二、検査

「ここが研究部の入り口よ」



 不意に、セレスティアさんが目の前で止まる。視線を動かすと、『研究部』と書かれたプレートが見えた。



「中は入り組んだ造りになっているから、ちゃんとついてきてね」

「あ、はい」

「入りましょう」



 セレスティアさんはノックをすることもなく、無遠慮にドアを開け、きょろきょろと部屋の中を見回しながら足を踏み入れる。慌ててその後を追うと、セレスティアさんは近くにいた人に声をかけた。



「ねえ、そこのあなた。ザルディオグはどこかしら」

「部長っすか? さっき森林生態課の研究室で見ましたけど」



 黒いつなぎの作業着を着たその男の人は、赤い目をぱちくりとさせて俺たちを見る。


 身長はあまり高くなく、つなぎの袖や裾は何回か巻いてようやくちょうどいいらしい。引きずりそうな裾から、つなぎと同じ黒色の靴が少しだけ覗いているのが見える。

 顔立ちも幼く、どうやら俺と似たような年齢か、もしくは少し年下のようだ。


 大きめの段ボール箱を抱えているところを見ると、それをどこかへ運んでいる途中のようだが……話しかけて大丈夫だったんだろうか。



「案内してもらえる?」

「わかりました、こっちっす」



 その人はそう言うと、すぐ近くにあったドアを開けて中に入っていく。そのあとを追いかけつつ、室内を見回してみた。

 機械技術関係の研究室らしく、ロボットとか不思議そうな装置とか、少年心をくすぐるいろんなものであふれている。



「すげー……見たこともないもんがいっぱいある」

「楽しそうね」

「いや、これは楽しいに決まってますよ、少年心がくすぐられる感じ」



 セレスティアさんが『雑多』と表現したのは決して間違いでもオーバーでもないようで、室内はいろんなものが置いてある。

 とは言え散らかっているわけではなく、何かしらの法則で整頓されているらしいことは分かった。



「あっ、パソコン……いやに古いけど」

「ああ、あれの文化圏の人っすか? あとで話聞いてもいいっすかね」

「え、ああ、俺で答えられる範囲なら」

「助かるっす、あの文化圏から最後に人が来たのって二十年くらい前なんで、そろそろ新しい情報が欲しかったんすよー」



 けだるそうな口調でありつつ、楽しそうにその人は言う。



「俺がいたとこはどっちかと言うと魔法技術の方が発達してて、電子的なディスプレイとか、回路の細かい基盤とか珍しくて、なんかハマっちゃって」



 その話を聞いて、ようやく実感した。

 本当に、俺のいた世界とは全く違う世界があって、そこで生きていた人がこうして実在するということ。



「あ、この部屋っすよ。部長~……あれ」



 ドアを開けて室内を見たその人が、小さく首を傾げる。



「なあ、部長どこっすか?」

「部長~? さっき魔法科学課の研究見てくるって出て行ったぞ」

「マジっすか。じゃあそっち行ってみるっす」



 開けたドアを閉めて、その人は申し訳なさそうに俺たちを見た。



「すんません、移動したみたいっす」

「相変わらず自由な男ね」

「面目ないっす」



 呆れるセレスティアさんに謝りながら、その人はまた歩き出す。



「部長? さっきまでいたんだけどなぁー……たぶんあっちから出て行ったと思う」



「あっ、部長ならさっきすれ違ったよ! あっち!」



「え、部長? 見てないけど……」



 ということを何度か繰り返し、三十分が経過。

 そろそろ三人そろって疲れ切ったところで、ようやく目的の人物と合流できたのだが、奇しくもそこは『研究部』と書かれたドアをくぐった最初の部屋だった。


 白衣を着たその目的の人物は、セレスティアさんを見るや呆れたように言った。



「遅かったね。寝坊でもしたわけ?」

「三十分ほどあなたのことを探していたのだけど?」

「何、それなら早く見つけてよ。何年一緒にいると思ってるの」

「それを言うならあなたも私と何年こういうやり取りをしてきたと思ってるの?」



 苛立った様子のセレスティアさんと、飄々とした態度の部長さん。その様子をぽかんと見守っていたら、部長さんが俺の方を向く。


 白衣の内側は、シンプルな白シャツにジーンズ。歩きやすそうな白いスニーカーは、俺が履いているものと少し似ている。

 少し長い前髪の隙間から、藍色の目が俺を捉えた。



「で、これが今回の『迷子』?」

「あ」

「ええ、そうよ」

「ふうん」



 部長さんは俺の顔をまじまじと見てから、小さく息を吐き、面倒くさそうに手招きをした。



「じゃあ、検査するからついてきて。たぶん一日かかるからよろしく」

「あ、はい」

「終わったら連絡するから、セレスティアは仕事してなよ」

「言われなくてもそうするわよ、よろしくね」



 棘のあるセレスティアさんの言葉に、部長さんは悪意などなさそうにひらひらと手を振る。俺はセレスティアさんに一度頭を下げてから、部長さんの背中を追った。



 ***



「えーっと……ああ、これか。シロサキ・リショウ」



 現在地、診察室のような場所。

 何やら書類を取り出しながら、部長さんは言った。



「まず名乗っておくよ。僕はザルディオグ」

「ザルディオグさん」

