三、朗報

「ただいまー」

「おう、ゆっくりしてたみたいだな、『迷子』!」

「遅い」



 アスティリアにすぐ傍まで送ってもらって、部屋へ帰り着いた現在。

 迎えてくれたのはレイシャルと、……顔の真ん中に大きな傷がある、灰色の目をした女だった。



「え……っと?」

「しっかりしろ『迷子』、アシュレイ部長だ」

「え。……ああ!」



 言われてみれば、服装に見覚えがある。

 ハイネックのノースリーブ、アームカバー、黒いサルエルにごついブーツ。最初に見た時にかぶっていたキャスケットこそないが、確かにアシュレイだ。



「お前、私を帽子で認識していたわけではあるまいな……?」



 じとりと俺を睨むアシュレイから視線を逸らしつつ、頭を掻く。

 いや、確かにキャスケットがないから誰だか分らなかった。それは確かだ、認めよう。ごめんなさい。

 心の中で謝罪を終えてから、改めてアシュレイに向き直る。けれどまだアシュレイの目が据わっていたため、発した声は若干上ずってしまった。



「そっ、それはそれとして、何でアシュレイがここに……?」

「おい、何故そこまで怯えるんだ、私がお前に何をしたと言うんだ」



 呆れたようにそう言ってから、アシュレイは深く溜息を吐く。



「ザルディオグから検査結果が来てな」

「え!? 昨日の今日で!?」

「いわく、『あまりにも面白かったもんで一気に調べ上げた』とのことだ」



 何がそんなに面白かったと言うんだ。

 いったい俺の何があのドS研究者のツボに入ったと言うんだ。



「候補として挙がった樹は、三本だ」

「三本」

「普通なら一本に絞られるんだがな。ザルディオグも不思議がっていた。もう少し調べたいなどと言っていたが、それは止めておいた」

「それはたいへんありがとうございます!」



 思わず全力で礼を述べたら、アシュレイが不思議そうに俺を見た。その後ろで、レイシャルが全力で噴き出したのが見えた。



「……よくわからんが、どういたしましてと言っておこう」



 うなじの辺りを掻きながら、アシュレイが言う。

 それからアシュレイは、ポケットからメモ帳を取り出した。



「ああ、それでだ」

「あ、うん」

「その三本の樹なんだが、それぞれがかなり遠くてな。お前を発見した位置から最も近い樹を最有力候補とした。早速で悪いんだが、明日行くぞ」



 思った以上に早速だった。



「えっと、待ってアシュレイ、それってつまり明日もう帰るってこと……?」

「? 当然だろう、今更何を言っている?」



 心底不思議だという顔で、アシュレイは首を傾げる。



「そもそも、早く帰りたいと言っていたのはお前じゃないか」



 それは、そうなんだけど。

 ……間違いないんだけど。



「……そっか」



 今日一日、一緒に行動していたアスティリアの顔を思い出した。

 昨日一日、検査で引っ張りまわしてくれたザルディオグさんの顔を思い出した。

 一昨日、面接の後で一緒に晩飯を食ってくれたレスティオールの顔を思い出した。

 そして、その時の彼の言葉を思い出した。



『何も心配しなくていい。世界に戻れば、この森のことは忘れてしまうんだから』



 寂しい、のは、何故だろう。



「とにかく、明日の朝の時間になったら森へ出発するぞ」



 アシュレイの言葉に、トリップしていた意識を引き戻す。いつの間にか俯いていた顔を上げたら、アシュレイが俺の方を見ていた。



「帰る準備をしておけよ」



 そう言って、アシュレイは俺の横を通り過ぎ、そのまま振り返りもせずに部屋を出る。

 ドアが閉まるのを見届けたところで、レイシャルが言った。



「よかったじゃねーか、すぐに帰れるようでよ!」

「あ、ああ」

「今日は祝いだな! 晩飯は何が食いたい?」



 嬉しそうな様子のレイシャルに、何故かわからないけれど、どういうわけかわからないけれど、胸の辺りが軋むような感覚がした。



 ***



「……はぁ」



 レイシャルが沸かしてくれた風呂に入りながら、天井を見る。


 ここに世話になり始めて、今日が三日目。

 そのたった三日間が、俺にとっては思いのほか濃いものだったようで。



「楽しかったなぁ」



 あっという間だったのに、思い出すだけで顔が緩んでくるような出来事が多すぎたように思う。今日のアスティリアとの施設内見学は特に、だ。

 いろいろと思い出しながら、目を閉じる。



『何も心配しなくていい。世界に戻れば、この森のことは忘れてしまうんだから』



 また、レスティオールの言葉が脳裏をかすめて、目を開けた。



「……明日かぁ」



 明日、元の場所へ戻ることができたのなら、俺はここで過ごしたことをすべて忘れてしまうのか。


 アシュレイのかっこよさも、シュバルツの獣臭さも。

 レスティオールの兄ちゃん加減も、セレスティアさんの母さん加減も。

 レイシャルの世話焼きぶりも、ザルディオグさんのドSさも、アスティリアの面白さも。


