした。


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