第5話:部屋と紅茶
アリステアを連れてリドリーは寝室に駆け込む。
薄暗くしんとした寂しい部屋だ。ルームメイトはいない。むこう3年、ずっとリドリーはひとりで使っている。2台あるベッドのうち1台はもう物置状態になっている。
「浴室はそっちだ。着替えは用意するから、まずシャワー浴びてこい」
「ありがと。リドリーは? 入らないの?」
「俺はいい」
「でもリドリーも濡れてるよ」
「あんたが出たら俺も入るよ」
「いっそのこと一緒に入る?」
「入らねえって。いいからさっさと」
「はーい」
アリステアを浴室に押し込んだ。アリステアが湯を浴びているうちに、リドリーは紅茶を淹れておいた。
ほどなくしてアリステアは浴室から出てきた。ちゃんと拭き切れていない茶髪から、ぽたぽた水がこぼれる。
「おまえってやつは……」
リドリーは丁寧にアリステアの頭をぬぐう。アリステアはされるがままおとなしくしていた。きゅっと瞼をとじて身を任せている。
「そこに紅茶置いといたから、飲んで体を温めておけ。俺も入ってくる」
「うん。ありがと、リドリー」
リドリーはさっとシャワーを浴びるだけですませた。タオルを頭に乗せて寝室に戻る。アリステアがベッドに腰かけ、足をぱたぱたさせながら紅茶をちびちびと飲んでいた。
「おいしい。どの茶葉使ってるの?」
「購買で売ってる安いやつだよ。別に大した葉は使ってない」
「そうなの? でも、とってもおいしい。リドリーの淹れ方が上手なんだね、きっと」
「……ありがとう」
「うん」
それっきり、アリステアは紅茶を飲むのに夢中で何もしゃべらない。
雨がまだ降り続いている。このままこの部屋で、物置同然だったベッドで休ませても良いと思った。だがアリステアは供物なのだ。供物は隠れ家に戻らなければならない。門限はないけれど、就寝時は必ず隠れ家にいる必要がある。
そういう掟なのだ。
こくん、と最後のひと口を飲み終えた。アリステアののどが鳴る。
「ご馳走様」
と、ティーカップを差し出すアリステアの指先が、リドリーの手に少し触れた。
(あつい)
冷えていた体は、充分なほどに温まったらしかった。
昼下がりとはいえ、空は曇天。暗くて部屋の中のアリステアがよく見えない。ただ白い肌と緑眼だけは何となくわかる。
アリステアが部屋の窓から空を見上げていた。ぼんやりと、何かを憂いたような色がにじんでいる。着替えにと貸したリドリーのシャツは、アリステアには少し大きいらしい。
シャツの襟や裾から、アリステアの鎖骨や柔い首筋がのぞける。袖口から指先がちょんと出て、袖をまくってやりたい衝動にかられた。
「そういえばさ、リドリー」
「なに」
「ここ、1人部屋なの?」
「今はな。3年前まではルームメイトがいたよ」
「そうなんだ。その人の名前、覚えてる?」
「名前は知らない。苗字は知ってる」
「なんて苗字?」
リドリーは答えた。ありふれた苗字のルームメイトだったが、リドリーにとっては心地よい存在だった。
急に実家に帰る、と言い出したのだ。荷物をまとめて数日後には跡形もなく消え去ったルームメイト。
必死にせわしなく荷造りをしていた横顔には、泣き跡が浮かんでいたのを覚えている。
「……そう」
「知り合いか」
「まあ、ね」
アリステアが困ったように笑う。知っているのをごまかすための笑顔だ。リドリーはすぐ気づいた。でも追求しない。今のリドリーには、かつてのルームメイトはもう泡沫の思い出になってしまった。
「リドリーは、その人のこと、好きだった?」
「まあ、嫌いではなかったよ。別に深い関係でもなかったけど、だからって誰でも良いような相手というほど淡泊でもなかった。友達じゃないけど、知り合い以上の関係、だったかもしれない。……ごめん、うまくいえない」
「ううん、いいんだ。ありがと」
「急に帰郷して、何があったんだろな」
「気になる?」
「少しだけ」
「そっか」
窓からアリステアがリドリーの方に振り向く。その笑顔が、後姿が、かつてのルームメイトに重なった。そういえば、部屋を出る前日もそんな顔をしていた気がする。
「……アリステアは、知ってるのか」
恐る恐るリドリーはたずねた。
アリステアが、わずかにうなずいた。ためらいがちに目をそらす。
「そのひと、きっとしってる」
「知り合いだったのか」
「まあ、ね……」
「なんでそんなに歯切れがわるい?」
「……ごめん。教えられない」
「そ、か」
「無理やり聞き出さないの?」
「そうしたいほど気になる相手じゃなかった」
「……そう」
アリステアが、窓から離れてリドリーの隣に座る。そろそろと、細い指先がリドリーの手につたってきた。暖かい指なのに、ぞっとするほど背筋が冷えた。だけれどリドリーはその指を振り払えなかった。
「アリステア? 気分が悪いのか?」
「ちょっとだけね。でも、隠れ家に戻る頃には治ってると思うから。だから」
アリステアの体重が、リドリーの胴にのしかかった。
「ごめん。ちょっとだけ、貸してね」
「……仕方ないな」
ありがとう、とアリステアのかすれた声が聴こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます