陸、混濁する思考
一、明転
明転。
目が覚めて最初に見えたのは、すっかり見慣れた白い天井だった。
何度か瞬きを繰り返して、視線を横にずらす。枕元でいびきをかくレイシャルと、俺が眠っているベッドに突っ伏して寝息を立てるアスティリアがいた。
「目が覚めたのか」
聞き慣れた声に視線を上げれば、体のあちこちに包帯を巻いているアシュレイの姿。
ベッド周りを囲っているカーテンの隙間から、今ちょうど入ってきたような状態。
「おはよう、アシュレイ」
とりあえずそう口に出したら、アシュレイは溜息交じりに笑った。
呆れと言うより、安堵が交じったような顔。つられて、俺も顔が緩んだ。
「気分はどうだ?」
「ああ、悪くはないよ」
「頑丈なものだな。感心するよ」
「馬鹿にされているとしか思えない」
体を起こそうとしたら、アシュレイがすぐに近付いてきて、俺の目の前に掌を突き出した。首を傾げると、呆れたように溜息を吐かれる。
「無理するな。あれから二日経ってる」
「二日ぁ!?」
「わあっ!」
「うおっ!?」
俺の声に驚いたらしいアスティリアとレイシャルが飛び起きた。
そして俺はと言うと、ぐわんぐわんと脳が揺れる感覚に頭を抱える。自分の叫び声が頭に響いたらしい。ちょっと恥ずかしい。
「リショウさん! 起きたんすね、よかったっす!」
「何だよ『迷子』、生きてたかよ! いや知ってたけど!」
どうやら二人とも心配してくれていたらしい。なんか嬉しい。
「お前ら仕事は?」
「は? 俺の仕事はお前の世話だろうが、ばっちり勤務中だバーカ」
「安定のレイシャル」
容赦なく俺の頬をむにむにとつつくレイシャルがやたら可愛い。
写真を撮りたい。携帯が手元にない。つらい。
「アスティリアは?」
「仕事帰りに立ち寄ったんすよ。今は夜の時間っす」
「あ、そういうこと」
それなら納得だ。
「それにしてもよかったっすよ。本当に心配したんすよ?」
「あ、ありがとう」
「一時的に心肺停止してたっすからね。よくあそこから持ち直したなぁって感じっすよ」
「マジか」
「奇跡的な生命力っすねぇ」
「そっかぁー……え、ちょっと待って、え?」
「え?」
ものすごく軽いノリで言われたから聞き流しかけたが、ちょっと聞き捨てならないワードがあったような。
「心肺停止?」
「そうっすよ?」
「奇跡でも起きないと生きてなかったレベル?」
「そんな感じっす」
「俺すげえな!?」
まさか俺にそんな生命力があるなどとは思いもよらず。
思わず感心していたら、カーテンが少し開いた。
「おーおー、元気そうじゃねーの、死に損ない」
あまりにもあんまりな言葉。カーテンの隙間から顔を出したのは、眠そうな顔をした女だった。
シンプルな緑のワンピースに白衣を羽織り、髪型は長いポニーテール。足元は白の、いわゆるナースサンダルというやつだろうか。
おしゃれより楽さが重視された格好のその人は、茜色の目を細めて俺を見る。
「あ、バーミリオン課長。お疲れ様っす」
「おー、お疲れ」
アスティリアの挨拶に、その人は小さく手を挙げた。
誰だろう、とか思いながらぱちくりと目をしばたいていたら、見かねたアシュレイが口を開いた。
「研究部・医療課長のバーミリオンだ。お前の治療をしてくれた方だぞ」
「仕事だかんな」
アシュレイの紹介に対し、流れるように言葉を重ねるバーミリオンさん。それから、アスティリアに椅子からどけというジェスチャーをする。
アスティリアが慌てて椅子から立ち上がると、バーミリオンさんはすっとその椅子に座り、俺の枕元にいたレイシャルを持ち上げ、アスティリアに向かってひょいっと投げた。
「んーじゃ、検診すっぞ」
「あ、はい、うっす、お願いしまっす」
あまりにも眠そうな顔で、しかもぞんざいな口調でそう言うので、一瞬不安になってしまったのは仕方がないと思う。
「あ、じゃあ俺はもう戻るっす」
「おー」
気を利かせたらしいアスティリアが、レイシャルを抱えたままベッドを離れていく。
「レイシャルさんは待合室に置いとくっす」
「それでよし」
「俺を物扱いするな」
「じゃあリショウさん、お大事にっす」
「ああ、ありがとう」
アスティリアはわずかに表情をゆるませて、カーテンの隙間を通って出て行った。
「レイシャルさん、ここで大人しくしとくっすよ」
「俺、一応お前より先輩なんだけど!?」
離れた場所から聞こえてきたやり取りに、思わず顔が緩んだ。
***
「問題ないな。ま、あと一日は安静にしとけ」
「うっす、ありがとうございます」
てきぱきと検診を終わらせたバーミリオンさんは、欠伸交じりで俺に安静を命じると、椅子から立ち上がってアシュレイの方を向いた。
