第6話:罪の子と一夜
それから一時間。雨も少し落ち着いてきた。部屋の傘をさしてリドリーはアリステアを隠れ家に連れて行く。
曇天がすっかりとなくなった空は紺青色に染まっている。あちこちに星が散らばっていた。
澄みわたった空気を吸うと胸がすっきりする。リドリーはアリステアの手を離さないよう、しっかりと握っていた。好奇心旺盛なアリステアのこと、つないでおかないと夜の寄宿舎を走り回るのはわかっていた。
「きれいだね」
「空が?」
「うん。初めてみた」
アリステアが立ち止まる。生活棟から隠れ家までは、白い石畳が目印になっている。
その目印をとんとんと歩いて行くアリステアが、歩を止めて空を見上げた。
アリステアの横顔が、半月の光に照らされて乳白色に照らされる。濁った緑色の目が、美しく輝いていた。
「夜空は初めてか?」
「うん。昼の空は今日みたけど。画集や写真集でそういうものだとはわかっていたけど、実際はもっときれいだね」
「そうだな。おまえ、寄宿舎の建物から外にでたことがなかったのか」
「ないよ。ずっと中にいた。特別棟の地下あたり」
「……は?」
リドリーは唖然とする。特別棟といえば、寄宿舎名物その三だ。ただし名物といっても、悪い意味での名物にあたる。
そこに暮らすのは、天に背く行為、寄宿舎の風紀を著しく乱す者が幽閉されるという場所だ。だが寄宿舎の言う風紀というのはそれなりに緩く、よほどの悪事を働かなければまず幽閉されることはない。生徒同士、先生と生徒、その他寄宿舎とそういった関係を持っていても、それは背信行為とみなされることはないのだ。実際、恋人同士であるという者達をリドリーは目撃している。
寄宿舎にいる男子とて健全な人間である。だから性欲のはけ口として、18歳以下の青少年に見せることができるぎりぎりラインの書物も、読もうと思えば読めるし、寄宿舎はそれを黙認する。こと性的事情は許容的だった。
飲酒喫煙はさすがに禁じられているが、それが発覚した生徒は謹慎処分と反省文で許される。
あらゆる不良行為を働いても、謹慎と反省文、もしくは寄宿舎の掃除や見回りなどの罰を受けて次の日からは通常通り授業を受けられる。
そんな寄宿舎で、特別棟に放り込まれる者はほとんどいない。少なくともリドリーの知りうる限りにはいない。
だがいた。目の前の供物だ。
しかも特別棟だなんて、懐の大きな寄宿舎の逆鱗にふれるようなことをした証拠だ。
いったいどんな? そんな行為を働いたから供物にされたのか?
リドリーの頭の中はぐるぐると混乱している。穏やかに空を見上げて微笑むアリステアには、罪を犯した形跡などまるで見当たらない。無垢な子供にしか見えないというのに。
「何をしたんだ……?」
「ないしょ。その行為が発端で供物になったんだ。でもね、寄宿舎にきてから、ずっと特別棟にいたんだ。だから本来、供物になるきっかけの背信行為は関係ないんだけど」
「何で……、ということは、最初から特別棟と教室棟以外の場所には行けなかったのか……!?」
「そうそう。まあ、家庭の事情でね。いろいろあって。寄宿舎も家も満場一致で僕を隔離したかったみたい」
「おかしいだろう……! そんなの、何で……」
「家が言うにはね、何か僕は罪の子なんだって。罪の子は存在自体が罪だから、特別棟に閉じ込めておいた方がいいんだって」
「それを寄宿舎も納得したのかよ……!」
「そうらしいね。寄宿舎側も、事情を聞いて僕を罪の子と見なしたらしい」
平然とアリステアは言ってのける。あんな暗くて湿っぽい場所に幽閉されていたなんて、リドリーは目眩がした。
「何なんだ、罪の子って」
「出生的な意味で罪の子、だって聞いた。たぶん、僕って正式な子じゃないんだよ。父親に当たる人が妻とは違う女の人に産ませたんだろうって」
「それが罪だとしても、生まれたお前には何の罪もないだろうが!」
リドリーは激昂した。理不尽を叩きつけられたから。
他人にさして深い興味を抱かないリドリーが、珍しく怒りをあらわにした。顔が熱くなる、腹の底が煮えたぎる。
アリステアの手を握っていた右手に、力がこもってしまう。
とうのアリステアは、ぽかんとした表情でリドリーの顔を見つめていた。
「……ごめん。大きな声出して」
「ううん。いいの。ただね、ちょっとびっくりした。リドリーでも怒ることって、あるんだなって」
「俺は人間だ。泣きもするし怒りもする」
「そうだよね。でもね、リドリーってそういう感情、全部心の奥に押し込んじゃうタイプだと思ってたから。僕が勝手にそう感じてただけなんだけどね」
「何だそりゃ」
「えっへへ。リドリーは激情家だね。……でも、ありがとう。僕のこと、悪くないって言ってくれたの、ちょっと……ちょっとどころじゃないな。とっても嬉しい」
「……そうか」
うん、とアリステアが微笑んでくれた。月が相変わらず照っている。
いくぞ、とリドリーはアリステアの手を優しく包んだ。
隠れ家は風が吹き込んで涼しかった。粗末な寝床がふたつ用意されてある。供物と番人は、供物が天に召されるその日まで、夜を共にする。
「寒くないか」
「へいき」
布団をくっつけて、リドリーはアリステアに寄り添う。
小さな頭が、リドリーの胸にごつんとぶつかる。半眼でリドリーは睨んだ。
「……おい」
「えっへっへ。くっついて寝た方が温かいかなって」
「しかたのないやつ」
リドリーはアリステアを抱き寄せる。温さが胸にじわりと伝わる。
アリステアの小さな手が、リドリーの胸にくっついていた。
「ありがと、リドリー。おやすみ」
「うん」
涼やかな風が、リドリーとアリステアの寝顔を撫でた。
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