二、懇願

「聞いたっすよ、狼の話」



 そう言いながら、アスティリアはおもむろにおろし金と木の実を取り出した。

 いや、急に何を取り出してんだ、なんてツッコむより先に、アスティリアが口を開く。



「見るに、彼と戦ったんすよね? それでそんなに元気とはさすがっす」

「何がさすがなんだ」

「心肺停止から奇跡的に回復しただけはあるっすよ」

「その件かよ」



 ツッコみ逃している間に、アスティリアはガリガリと木の実をすりおろし始めた。よく見れば、森でフェンリルがくれた味のない木の実だ。



「実際、その傷を見る限りかなりやられたんでしょう」

「あー……まあ、確かに」

「よく生きてたっすよね!」

「さらっとそういう発言する辺り、さすがお前だよ」

「照れるっす」

「褒めてねえよ」



 そんなことを言っている間に、アスティリアが木の実をすりおろし終えたらしい。すりおろした木の実はお椀に入れられ、そこに小さいレンゲが添えられた。



「はい、どうぞ」

「うん、さっきツッコみ逃したんだけど何コレ」

「世界樹の実っす」

「マジで!?」



 あの世界樹に実がなることも驚きだが、それが食えるものだというのも驚きだ。

 ……ああ、でもよく考えたらそれ以外に実がなるような植物もなさそうだったけど。



「でもこれ、味ないやつだろ?」

「あ、そのまま食ったことあったんすか?」

「一回だけ」

「それはドンマイっすねぇ」



 アスティリアはへらへらと笑いながら、俺にお椀を差し出す。



「すりおろさないと味が出ないんすよ、コレ」

「えぇ……でもすりおろしただけでそんな」

「食べてみればわかるっす」



 ずいっと押し付けられ、とっさに受け取った。

 アスティリアの方を向けば、さあどうぞ召し上がれっす、みたいな顔をしている。レイシャルの方を向けば、まあ騙されたと思って食ってみろって、みたいな顔だ。

 表情だけでこんなに読み取れると思わなかった。



「い、いただきます」



 おずおずとレンゲですくい、口に含む。

 リンゴと桃の間みたいな甘酸っぱい味が広がって、顔が緩んだ。



「美味いでしょう」

「……くやしい」



 びっくりするほど美味かったので、ぺろりと平らげた。



「ごちそうさま」

「美味かったっすよね?」

「くやしい」

「その感想は何なんだ」



 レイシャルに呆れられながら、空になったお椀をアスティリアに返す。アスティリアはそれをそのままレイシャルに渡した。



「じゃあレイシャルさん、これお願いするっす」

「はぁ!? おまっ、いい度胸だなコラ!」

「それがレイシャルさんの仕事なんすからー」



 しっしっ、とでも言うようにアスティリアがレイシャルを追い払う。レイシャルはぷんすかと腹を立てながらも、お椀を持ってひょこひょこと去って行った。



「で、何で叱られてたんすか?」

「あー……ちょっと抜け出そうとしたのが見つかって」

「あはは、そりゃ叱られるっすよ」



 へらへら、いつも通りの顔でアスティリアが笑う。



「今はとにかく、ちゃんと休むっす。寝れば大体の状態異常は回復するっす」

「久し振りにRPGの中の人っぽい発言キタコレ」

「さすがに怪我は一晩じゃ治らないっすけどね」

「そこは現実に則すのか」



 そんな話をしながら、アスティリアが俺の背中を叩く。落ち着かせるような、あやすような、完全に子ども扱いの叩き方。思わず眉間にしわを寄せた。



「狼のことなら、大丈夫っすから」



 いや、たぶんその『大丈夫』は、俺の欲しい『大丈夫』じゃない。

 おそらく、ライディアスたちはフェンリルを処分するつもりなんだろう。害悪だと言っていたし、そろそろ看過できないとも言っていた。

 アスティリアの言う『大丈夫』はきっと、もう俺がフェンリルと会うことはないだろうから、とかそういう意味に違いない。


 でも、そうじゃない。俺が欲しいのは、『フェンリルが無事でいること』だ。



「大丈夫じゃねえよ」

「大丈夫っすよ」

「そうじゃない、俺は」

「あ、来たっすかね」



 不意に、アスティリアが俺から視線を外し、席を立つ。

 カーテンをまくった向こう側で、医務室のドアが開くのが見えた。



「やあ、お疲れ」



 聞こえてきた声は、俺が先ほどからずっと会わなければいけないと思っていた人物のもの。



「お疲れ様っす、支部長」

「ああ。リショウはそこか?」

「うっす」



 アスティリアがまくり上げていたカーテンをくぐって、レスティオールが顔を出す。



「やあ、手ひどくやられたようだな」



 そう言って、レスティオールは金色の目を細めて笑った。



 ***



「さて」



 アスティリアが仕事へ戻った現在。

 ベッドの傍の椅子に座ったレスティオールが、じっと俺の顔を見る。