「アシュレイ、お前も安静な」
「動ける」
「アホ。医者の言うことは聞いとけ」
「お前は獣医じゃないだろう」
「獣医がそう言ってたんだっつーの」
こつんとアシュレイの肩を叩いてから、カーテンを開けて出ていくバーミリオンさん。
「おー、レイシャル。もう入っていいぞ」
「へいよ、どうも!」
「食事はしばらく流動食だ。わがままは聞くな」
「了解だ」
外から聞こえてくる会話に溜息を吐くと、アシュレイも同じように溜息を吐いた。
「医者っていう人間は好かない」
「俺はアシュレイが人間じゃなかったことに驚きだよ。しかも獣医管轄って」
そんな話をしたら、アシュレイは当然のように空いた椅子に座った。
「寝てなくていいのか」
「寝てろとは言われなかった」
「屁理屈だな」
「動かなければいいんだろ、動かなければ」
そう言って椅子を移動させて、壁に寄り掛かるように座る。
確かに、それなら体への負担は少なそうだ。
「なあ、アシュレイってどういう生き物なわけ?」
「竜と人間の混血だよ」
なんだかものすごく失礼な質問をしてしまった気もするが、アシュレイはたいして気にする風でもなく答えてくれた。
「ハーフドラゴンってやつか」
「そう呼ぶ文化圏もあるらしいな」
「アシュレイの故郷ではなんて呼ばれてたんだ?」
「厳密なところは覚えていないんだが」
アシュレイはそう言うと、腕を組んでしばらく考え込んだ。
それから。
「……忌み嫌われて処刑されそうになったのは覚えている」
「思った以上に壮絶だった!」
「ひたすら暴れて、最終的には集落を壊滅させてやったさ」
「強い!」
「さすがに無傷とはいかなかったがな。しかしまさか顔面を斬られるとは」
「それでその傷なんだ!?」
「斬った奴はすぐさま引き裂いてやったよ」
「容赦ねえ」
「ふん、父のことを竜神などと恐れておいて、娘である私を侮るとは馬鹿な人間どもだ」
「すげえ、その発言はもはや魔王か何かとしか思えねえ」
アシュレイと言い、アスティリアと言い、この施設にはものすごいやつらが集まっているようだ。
もしかしたら、セレスティアさんとかザルディオグさんとか、ついさっきまでここにいたバーミリオンさんとかにも、そういった壮絶な過去があるのかもしれない……。
「まあ、今となっては両親の顔も何も覚えちゃいないが」
自嘲気味にそう言って、アシュレイは天井を見上げる。こつん、とアシュレイの後頭部が壁にぶつかる音がした。
「いいんだ、どうでも」
「どうでもって」
「この程度の過去、ここじゃ珍しくもない。なあ、レイシャル」
アシュレイがそう言うと、俺の腹の上に小さな衝撃。どうやらレイシャルが飛び乗ったらしい。
「まあ、そうだなぁ」
「何、レイシャルにも実は壮絶な過去が?」
「俺は火を使った調理をし始めたあたりで森に投げ出された。生態系を脅かす進化ってのがまずかったのかなぁ、たぶん」
「進化しすぎだろ、ヤバいなレイシャル」
「聞いたかもしれねえが、アスティリアはヤバい兵器開発とかしてたからな。俺よりヤバいぞ」
「ああ、それは聞いた。それも驚愕したわ」
話を聞けば聞くほど、この組織に所属している全員が実はすごいやつばかりなのかもしれない……という考えが真実味を帯びてくる。
一人でぞわぞわと鳥肌を立てていたら、アシュレイが横で小さく笑った。
「とはいえ、全員がそんな奴ばかりというわけではない」
「え、そうなの」
「何の特殊性も持っていないのに、偶然が重なって森へ排出されてしまう存在もいる」
「ああ……俺みたいに、ってことか」
そうして納得したところで、しかしアシュレイは考え込む。
「いや、お前はたぶん……」
そこまで言って、アシュレイはさらに考え込む。俺が首を傾げたところで、アシュレイは小さく首を振り、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「いや、憶測で話すのはよくないな。違った時に申し訳ない」
「え、何、気になるんだけど」
「気にしなくていいさ。私の気のせいなら、きっとその方がいい」
やけに気になることを言って、アシュレイはまた天井を見上げた。
そして。
「早く帰れるといいな」
アシュレイの小さな言葉を聞いて、布団から右手を引っ張り出す。指折り数えて、思わず息をのんだ。
森で保護された初日。
検査を受けた二日目。
施設見学をした三日目。
帰ろうとした四日目。
二日眠って、今は六日目。
「……ああ、それは確かに」
明日が来たら、この森へ来て一週間が経つ。
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