三、保護

「ごちそうさまでした」



 夕食のハンバーグを食べ終え、また両手を合わせて頭を下げる。その様子を見たレスティオールが、満足そうに頷いた。



「食欲は旺盛のようだな。結構なことだ」

「美味くてつい」

「いや、構わんさ! 食えるときに食っておくべきだよ、若いうちはなおさらだ」



 妙に爺臭いことを言いながら、レスティオールはまたからからと笑う。

 それからすぐに、こんこん、外からノックの音が聞こえてきた。



「失礼」

「ああ、アシュレイか」



 ドアが開くと、アシュレイの姿が見えた。相変わらず、目深にかぶられたキャスケットのせいで表情はよく見えない。



「話は終わったのか?」

「ああ、夕食もちょうど終わったところだ」

「そうか。タイミングはよかったようだな」



 そんなことを言いながら、アシュレイが俺の方に視線を寄越す。



「それで」

「ただの『迷子』だ。総務に連絡してくれ」

「わかった」



 それだけ会話をして、アシュレイが一度部屋を出る。その間にレスティオールの顔を見たら、何も聞いていないのに話し出した。



「これからリショウには、出身世界を割り出すためにいろいろと検査を受けてもらう」

「検査?」

「そんなに難しいことじゃない。体を構成する成分とか、そういうのを調べるんだ」

「へ、へえ」



 いや、俺が難しいことをするわけではないのだろうけれど、難しそうな話だ。



「出身世界が特定できるまで、俺たちがお前を保護することになる。部屋のことや食事のことは総務部の者が世話してくれるから、安心していい」

「は、はあ」



 めまぐるしく進んでいく話に混乱していたら、レスティオールが俺の方に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてきた。

 そして穏やかに笑いながら、レスティオールはこう続けた。



「何も心配しなくていい。世界に戻れば、この森のことは忘れてしまうんだから」



 思わず目をしばたかせる。

 すると、レスティオールはわずかに目を伏せてから、俺の肩をポンと叩いた。



「とりあえず、今日はゆっくり休みなさい」

「……はい」



 今、思うのは。

 現状、ただでさえあまり働きがよくない俺の脳みそでは、俺の身に起きているもろもろについて理解することは難しい。

 もしかしたらこれは妙にリアルな夢なのかもしれない。なんて、現実逃避も甚だしい。



 ***



「頭は働いているか?」



 その後。

 支部長室を出て、アシュレイに連れられるまま建物の中を移動する現在。



「……理解が追い付かないのも無理はない。『迷子』はいつもそんな感じになる」

「そうだ、『迷子』『迷子』って何なんだ、子供扱いか」

「ただでさえ許容量を超えているところにさらに質問を重ねるとは、なかなかの猛者だな」



 アシュレイから微妙にわかりにくいツッコミをいただいた。



「別に、馬鹿にしているわけじゃない」

「じゃあどういう意味なんだよ」

「まあ、『迷子』認定を受けたなら答えても問題ないだろう」



 俺の前を歩くアシュレイは、少し困ったように頬を掻く。



「まず、原因不明で森に出てきたもののことを、私たちは『遺失物』と呼ぶ。これは生命体だろうがそうでなかろうが関係ない。樹が『落としたもの』という意味でつけられた名称だ」



 アシュレイの言葉に、記憶を辿る。

 そう言えば、最初にアシュレイが俺を見つけたときも、レスティオールの部屋に連れてこられた時も、アシュレイは俺を『遺失物』と言っていた。



「その中で、樹に害をなす恐れがないものを『迷子』と呼ぶんだ。断じて蔑称ではない。むしろ安全なものだという意味で、私たちは『迷子』という名称を使う」

「……『迷子』、ねぇ」



 馬鹿にされている気分は拭えないが、そうではないらしい。



「他にも森に出てくるものについてはいろいろ名称があるが……これ以上説明しても、お前の理解は追いつくまい」

「それは馬鹿にしてるだろ」

「無理はするな、と言っているだけだ。とりあえず今日は休め。ほら、いいタイミングで到着だ」



 そう言いながら、アシュレイは辿り着いたドアをこんこんとノックする。中からドアが開いて、出てきたのは優しそうな女の人だった。


 白い長袖の上に、桜色の布を腰から肩にかけてぐるぐると巻きつけたような、何とも形容しがたい服装。どこかの民族衣装のような印象だ。巻きスカートのようになっている裾の部分が、動きに合わせてひらりと揺れる。