「研究部の部長って肩書きではあるけど、部長らしいことなんて『遺失物』の検査くらいしかしてない。まあ、これが一番楽しいんだけどね」



 無表情でそんなことを言いながら、ザルディオグさんはごくさりげない動きで注射器を用意し始める。



「利き腕じゃない方、出して」

「は、はい?」

「とりあえず採血するから」

「まず採血!?」

「滞在時間が長くなると、体組織構造が森に順応していくんだよね。だから早めに採るんだよ。ほら、早く腕出して」

「は、はい」



 おずおずと袖まくりをして左腕を出すと、手早く二の腕の辺りを縛られ、消毒される。



「痛いからね」



 ちくり、言われたほど痛いわけでもなく、血が抜かれていく。

 いくらか採血された後、手慣れた動きで着々と注射針が抜かれ、脱脂綿を貼られた。あまりにも鮮やかな手つきに感心していると、ザルディオグさんは俺の血が入った試験管を手に取り、呟いた。



「赤か。普通だね」



 つまらなそうな顔をしつつ、ザルディオグさんはなおも俺の血から視線を離さない。試験管を揺らしたりしながら、まじまじと観察している。



「赤以外の血もあるんですか?」

「あるよ。今まで見た中で一番綺麗だったのは青かな。紫も珍しくてよかったけど」

「へ、へえ」



 想像してみようと思ったが、実物を見たことがないためどうしてもうまく想像できない。

 その結果、どうやら変な顔をしてしまったらしく、ザルディオグさんに鼻で笑われた。



「機会があれば見せてあげるよ。ないだろうけどね」



 そんなことを言いながら、ザルディオグさんは俺の血が入った試験管を揺らしながら後ろを振り向き、それっぽい機械に入れる。



「次、頬粘膜。採取するから口開けて」

「あがっ」



 口開けて、と言いつつ無理やり口を開かされた。

 ザルディオグさんは俺の頬の内側の粘膜を淡々と採取しながら、思い出したように言う。



「午前の内に採取できるものは全部採るからね。よろしく」

「あがががが」

「唾液も採るよ。あ、胃液とか自分で出せる?」

「あががが」

「さすがに無理って? 何とかしなよ、それでも男なの」

「あががががが」



 この人は完全なSだと悟った。



 ***



 さて、ようやく昼になった。

 ザルディオグさんは宣言通り、午前の間にありとあらゆるサンプルを採取した。それこそ皮膚とか毛髪とか尿とか……うん、その他、いろいろ。



「……どっと疲れた」

「お疲れ。はい、次はこっち」



 ねぎらう気持ちが全くこもっていない言葉をかけられつつ、先を歩くザルディオグさんについていく。



「あの、昼飯は」

「ないよ。胃にものが入ってる状態じゃ、正しいデータは取れない」

「ああ……はい」



 ぐきゅるるる、と音を立てる腹は、申し訳程度にさすっておく。



「戦闘経験はそんなにないんだっけ」

「あ、はい」

「ケンカ程度ね……肉弾戦ってこと?」

「ああ、はい、一応」

「ふうん」



 ザルディオグさんは、手元のバインダーに挟んだ書類を見ながらつかつかと歩いていく。意外と歩くのが速い。ついていくのに必死だ。

 研究者と言うと運動はあまり得意じゃないイメージがあるんだが、この人はそうでもないようだ。



「見た感じ、特殊性も異能力もなさそうだけど……一応、能力値を測定するから」

「能力値?」

「体力、攻撃力、守備力、素早さ、魔力。その辺の能力を数値で算出する」

「そ、そんなRPGみたいなことができるんですか……!」

「何だっけそれ、ゲーム? 前に誰かが言っていた気がするな。同じ文化圏だったんだろうね」



 そんな話をしながら歩いてしばらく。

 辿り着いた部屋にあったのは、椅子に大仰な装置がいろいろついた機械。コードからつながった先には、頭にかぶるような装置がついていたり……血圧を測るようなものがついていたり……漂うSF感に、少々たじろいでしまった。



「座って」

「え、えぇぇ……いや、これ、ちょっと」



 フォルムが既に怖い。

 ぶんぶんと首を振っていたら、苛立ったらしいザルディオグさんにがっしりと肩をつかまれた。



「まどろっこしいね。何も怖くないから大人しく座りなよ」

「ひぃぃ」



 あれよあれよと言う間に無理やり座らされ、有無を言わさずに固定された。

 さっき頬粘膜を採取された時も思ったが、この人は意外と力が強い。俺も腕力はある方だと思っていたんだが、まったく敵わなかった。



「さて、大人しくしてなよ」



 がぽっ、なんて音がして、視界が真っ暗になった。何かかぶせられたらしい。視線をさまよわせている間に、機械が起動するような音が聞こえてきた。

 今まで生きてきたうえで味わったことのない、更には元いたあの世界では一生味わうことがなかったであろう感覚に、鳥肌が立った。



「うわぁ……帰りてえ」

「ああ、これが終わったら食事とか出してあげるから、もう少し頑張って」

「頑張ります」



 昼飯欲しさに即答したら、呆れたような溜息が聞こえる。



「君、単純だって言われるでしょ?」



 ……性格が一瞬でバレた。


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