 忘れるのか。



「あーあ、やだやだ」



 思考が負の方向へ落ち込んでいくのを止めようと、首を振る。目を開ければ、相変わらずの真っ白な天井が見えた。



「……やだやだ」



 茶化すように呟いて、浴槽から出た。



 ***



 翌朝。

 今日も、真っ先に目に入ったのは白い天井。何度かゆるゆると瞬きを繰り返してから、起き上がった。



「ようやく起きたか」



 聞こえてきた声に振り返ると、アシュレイがいた。

 さも、ここにいるのが当然であるかのように、あるいは最初からここにいましたが何か、と言うような空気すら醸し出すように、そこにいた。



「うおおおおお!?」



 驚き過ぎた結果、ギャグ漫画のようにベッドから転がり落ちた。



「そこまで教科書通りのようなリアクションをされるとは」

「こういうやつなんだよ」



 起き上がってもう一度見てみれば、当たり前のような態度でベッドの傍に立っているアシュレイと、その左肩に乗っかっているレイシャルの姿が見えた。



「え、ちょ、なんで」

「朝の時間になったら森へ出発すると言ってあっただろう。迎えに来たんだ」

「ちょっと待って、何時!? 今って何時?」

「五時だな」

「早朝過ぎるだろ!」



 懐中時計を一瞥して、アシュレイは首を傾げる。



「五時は朝だろ。三時や四時に来なかっただけありがたいと思え」

「それは確かにそうかもしれないけれども」



 心底不思議そうな顔をしているアシュレイの肩から、レイシャルがベッドに飛び降りる。

 それから俺に近づいてきたレイシャルは、肩をすくめるようなジェスチャーをしながら言った。


「仕方ねーよ、『迷子』。アシュレイ部長は寝ないんだ」

「は?」

「睡眠が必要じゃない生き物なんだよ、アシュレイ部長は」



 その言葉に目をしばたいていると、アシュレイが小さく溜息を吐いてそっぽを向いた。



「そんなことはどうでもいい。さっさと支度を済ませろ」

「え、あ、やっぱりもう行くんだ?」

「当然だ。私は外で待っているから、着替えと朝食を済ませたら来い」



 そう言って、アシュレイが部屋を出ていく。ドアが閉まってからレイシャルのほうを見ると、レイシャルはテーブルの上を指差した。



「朝飯はトーストに目玉焼きだ」

「やった、トーストに目玉焼き乗せる、絶対乗せる」



 無駄にテンションが上がった俺を見て、レイシャルは呆れたように笑った。



 ***



「じゃあ、レイシャル。行くよ」



 ここへ来た時に着ていた制服に袖を通した現在。

 部屋を出る前にレイシャルを振り返ると、ぶんぶんと手を振られた。



「気を付けて行けよ!」

「ああ、ありがとう」



 そう言って笑って、部屋のドアを開けた。

 ドアのすぐ横にアシュレイがいて、俺に気付いてこちらを見る。



「準備は終わったか」

「ああ」

「行くぞ」

「わかった」



 俺に背を向けて歩き出すアシュレイに続いて、一歩を踏み出す。

 背中で、ドアの閉まる音がした。



「丸腰で行くわけにもいかないからな。武器庫に寄るぞ」

「えっ、入っていいのか!?」

「入らせん。お前は外で待て」

「ですよね!」



 ちょっと期待したのに!



 内心で悔しがっていたのがバレたらしく、アシュレイは俺の前でわざとらしい溜息を吐いた。



「中を覗くくらいなら許してやる」

「! あっああありがとうございます」



 すでに覗きました、などと言ってしまったら覗かせてももらえなさそうなので、どもりつつお礼を言わせていただいた。



 ***



 そして、場面は変わって武器庫前。

 今は逆の時間の方々が働いているところらしく、昨日アスティリアと一緒に来た時と様子は変わらない。



「適当なナイフを見繕ってくる。ここでしばらく待っていろよ」

「お、おう!」



 武器庫に入っていくアシュレイを見送りつつ、ドアから武器庫内を改めて観察する。

 昨日は見えなかった弓矢や槍、他にもさまざまな武器が置いてある。きょろきょろと視線を動かしていたら、人の気配が近づいてきた。



「覗いてもいいとは言ったが、覗き過ぎなんじゃないか」



 呆れたような言葉は、すでにナイフを選び終えたらしいアシュレイからのもの。思わず姿勢を正したら、今度は呆れたように噴き出された。



「まあいい。ほら、持っておけ」



 そう言いながら渡されたのは、ナイフと言うより脇差に近いもの。プラスチックのバット以来、武器というものは手にしたものがなかったので、やたら緊張する。



「重いな」

「ああ、だろうな」



 呟いた一言に、アシュレイの言葉が返ってくる。



「そんな小さなものでも、命は奪えるんだから」



 俺の手に乗った脇差が、さらに重さを増したような気がした。



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