 短めの白いブーツの、低いヒールがこつんと音を立てた。



「あら、アシュレイ。早かったのね」

「セレスティア。部屋の準備は?」

「終わったわ。もう入って大丈夫よ」

「ああ、失礼する」



 アシュレイに手招きされるまま、部屋に入る。

 部屋の中は、ホテルのシングルルームに近い内装。ベッドにデスク、それにソファとテーブル。



「ここは?」

「お前がこれからしばらく寝泊まりする部屋だ」

「い、意外といい部屋だな」

「過ごしやすいに越したことはないもの」



 にっこり、先ほどセレスティアと呼ばれていたその人は、緑色の目を細めて優しそうに微笑んだ。



「自己紹介が遅れてごめんなさい。私はセレスティア。総務部の部長を務めているわ」

「セレスティア、さん」

「呼びにくければ呼び捨てでも構わないし、略称を付けてくれても構わないわよ」

「いや、大丈夫です」



 さすがにそれは気が引ける。

 アシュレイは見た目が同世代くらいだからいいけれど、セレスティアさんはどう見ても年上だ。



「リショウ、と言ったわよね。レスティオールから話は聞いているわ。よろしくね」

「あ、はい、よろしくお願いします」

「そうだ、アシュレイの自己紹介は済んだの?」



 そう言って、セレスティアさんがアシュレイを見る。アシュレイは一瞬ぽかんとした顔をして、それから困ったように頬を掻いた。



「別に、私の名前なんて名乗らなくても」

「そんなこと言わないのよ。リショウ、こちらはアシュレイ」

「……えっと、どうも」



 正直、何度か名前は聞いているし、今更という感じはあるが。

 そんなことを思いながら頭を下げると、セレスティアさんは続けて口を開いた。



「巡回部という、主立って森を管理する部署で、部長を務めているわ。私より偉いのよ」

「えっ!?」



 思わず驚いたら、アシュレイがむっとした顔でセレスティアさんの方を向いた。



「序列はお前と変わらないだろ」

「そうは言うけれど、あなたの方が出世は早かったでしょう」

「森へ来たのはお前の方が先だ」



 そんなやり取りをする二人を見比べながら呆然としていたら、頭の上にぼすんと何かが乗る感覚がして、ようやく我に返った。



「おい、部長たち。『迷子』がぽかんとしてんだろ、気にしてやれ」

「レイシャル。お前、いたのか」

「あら、ずっといたわよ、アシュレイ」



 頭に衝撃があり、直後に何かが視界の上から下へと落ちていく。

 そうして俺の足元に着地したそれは、どうやらリスのような生き物だった。



「紹介するわ、リショウ。あなたの滞在中のお世話を担当する、レイシャルよ」

「おうっ、よろしくな! 『迷子』!」



 デニムのオーバーオールなどという可愛らしい身なりをしたその白いリスは、あまりにも可愛くない口調と態度で、そう言った。



「かっ……可愛くねえ」

「何だとコラ、『迷子』コラ!」

「リスなのに。マスコット感満載な姿形のはずなのに。可愛くねえ!」

「どういう意味だ、コラ!」



 足元でぷんすかと怒るリス、レイシャルの姿を見ながら、しゃがみ込む。



「おうコラ、やるか!? あぁん!?」



 ケンカ腰にそんなことを言うレイシャルをまじまじと眺めてから、改めて思った。



「リスがしゃべってんの、初めて見た」

「冷静か! 初見で冷静か!」

「何だよ、せっかくならもうちょっと可愛い声でしゃべってくれればいいのに!」

「あぁん!? 何『迷子』の分際でリス様の声に文句つけてんだ、あぁん!?」



 たぶんこの場合の『リス様』っていうのは『人様』みたいなことなんだろうなぁ。

 そんなことを思いながらレイシャルを眺めていたら、頭の上でアシュレイとセレスティアさんが溜息を吐くのが聞こえた。



「駄目だこいつ、完全に脳がパンクしてる」

「そうね、ちょっと頭が働いてないわね」

「お前らは何を冷静に『迷子』の頭の状態を推測してんだ」



 レイシャルの華麗なツッコミを聞きながら、立ち上がる。

 セレスティアさんは改めて俺の方を向くと、困ったような笑顔で言った。



「とにかく、今日は早く休んだ方がいいわ」



 その顔が、なんとなく母さんとかぶって見えて、少しだけ胸の奥が詰まったような錯覚を覚えた。



「着替えはそこのクローゼットに何着か入れてあるから、適当に着てちょうだい」

「あ、はい」

「小さいけれど、浴槽もあるから。使い方はレイシャルに聞くといいわ」

「はい」

「困ったことがあったらレイシャルに言ってね。それでも解決しなければ、私に言って」

「はい」



 一通り部屋の中を案内してから、セレスティアさんは俺に向かって笑った。



「じゃあ、おやすみなさい。朝の時間になったら、レイシャルが起こしてくれるからね」

「わかりました」

「私も戻る。とりあえずはゆっくり体を休めておけ」

「あ、うん」



 セレスティアさんに続いて、アシュレイも部屋を出ていく。

 残ったレイシャルが、俺の方を向いて言った。



「俺は基本的にここの隣の『待機室』ってとこにいるからな。なんかあったら言えよ!」

「ああ、ありがとう」

「じゃあな!」



 そう言って、レイシャルはドアノブに飛び移ると、器用にドアを開けて部屋を出て行った。



「……はぁー……」



 スニーカーを脱ぎ捨ててベッドに倒れ込み、天井を見る。

 案の定、この部屋も真っ白だ。



「早く帰りてえ、な」



 ぽつり、独り言をこぼす。

 そのうち、視界がぼんやりと定まらなくなってきて、うとうとと目を閉じ、そのまま意識を手放した。


 夢は、見なかった気がする。


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