二、真実

「この件については、支部長とも共有してある。あとは二人で話し合って。これ以降は僕じゃどうしようもできない問題だからね」



 そう言い残して去っていくザルディオグさんの背中を見送って、上体を起こす。

 両掌を見てから、髪の毛を一束引っ張って視界へ入れた。



「……あ」



 これまで一度も見たことのなかった白髪が、一束に数本交じり始めていた。それも、根元から毛先にかけて徐々に白くなってきている様子。

 俺の知らないうちに、俺の髪も少しずつ森に染まってきたのか。



「どうした、元気がないな?」



 聞こえてきた声に顔を上げると、カーテンを開いて片手を挙げているレスティオールと目が合った。慌てて髪から手を離して、目を逸らす。



「……あの」

「ああ、嫌な言い方をしたな。元気なんてなくて当然だ」



 困ったような笑顔を浮かべて、レスティオールはすぐ傍の椅子に腰かけた。

 長い白髪が、床に落ちて輪を描く。



「お前に話さなければならないことがある」

「……ザルディオグさんが言ってた件、ですよね」

「それもあるが、それだけじゃない」



 顔を上げると、レスティオールが俺の顔を見て、少しだけ寂しそうに笑った。



「昔話をしようか」

「昔話?」

「かつてこの組織にいた、ある女性の話だ」

「はあ……?」



 この人は、急に何を言い出すんだろうか。

 そんなことを思いながらレスティオールの顔を見ていたら、レスティオールは懐かしそうに金色の目を細めた。



 ***



「彼女がこの森に出てきたのは、今から五十年前のことだ」



 出だしからすでに、長そうな予感しかしない。

 とりあえず楽な姿勢になろうと、ヘッドレスト側の壁に寄り掛かるように移動した。



「しかし当初、俺たちは彼女を見つけることができなかった」

「見つけられなかったって、どうして」

「彼女自身が森の中を移動していたからだ。知ってのとおり、この森は広い。探し出すのは困難を極めた」



 あの森の中を好きに移動するとは、その人はいったいどういう人なんだろうか。

 好奇心が旺盛すぎたんだろうか。



「俺たちが彼女を保護できたのは、彼女が森へ来てから約五年後だった」

「五年後」

「それも、彼女の方からここへ来てくれたおかげで保護できたという……まあ、俺たちとしては少々不名誉な出来事だったよ」

「へ、へえ」



 何と言うか、好奇心でいろんなところへ行っているうちにここに辿り着いて、自分で入ってきちゃった感じなんだろうか。もはやそんな感じとしか思えなくなってきた。



「いわく、彼女は森で出会った狼とずっと一緒に行動していたらしい」

「! それって」

「そう、例の狼だよ」



 頭の中で、いろいろなことがつながっていく。

 おそらくその人と言うのは、人事課長のライディアスが言っていた人と同一人物だろう。二十年前に、罪を犯して追放されたという。



「フェンリルという名前は、彼女がつけた名前だ」



 そう言って、レスティオールは懐かしそうに笑う。



「彼女にも面談や検査を受けてもらった。結果的に……彼女は森にいた時間が長すぎて、彼女の体はすっかり森に順応してしまっていた」

「順応」

「それに加えて、彼女は故郷でいろいろやらかしていてな。どうしたって世界には戻せないと判断して、組織に入ってもらうことにした」

「やらかしてって、一体何を」

「ああ、まあ……十歳の頃に、百人規模の集落を一つ壊滅させてきたそうだ」

「え!?」



 やらかした、のレベルが想像を逸していた。



「彼女は故郷で『呪われた子供』と言われていたそうでな。両親もそのせいで殺されてしまったそうだ」

「……」

「その恨みで集落を壊滅させて、結果『脅威』と判断されて森へ排出されたようだ」

「な、なるほど」

「そういう経緯で、彼女はこの組織に入った。その時に付けた名前が『エルディリカ』」

「付けた?」



 首を傾げると、レスティオールが気付いたような顔をして、説明を加えてくれた。



「この組織で働くことになった者には、俺が新しい名前を付けているんだ」

「何のために?」

「何のため、と言われると……そうだな」



 レスティオールはしばらく考えて、小さく首を傾げて口を開く。



「この森の者としての名前を付けることで、森との結び付きを強める……というような試みだな」

「へえ」



 ニュアンスは違いそうだが、洗礼名みたいなものだろうか。



「では、エルディリカの話に戻ろう」



 レスティオールの言葉に、逸れていた思考をいったん止めた。



「エルディリカはその後、すぐに森へ出たがった。理由を聞けば、一緒に行動していた狼を近くで待たせていたらしい」

「近くで」

「一緒に森を歩いていて、この建物を見つけたそうだ。狼がこの建物に入るのを嫌がったので、エルディリカは一人で入ってきたらしい」

「勇者だなぁ……」



 聞けば聞くほど、好奇心の塊みたいな人だ。



「しかし、あまり好き勝手に行動してもらうわけにはいかない。こちらも組織だからな、働いてもらわなければ困る」

「でしょうね」

「だから俺はエルディリカに一つだけ条件を出した」

「条件?」

「ああ。五年間、外へ出ずに組織の仕事について学ぶことだ」



 広げた掌を俺の方へ向けて、レスティオールは続ける。



「この組織に所属している者として何をすべきか、どういう行動をすべきか。五年間で叩き込めるだけ叩き込んだ」

「お、おぉう……」

「最終的に、エルディリカは巡回部長相当の知識と実力を身に付けたよ。思った以上に叩き込めた」



 それはその人がすごいのか、叩き込んだ側がすごいのか……。



「その後、エルディリカはまた狼と一緒に森を歩き回る生活に戻った。そのついでに、『遺失物』を拾ったらすぐに持ってくるよう頼んだ」

「仕事はちゃんとしたんですか?」

「ああ。よくいろんなものを拾ってきてくれたよ。例えば、レイシャルもエルディリカが拾ってきたんだ」

「へえ!」



 身近な例が出てきて、急激に親しみがわく。



「そんな生活が長く続いた。そして、二十年前だ」



 二十年前。

 ライディアスから聞いていた言葉に、思わず息をのむ。



「エルディリカはある罪を犯し、森から追放された」

「罪って」



 尋ねた言葉に、レスティオールはわずかに眉根を寄せる。そしてわずかに忌々しそうな声色で、呟くように言った。



「樹の中で死にかけていた命を一つ、森へ引きずり出して救ったんだ」



 その行いは、俺が思う限りどこまでも『善行』で、どうしたってそれが罪になるという道理は納得ができそうにない。

 レスティオールはそんな俺の考えがわかったのか、悲しそうに笑って俯いた。



「そんなことで何故、とお前は思うかもしれない。けれど罪は罪だ。許されようはずもない」

「どうして」

「『外側』からの過干渉は、時として世界そのものを壊す可能性があるからだ」



 そこまで言って、レスティオールはすっと目を細めた。



「その罪で、エルディリカはこの森から追放されることになった」

「でも追放って、それも過干渉にあたるんじゃ」

「ああ、普通の方法ではな。だから特殊な方法を取る必要がある。……ある程度の苦痛を伴うもので、あまり人に勧めたくはない」



 レスティオールはそう言いながら、さっきのザルディオグさんと全く同じ、心底嫌そうな顔をした。



「……じゃあその、命を救われたって言う男の人はどうなったんですか?」

「本来なら『迷子』として世界へ戻すところを、エルディリカについていくと聞かなくてな。エルディリカと同じ刑に処すことになった」

「二人そろって、ってことか」

「ああ。二人はそれぞれの生い立ちと全く関係のない世界に押し込まれた。その後のことは、俺には知る由もなかったよ」



 顔を上げて、レスティオールは大きく息を吐いた。



「……フェンリルには、そのことって」

「追放の前に、エルディリカと話していたのを何人かが聞いている。詳しいことは何も言わず、たださようならと言って別れたらしい」

「それじゃあフェンリルは、その人が帰って来ないことを知らないんですか?」

「いや、悟ったんだろう。……だからこそ今、あの狼は、自分からエルディリカを奪っていった俺たちを憎んでいる」



 そこまで話してから、レスティオールは懐から何やら折りたたまれた紙を取り出した。



「そして、これが物語の結末」



 そう言いながら、レスティオールはその紙を俺に寄越した。反射的に受け取ると、中を見るように促される。

 広げてみると、左上の辺りに写真があった。



「え」



 そこで思い至る。

 あの時、俺に似ていると思ったフェンリルの顔は、おそらく俺ではなくこの人だったのだ。

 俺に非常によく似た、この人の。



「母さん……?」



 その顔は、俺が知っている母さんより幾分か若く、髪も白い。

 けれど、俺が知っているものとほとんど変わらない、どこか悪戯っぽい笑顔を浮かべている。

 顔を上げれば、レスティオールが懐かしそうに笑って、言った。



「森を追放されたエルディリカと、彼女が命を救った男。……その間に生まれたのがお前だよ、リショウ」



 飲み込めない。

 あまりの衝撃に息が詰まって、すべてを飲み込むことができない。



「……嘘、だろ?」



 もう一度、視線を落として書類を見る。

 写真の中の母さんは、昨日夢に出てきた母さんと同じ顔で笑っていた。


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