参、組織の内情

一、起床

 翌朝。



「おい、『迷子』! 起きろって言ってんだろ、おい!」



 ぺしぺしと顔を叩かれる感覚に、何とか目を開ける。

 目の前に、白いリスがいた。



「うおおおおっ!?」

「うおおっ!?」



 びっくりして飛び起きたら、俺の胸の上に乗っていたリスがコロンコロンと転がっていき、足元の辺りでひっくり返った。



「何しやがんだ、コラ!」



 跳ね起きて、俺に向かって怒鳴るリス。うん、可愛い。じゃない。



「リスがしゃべってる!?」

「今!? 今そのリアクション!?」



 ツッコミを聞きながら、きょろきょろと部屋の中を見渡す。

 自分のベッドじゃない。自分の机じゃない。自分の部屋じゃない。


 両手で頭を押さえて、頭の中を整理。

 確か、学校から帰る途中、唐突に森の中に迷い込んで、白い髪の人に保護されて、白い塔に来て、うんぬん、かんぬん。

 そこまで考えて、ようやく自分の現状を思い出した。



「ああ! レイシャル! おはよう!」

「おはよう! ようやく起きたか!」



 レイシャルに朝の挨拶をしてから、ベッドを降りる。

 そういえば昨夜、疲れ切って制服のまま寝てしまった。しわになっているのは仕方ないとして、汗臭いのはどうにかせねば。



「なあ、レイシャル」

「何だ、『迷子』」

「『迷子』って呼ぶな、俺の名前は吏生だ」

「おーっとそいつはすまねえな、『迷子』!」



 呼び方に関しては、譲るつもりがないらしい。

 一つ溜息を吐いてから、俺は自分の服の襟元を引っ張って見せた。



「服を洗濯したいんだけど、どうすればいい?」

「洗濯? ああ、洗濯室は委員会の所属じゃないと使えないんだ」

「えっ。……どうしたものか」



 襟元に鼻を近付けて、においを嗅いでみる。ああ、やっぱり汗臭い。

 俺の様子を見ていたレイシャルは、やがてわざとらしく溜息を吐いた。



「仕方ねえなぁ、俺が代わりに洗っておいてやるよ!」

「マジか!」

「正直に言うと、それが俺の仕事だしな」

「じゃあなんでわざわざ恩に着せるような言い方したんだよ!」

「なんとなく」

「なら仕方ないか! 許す!」

「どうも!」



 レイシャルとは仲良くなれそうな気がします。



「ほらっ、洗濯してほしいもん出せ!」

「わかった、脱ぐ」

「待て! 今ものすごく思った、お前すっげー汗臭い! 風呂沸かすから入れ! 頼む!」

「頼むほど!? そんなに臭かった!? ごめんね!」



 レイシャルとは仲良くなれそうな気がしたのは俺の気のせいだったかもしれません。


 パタパタと風呂場の方へ駆けていくレイシャルの後ろ姿を見送ってから、もう一度襟元に鼻を近付けた。

 ……やっぱり、汗臭かった。



 ***



「はぁー……生き返る」

「おう、湯加減はどうだー?」

「おー、ちょうどいいぞー」



 浴槽に浸かりながら、レイシャルの声に応答する。浴室の外では、レイシャルが俺の脱いだ服をごそごそと回収している様子。



「じゃあ、こいつは俺が責任もって洗っておいてやるからな!」

「ありがとう、レイシャル!」

「仕方ねえからタオルも置いといてやるよ!」

「ありがとう!」

「着替えまでは用意しねえからな! ちゃんとテメエで用意しな! あばよ!」

「あっはいわかりました」



 ばたん、扉が閉まる音がして、深く息を吐く。



「……夢じゃなかったか」



 昨日の出来事を思い返して、天井を見上げる。

 やっぱりと言うかなんと言うか、どこを見ても白い。ここで会った人たちの髪の色と言い、レイシャルの体の色と言い、この場所は白が多すぎる。

 ……ああ、最初に会った虎は黒かったけれど。



「そういや、髪の色については聞きそびれたな」



 自分の髪の毛を引っ張って、視界に入れる。見慣れた黒い髪に、どこか安堵する自分がいた。



 ***



 さて。

 風呂から上がり、クローゼットをあさり終えた現在。

 よくわからない構造の服が多い中、制服に似たカッターシャツとスラックスがあったのは幸運だった。サイズもちょうどいい。



「当面はこれでいいか」



 最後に、ベッドの傍に脱ぎっぱなしだったスニーカーを履いた。

 着替えを終えて伸びをしていたところで、ガチャリ、無遠慮に開くドア。



「おう、何だよ! 結局似たような服にしたのか?」

「ん、ああ。着られるのがこれくらいしかなくてさ」



 帰ってきたレイシャルが、俺の姿を見るやつまらなそうに溜息を吐いた。



「代わり映えがねえな。もうちょっと面白い格好してるかと思ったのに」

「期待を裏切ったことは悪かったが、お前は出会って短時間の俺に過度な期待をするんじゃない」



 そんな楽しいやり取りをしたところで、盛大に腹が鳴る。

 風呂に入りながらいろいろと考えたもんで、思ったよりカロリーを消費していた様子。



