二、聴取

「おい、『迷子』」

「ん?」

「なんか食うだろ。何粥がいい?」

「粥しばり」



 依然として俺の腹の上にいるレイシャルは、俺の顔を見下ろしながら仁王立ち。

 やっぱり可愛い。声や口調は可愛くないとして、このフォルムが可愛い。



「じゃあ梅粥で」

「おーし、任せとけ! 作ってきてやるからな!」



 そう言うと、レイシャルはぴょんと俺の腹から飛び降り、ひょこひょこと走り去っていく。ドアが開く音がして、閉まる音がする。

 小さく溜息を吐いたところで、カーテンに人影が映った。



「おい、バーミリオン? おらんがか?」



 やや関西っぽいような訛りだろうか、あまり耳馴染みのない言葉だ。

 その人はどうやらバーミリオンさんを探しているらしく、うろうろと人影が動くのが見える。



「そこにいないならいないんじゃないか」



 アシュレイが応えると、人影の動きが止まった。やがてカーテンが大きく開き、短髪の男が顔を出す。ぱちり、赤紫色の瞳と視線が絡んだ。


 黒いロングベストの内側に白いタンクトップ、黒い細身のジーンズ、そして黒っぽいスニーカー。あと、アシュレイのものと似た黒いアームカバーで肘から下を覆っている。



「なんや、アシュレイもそこにおったんか」

「悪いか」



 アシュレイの悪態に溜息を吐いてから、その人は俺の方を向いた。

 俺が言うのもなんだが、いかにもやんちゃそうな若い男だ。ロングベストなんておしゃれなものを着こなす男は不真面目に決まっている。



「バーミリオンがおらんなら、それはそれでええわ。お前に用あって来たんや」

「俺に」

「挨拶、遅れてすまんな。俺は総務部・人事課長のライディアスや」

「ライディアス、さん」

「呼び捨てで構わんて。堅苦しいがは苦手や」



 その男、ライディアスはそう言うと、じろり、睨むようにアシュレイを見る。すると、アシュレイも同じようにライディアスを睨んだ。

 まさに一触即発……かと思ったら。



「アシュレイ、お前も安静にしとれ言われたんやろ。寝とかんかいや」



 ただの心配だった様子。な、何だ、意外と真面目そうじゃないか。

 思わずぱちくりと瞬きを繰り返しているうちに、むっとしたアシュレイが言い返す。



「横になると逆に休まらない」

「そんなら布団の上で丸まっといたらええやろ」

「犬や猫と一緒にするな」

「似たようなもんやんか」

「私の心配をする前に、お前がここへ来た理由をそいつに説明してやったらどうだ」



 そんな会話をしてから、ライディアスは大きく溜息を吐いて、俺の方を向いた。



「あー、それもそうやな、すまん」

「いえいえ」

「総務部長の代理で来てん」

「ああ、セレスティアさんの」



 そう言えば、今は夜の時間だとアスティリアが言っていた。

 つまり、この人が夜の時間に総務部長であるセレスティアさんの代理をしている人、ということか。



「起きて早々で申し訳ないんやけど、要は事情聴取や」

「事情聴取」



 話をしながら、ライディアスは近くの椅子をベッドの傍まで持ってきて、そこに腰を下ろした。図ったのか何なのか、場所はアシュレイのすぐ近く。



「……ライディアス、狭い」

「おりづらいならそこらの布団で休んどいたらええやろ」

「……わかったよ、休めばいいんだろ。回りくどいやつだな、お前は」



 深く溜息を吐いて、アシュレイはふらふらと立ち上がる。そしてライディアスに見えないように小さく舌を出して、アシュレイはカーテンをくぐっていった。



「世話の焼ける奴やわ」

「仲いいんすね」

「どこがや、仲良くした覚えなんてないわ、言葉選べや」



 誤魔化すように早口でそう言うライディアスには、曖昧に笑っておいた。



「さて、本題や」

「あ、事情聴取」

「そう、それやって」



 不意に真剣な顔をして、ライディアスはまっすぐに俺の顔を見た。その視線は鋭く、眼力は強く、思わず身がすくむほど。



「森で何があったんか、聞かせてくれんか」



 半ば脅迫に近い声色に、俺は音速で頷いた。



 ***



「……なるほどな」



 森で起きたことを一通り話したところで、ライディアスは小さく呟いた。視線は先ほどまでカリカリと何か書いていたメモ帳に注がれている。



「そこから、アシュレイの話につながるわけやんな」

「そうっすね、はい」



 メモ帳をまくりながら、ライディアスは何やら深く考え込む。



「さすがにそろそろ看過できんな」

「そろそろ」



 聞き返すと、ライディアスはメモ帳を注視したまま口を開いた。



「その狼には、昔からいろいろ世話焼かされとってな」

「世話」

「俺らのこと目の敵にしとんやって、そいつ」



 ライディアスはそう言うと、メモ帳と鉛筆をサイドテーブルに置いて、手を組んで、膝に肘をつく形で背を丸める。



「その狼って、ずっと昔からこの森に棲んどるんやけどな」

「はい」

「やたら世話焼かされるようになったんは、確か二十年くらい前からや」

「二十ね……ん?」



 ……え、ちょっと待って。

 今、目の前にいるライディアスは、多めに見積もっても二十代後半だ。いっそ二十代前半にも見える。二十年前なんて、子供だったんじゃ……?

