カボチャのスープ

 精華荘。この民宿に泊まるのはもう何度目だろうか。少し古めの西洋風の佇まいは、真澄の想像する別荘のイメージにぴったりだった。

 新婚当時からこの民宿を利用しているが、泊れば泊まるほどにこの宿のいいところを見つけるくらいには真澄はこの民宿が気に入っている。

 特に女主人の作るカボチャのスープが絶品なのだ。

 車の音を聞きつけたのか正面の扉を開けて女主人の稲島文(イナシマアヤ)が出迎える。三階建てのこの民宿を一人で切り盛りするパワフルな女性だった。


「文さん、お久しぶりです」


「首を長くして待ってましたよ、真澄さん。お疲れでしょう? どうぞ中に入って」


 握手を交わした後ハグまでされて、真澄が毎回のことながら驚く。この宿のいいところはこの気さくさもあるだろう。自分をまるで家族のように受け入れてくれる。

 にこりと笑って真澄の顔を覗き込んだ文が傍らで倒れそうになっていた真澄の荷物をひょいと持ち上げて中へ運んでいく。

 ぽかんとしている真澄の方に文がくるりと振り返った。その動きは可憐な少女のようだが、目の前にいるのは真澄よりも年かさのいった頼りになる女性だ。


「真澄さん、ほんとに疲れてるみたいね。お茶を入れるわ。早く中に入りましょう?」


 そう言って文が真澄を室内へ招いた。

 吹き抜けの階段をあがっていくと客室用の部屋が左右にいくつも並んでいた。木造の建物は隅々まで清掃され、窓際においてある花瓶や生けてある花にまで文のこだわりを感じられた。

 一番奥の部屋から背の高い男性が一人出てくる。その後ろには奥さんと子供と思わしき影もあった。

 この民宿の噂は海まで渡ってしまっているのかと真澄は感心する。

 すれ違う時に軽く会釈をすれば、その家族も見よう見まねでぎこちなくそれを行った。

 奥さんの方が文に何事かを言っているが、学のない真澄には何を話しているのかまでは分からない。

 身長の高いその女性と文が少しだけ言葉を交わしていた。どうやら何かの約束をとりつけたようだった。

 家族が階段の下の方へと消えていく。

 その頭が見えなくなるまで真澄と文はその背中を見送った。


「しばらくの間、お客さんはあの親子とあなただけよ。閑散期だから、困っちゃうわ」


 文がそう言って笑うと、いつもの部屋の扉を開けた。

 部屋に入るとまずは大きな窓が目に入ってくる。レースのカーテンのその先には千曲川が力強く流れていた。自然があふれかえっている。


「真澄さんは、いつも通り『白の間』ね。何か足りないものはあるかしら? あ、荷物は机の上に置いておくわね」


 文が室内をきょろきょろと見まわす。彼女の仕事は完璧だった。年に一度しか泊まりに来ない客の好みをしっかりと把握しているのだから、彼女はつくづくこの仕事に向いているのだろう。

 壁掛け時計の外された部屋を見回すと真澄がにこりと笑った。


「文さん」 


「流星群を見に来たのでしょう?」


 文は何でもお見通しだ。にやりと笑う顔は少し子供っぽい。

 真澄は扉に軽く寄りかかり、一呼吸おいてから文に問うた。


「晴れますかね?」


「頂上の方なら晴れるだろうから、日中から登った方がいいわよ」


 本当に彼女は何でもお見通しだ。


「うーん。頑張れるかなぁ」


「なーに言ってんのよ。まだ若い、若い」


 文がけらけらと笑って真澄の肩を軽くたたく。そんなに面白いことはなかったはずなのに、文は本当におかしそうに笑っていた。

 明るい女性だ、と真澄は思った。

 彼女と一緒にいれば真澄も少しは明るい性格になれるだろうか。

 相も変わらず、文がどうして真澄の友人として親しい仲を保ってくれているのか理由は分からない。

 年賀状やお歳暮を贈りあう仲ではあったが、文にとって真澄と交流することはただただ疲れることではないだろうかと思うことがあった。


「真澄さん、大丈夫?」


「あ、ええ。平気よ」


「本当に? じゃあ、鍵はここに置いておきますから。何か御用があったら内線で呼んでくださいね。しばらくは下にいますから」


「ああ、はい」


 真澄が曖昧に頷いたのを見て文は首をかしげるばかりだ。


「ゆっくりしていってくださいね、真澄さん」


「ええ。」


 文が軽く会釈をして部屋を出ていく。

 真澄が部屋の中を見回す。

 川面に反射した光が白く抜けて部屋の中に差し込んだ。

 ふと気になったことがあり、真澄が階下に降りかけていた文に声をかけた。


「ねぇ、文さん」


 文の動きが止まる。


「この間、未配達の手紙のニュースがあったでしょ?」


「ああ、あれの話。困りますよね。やることはやっていただかないと……。そうでないと世の中が回らなくなってしまうでしょ?」


 言いながら、文が振り返る。その笑みは穏やかだった。

 階下から誰かが呼ぶ声がしている。大方あの外国人の家族だろう。声色からして困っていることは想像できた。


「私も世の中を回してこないと」


「ごゆっくり」


 文が肩をすくめて笑う。

 閉めた扉越しに文の声が聞こえた。

 声の大きさからして扉の前まで来ているはずだ。なら、どうして扉を開けないのか。


「ああ、言い忘れてました。お食事は下の食堂で、七時半からです」


「カボチャのスープ楽しみにしてますね」


「もう仕込みは終わってますから、十分に期待しててください」


 くすくすと笑う文の雰囲気が扉越しでも伝わった。

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