「何か言いたそうだな?」



 相変わらず、見透かされている。

 俺は一つ深呼吸をしてから、レスティオールの顔を睨むように見返した。



「ここに残ることにした」



 レスティオールはわずかに目を眇めると、探るような目で俺を見る。



「フェンリルの面倒は俺が見る。だから、あいつと一緒にここに置いてくれ」

「あの狼は危険だと説明したはずだが」

「聞いた。でも言うほど危険じゃないと思う」

「現にお前は重傷じゃないか」



 そう言って、レスティオールは俺の左目から肩にかけてを指差した。確かに引っかかれたし、咬まれたし、今は包帯だらけだけど。



「もうこんな怪我しねえよ」

「根拠でもあるのか」

「あいつの本音を聞いたから」



 レスティオールは相変わらず、探るような、見透かすような目で俺を見てくる。

 おそらく俺の考えていることなんてお見通しなんだろうし、どうせ言わないといけないんだからそれで問題はないんだが。



「結局、あいつは母さんに会いたかっただけだ」

「だがエルディリカはもうここに戻ってこない」

「わかってる。だから俺がここに残るんだ」



 ぴくり、レスティオールのこめかみが小さく動いた。



「エルディリカの代わりに、か?」

「代わりなんて思ってない。そもそも、俺に母さんの代わりはできない」

「それがわかっていて、何故その結論に至った?」



 何故? そんなもの、決まっている。

 レスティオールだってきっと、わかって聞いているはずだ。



「代わりになれないとわかっていて、それでもお前があいつと共にあろうとする理由は何だ?」



 なおも問いかけるレスティオールに、言い放つ。



「だって俺、あいつ好きだから」



 つまりはそう言うことなのだ。

 ゴールになってやりたかったのも、本音を知りたかったのも、一緒にいてやりたいと思ったのも、嫌いになりたくなかったのも。

 すべては、俺があのフェンリルという狼を気に入ってしまったからだ。



「……ふっ」



 しばらく黙って俺を見ていたレスティオールは、やがて口角を上げると、小さく噴き出した。



「はっはっは! いや、結構! やっぱりお前は俺の思ったとおりの男だよ!」



 楽しそうに笑ったレスティオールは、無遠慮に俺の頭をつかんだかと思うと、わしゃわしゃと勢いよく撫で回した。



「やっぱり、エルディリカに似ている」

「……ここに来てからちょいちょい言われるな」

「正直、思った以上に思ったとおりの答えが来たんで、逆に驚いているよ」



 ひとしきり俺の頭を撫で回してから、レスティオールは笑顔のまま口を開く。



「初めから、あいつには組織に入ってもらうつもりだったさ」



 レスティオールの言葉に、思わず固まった。



「……は?」



 意味が分からず聞き返すと、レスティオールはにこにこと笑って言葉を続ける。



「そう言えば、ちゃんと説明したことはなかったな。俺たちは元々、あいつをここへ引き入れるつもりでいたんだ」

「えっ」

「森の生き物の中で、俺たちと言葉を交わせる者は今のところあいつしかいないからな。森に関する研究のためにも、あいつには仲間になってほしいと思っていたんだ」

「ちょっと待て、だってお前ら」



 ライディアスは、そろそろ看過できない、あいつも諦めるだろう……と言っていた。

 レスティオールだって、二度と俺に危害を加えさせないとか言っていたはず。



「フェンリルを、殺すつもりだったんじゃ」

「殺す? まさか! 俺たちはただ、あいつを保護して説得しようとしていただけだよ」



 レスティオールは少しばかり呆れたように笑いながら、大げさに肩をすくめてみせる。



「もともと、エルディリカが森を出る時に保護するつもりだったんだ」

「な、なら、どうして今まであいつを放っておいたんだ」

「それは、エルディリカに頼まれていたからさ」

「母さんに」

「あいつは群れるのが嫌いだから、可能な限り自由にさせてやってほしいと」



 つまり、あいつも諦める……というのは、母さんがフェンリルの自由を諦めるという意味。

 二度と危害を加えさせないというのも、説得して更生させるという意味。


 話を聞くうちに、だんだんと肩の力が抜けていくのがわかった。

 自分で思っていた以上に緊張していたらしく、疲れを感じてうなだれる。

 そんな俺の様子を見たレスティオールが、申し訳なさそうに笑った。



「お前を巻き込むまいと思ってあまり説明しなかったんだが、どうやら余計な心配をかけたようだな。……すまなかった」

「まったくだよ」



 溜息交じりにそう言ったら、またわしゃわしゃと頭を撫で回された。


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