「……レイシャル」

「ずいぶん豪快な空腹アピールだな、おい」



 呆れたように息を吐いたレイシャルが、廊下の方を指差しながら言う。



「そろそろ腹が減る頃かと思ってな。飯、持ってきたぜ」

「レイシャル!」

「適当に俺チョイスで持ってきたからな! 嫌いだったら言えよ!」

「ありがとう、レイシャル!」

「ほれっ、食え!」



 どんっ、なんて効果音が付きそうなテンションで出されたのは、どんぐりだった。



「せめて……せめて人間の食べ物を……!」

「あ、間違えた! これは俺の朝飯だった!」

「よかった!」

「お前の分はこっちだ!」



 本気でリス目線のチョイスをされたのかと思って焦った。

 ほっと息を吐いていたら、差し出されたのはフルーツ入りのヨーグルト。



「女子か! っていうかこれもお前の好みだろ!」

「よくわかったな!?」

「見たことあるもん! リスの好物の一覧にこういうの載ってたの見たことあるもん!」

「マジか、お前すげえな!」



 その後、フルーツ入りヨーグルトは美味しくいただきました。



 ***



 朝食を食べ終えてしばらく経った頃、小さくノックの音が聞こえてきた。



「リショウ、入っていいかしら?」

「あっ、はい」



 外から聞こえた声に返事をすれば、セレスティアさんがドアを開けて入ってくる。

 そして俺の姿を見て、小さく首を傾げた。その動きに合わせて、白い髪がさらりと肩から落ちる。



「あら、結局そういう服に落ち着くのね」

「他は着方がよくわからなかったんで」

「ああ、そこは盲点だったわ」



 そう言って、セレスティアさんは面目なさそうに笑う。



「でも、脱ぎ着がしやすい服を着ておいてくれたのはありがたいわ」

「へ」

「昨日、レスティオールから少し聞いたと思うけれど、今日は検査を受けてもらうの」

「検査」



 思い返してみると、そういえば、出身世界を割り出すための検査を受けてもらう、とか言われていた気がする。



「場所はこれから案内するわ」

「あ、移動なんですね」

「持ち運びができない装置もあるもの、仕方ないわ。ご足労願うけれど、いいかしら」

「あっはい、全然、はい」

「ありがとう。じゃあ、さっそく行きましょう」



 歩き出すセレスティアさんに続いて、俺も部屋を出る。

 ドアのところで一度部屋を振り向いたら、レイシャルがぶんぶんと手を振っているのが見えた。



 ***



「検査をするのは、研究部という部署よ」

「研究部」

「森に関する研究をしているの。世界樹のことも、森に生きている生き物たちのことも、私たちにはまだまだ分からないことが多いのよ。例えば、髪」



 セレスティアさんはそう言って、自分の髪の毛を軽く引っ張って見せた。

 背中ほどまである長い髪が、セレスティアさんの指からするすると落ちる。



「見ていて気付いたかもしれないけれど、ここにいる生き物は体毛が白くなっていくの」



 俺が聞きそびれた疑問について、思わぬところで答えが返ってきた。



「昔は私、赤い髪をしていたんだけどね。いつの間にか真っ白よ」

「ここにいるうちにだんだん白く、ってことですか」

「ええ。私たちだけじゃなく、森にもともと住んでいるらしい生き物たちも白い体毛になっているから、おそらく森の影響だろうという予測はしているのだけど」



 自分の髪の毛を見てから、セレスティアさんは続ける。



「その原因も、研究部が少しずつ研究しているの」

「……へえ」

「森についてだけじゃなく、いろんな世界の技術についても研究しているのよ。医療技術や機械技術、魔法技術、その他もろもろ。だからあの部署はいろいろと雑多なの」



 苦笑しながら言って、呆れたように肩をすくめるセレスティアさん。



「いろんなものがあり過ぎて、私には何が何だかわからないわ」

「それは面白そうですね」

「ええ? やっぱり男の子だからかしら、好奇心が強いというか」



 セレスティアさんはそう言うと、理解できない、という顔でゆるゆると首を振る。

 その様子が完全に『母さん』って感じで、何故か笑えてきた。



「何を笑っているのかしら」

「あ、すみません。言い方が何か母さんっぽいなぁと思って」



 そう言うと、セレスティアさんはきょとんとした後、呆れたように笑った。



「いやね、今のところまだ子供の予定はないわよ?」

「今のところまだ!?」

「そりゃまあ、いずれ素敵な男性と結婚して寿退職とは思っているけれど」

「あ、そういう制度あるんだ!?」

「もちろんよ。……まあ」



 セレスティアさんは一瞬遠い目をしてから、苦笑した。



「退職したところで、他に行くところなんてないのだけど」


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