燃やせど

 陽はすっかり落ち切っていた。

 向こうの山の端がわずかに熱を持っているのを見ることができるだけだった。

 真澄はとうとう頂上にはたどり着かなかった。

 そもそも彼女は頂上に行かない道を歩いてここまで来ている。

 高原は低木が風に負けじと地面に張り付き、空を眺めるのに何の障害もなかった。

 流星群のピークはもう少し先だろう。

 寝袋を敷き、テントを張る。

 若いころはこんなこと一つもできなかったが、真澄も鍛えられたものだ。

 三脚を立てると望遠鏡を付けたカメラを取り付ける。

 登山用のコンロに火を入れると、真澄の意識が不意に遠くなった。

 よく燃えている青色の揺らぎをぼーっと見つめることになる。

 どれくらいそうしていたのか。長い間にも思えたし、短い間にも思えたが、とにかく時計を確認しようという気にはなれなかった。

 その時、視界の端で何かが動いて横切っていくのが見えた。

 動きを追っていくと、それは鳥だった。鳩よりも少し大きいくらいの体は興味深そうにこちらに向いている。

 火や人間を怖がるのが普通なのに、その鳥は怖がりもしていないようだった。

 真澄の視線を浴びているのを知っているとでもいうようにぴょんぴょんと飛び跳ねながら近づいてくる。飛ぶのが下手そうな鳥だなと真澄は思った。

 きっと、近くに巣があるのを真澄が起こしてしまったに違いない。  


「ごめんね、危ないよ」


 と鳥に声をかけるが彼はどかなかった。

 鳥なんかに話しかけて何をしているんだと思う心もあったが、ぴょこぴょこと跳ねてさらに炎に近づいてくる鳥を黙ってみているほかない。

 火を挟んで彼が反対側に立った。熱気で揺れる像が嫌なものを思い出させる。

 茶色い瞳は夫に似ているようにも思えた。

 真澄が彼にしゃべりかけた。


「君も一人なの? なら私と一緒だよ。寂しくもなんともないよな、あっけなくて。一人になってみると案外気楽でいいもんだ」


 しゃべる真澄に鳥は首を傾げた。


「ただ、一人分の食事っていうのがいまだに上手に作れなかった」


 真澄の冷めた指が自分の頬を撫でていく。


「一人分から二人分にするのは簡単だったはずなのになぁ」


 乾いた笑いを伴って、真澄の肩がゆれた。いつも通りの肥大や縮小が繰り返される感覚を覚えて、真澄は念じるように強く鳥を見つめる。

 もう風は吹いていないが、空は澄み切り、雲一つなかった。

 あの寂しい家から見るよりもずっと数の多い星が瞬いている。


「明るいと寝れないよなぁ、ごめんな。迷惑だよなぁ」


 症状が止まったのにほっと一息ついて、上を見上げる。星を見るためではなかった。

 流星群がやってくるにはあと二時間ほどある。

 誰もいないのに、誰かに話したい気分であった。だから、目の前に鳥がいるのはちょうどよかった。子供の頃に、人形を友人に見立てて遊んでいたときのように、真澄が吐き出す。


「死んだ人から手紙が来るなんてありえないだろう? 傷を抉るようなことはしてほしくないんだ。燃やしてしまえばいいんだよなぁ、こんなもの」


 真澄がカバンの中から手紙とペーパーナイフを取り出した時だった。

 真澄のことを見つめていた鳥がぴょんと火の中に飛び込んだ。

 目の前の出来事に真澄が目を見開く。

 あっという間に羽に火が付き、木を燃やしたのとは違う焦げ臭さがあたり一面に広がった。鳥はおもちゃのようにごろりとコンロの上から地面に転がり落ちる。

 誰も周りにはいなかった。

 真澄にしてやれることはなく、その鳥は一声も上げることなく死んでいったのだろう。

 炎が弱まっていった。

 鼻が慣れてしまったのか臭いはもうしない。なぜ自分で火に飛び込んだのか。手に持った手紙が再び吹いた風で揺れる。

 真澄がやっとペーパーナイフを手に取った。

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