 いやいや、前任の人から聞いた話とかって感じの話だよな、うん、そうだと思う。


 心の中で落としどころを探っていたら、それに気付いたらしいライディアスが笑った。



「なんかいきなり混乱しとんな?」

「いや、えっと……ちなみにライディアスって、おいくつ?」

「いくつやろ……まあ、老化は二十五くらいで止まったんないかな」



 老化が止まる、と言う表現に首を傾げると、ライディアスは困ったように頬を掻き、思いついたように言った。



「何ちゅうか、森で長いこと過ごしとると、どっかの年齢で老化が止まるんやって」

「不老不死になるってこと、か?」

「いや、不死ではない。活動限界はあるみたいで、人が死ぬんは何回か見た」

「そ、そうなのか」



 ずいぶんあっさりと言ってくれるものだ。

 なんとなく重い気分になっていたら、ライディアスはまた両手を組んだ。



「そんで、まあ……俺の場合は二十五くらいで止まってもう四十年は経つんやけど」

「ブッフォ!」

「支部長に至っては千年くらい生きとるって言うし、個体によって違うんやろうな」

「げっほげっほ!」



 驚きに次ぐ驚きで、ついにむせた。ライディアスは申し訳程度に俺の肩をさすってくれたが、出来ればそれは背中にやってほしかった。寝てるから無理だけど。



「そんで狼の話ねんけど」

「あ、ああ」



 逸れていた話が戻ってきた。



「二十年前に何があったかって話な」

「うん」

「それよりだいぶ前やけど、巡回部におったやつがその狼と仲良くしとったんやって」

「あ」



 もしかして、と思い至る。

 フェンリルに昼夜の概念を教えた『誰か』。

 俺とにおいが似ているという『あいつ』。

 おそらくどちらかがその人なのだろう。同じ人物である可能性もなくはないが。



「そいつが、二十年前におらんくなってん」

「おらんく……いなくなった?」

「厳密なところは言えんし、言わん方がいいやろうから省くけど」



 言葉を探るように、ライディアスが視線を斜め下へ漂わせる。



「まあ……簡単に言えば犯罪して追放されたって感じか」

「追放? そんなことできるのか」

「要は、滅多なことじゃ森に帰って来られんようにすればいいんやしな。方法はいろいろある」

「例えば」

「例えば? そんなん重要機密や、忘れるにしても教えるわけにいかんわ」



 笑い飛ばすようにそう言って、ライディアスは顔を俯かせた。俺の位置からでは、表情が読み取れない。



「そんで、そいつが森からおらんようになってから、狼がぶっ壊れたっちゅうか」

「ぶっ壊れた」

「それ以外にうまい表現が見つからん。それまで何の害もなかった狼が、あれを境に害悪に成り下がった。……今や、あいつはただの『怪物』や」



 忌々しそうにそう言って、ライディアスは顔を上げる。しかし、その視線は俺の方を向かない。どこか遠くを睨むように見て、ライディアスは目を細めた。



「俺らで確認できとる分だけで、少なくとも十以上の『遺失物』があいつに殺されとる」

「十以上」

「確認できとらんもんも含めたら、どんだけになるかわからん」

「……そんなに」



 自分の首元に右手をやったら、首を絞められた時の感覚を思い出した。

 芋づる式に、あの瞬間のフェンリルの表情を思い出す。吐き捨てるような声を思い出す。あの場に充満していた、足に絡みつくような黒く淀んだ空気を思い出す。

 そこまで記憶がよみがえったところで、ぞわり、全身に寒気が走るのがわかった。


 左手で、自分の右手首をつかむ。首から手を離すと、少しだけ安堵した。

 そこでようやく、あの出来事が自分の中で相当なトラウマになっていることに気付いた。



「さすがにもう、あいつも諦めるやろ」



 ぽつり、ライディアスの呟きが漏れる。ライディアスの方を向くと、俺の視線に気付いたらしく、俺の方を見て曖昧に笑って見せた。



「お前はなんも心配せんでいい。あいつには二度と会わせんって」



 そう言って、寝ている俺の頭を叩くように撫でて、ライディアスは立ち上がる。



「疲れとるとこ、悪かったな」

「いや、大丈夫」

「俺の用件はこれで終わりや。あとはゆっくり寝とかんか」

「……お、おう」



 ひらひらと手を振って、ライディアスがカーテンをくぐって出ていく。ドアが開いてから閉じるまでの音を聞き届けてから、俺は深く溜息を吐いた。



「……あいつ、か」



 フェンリルと仲が良かったというその人は、フェンリルがああなってしまったことを、どう思っているだろう。


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