オレンジライト

 ハンドルを握るのはいまだに胸がドキドキする。決して初心者と言うわけではない。ベテランと言うのはおこがましいが、高校卒業と就職とともに普通免許を取り、それからもう二十年以上は乗り続けている。免許を取って三か月の時の車庫入れで車体をこすった以外は事故と言う事故も起こしていない。

 それでも胸はざわざわと揺れた。

 車のラジオからは最近流行りの女性グループの軽快な曲が流れ始めている。歌詞は非常にちぐはぐなものだったが、その軽薄な音にはぴったりなようにも思えた。

 テレビを見ない真澄には彼女たちの顔が一つも思い浮かばない。

 エンジンが頑張る音が聞こえていた。ファミリーカーを一つ追い越したのを横目で見て、ハッと我に帰る。メーターは百十キロを少し超えていた。別に急ぐ道ではない。

 長野道を下っていけば、幾つめかのトンネルに差し掛かった。

 薄暗い車内にはオレンジ色のライトがぎらぎらと入り込んでくる。

 アイドルグループの曲が終わって、MCの男性が残念そうに


「一人減っちゃうんですよね」


 と笑って言う。

 声色からして本当に残念だとは思ってなさそうだった。相方の女性のMCがそれを笑い話のように扱った。

 この軽薄にも感じられるトークが真澄の救いだった。これを聞いていれば何も考えずに過ごしていてもいいと言われているような気がする。

 真澄の左手が自分の胸ポケットを探った。

 ポケットの中身は空だ。タバコを吸いたくなったが、先ほど切らしたことをようやく思い出す。吸っても日に一本か二本か。吸わないときは、ひと月ほど吸わないときもある。だが、それでも時々口寂しくなりどうしても吸いたいと思う時があるのだ。

 空っぽのポケットを指先でキュッと引っ張ると、真澄は自分の唇をなめた。

 カバンの中にもタバコはない。あるのはあの手紙だった。まるで紛れ込んだとでも言いたげにタオルの間に刺さっているが、リュックサックの中に紛れ込ませたのは自分である。ご丁寧にお気に入りのペーパーナイフまで忍ばせてあった。

 決して何か未練があったわけではない。持ってくるつもりはなかったが、その差出人の名を読んで狼狽えたのは事実だった。

 差出人の名は白倉優羽(シラクラユウ)。相も変わらず丁寧な字であった。見まごうことはない、亡き夫の字である。

 その差出人を見た時の真澄の気持ちをだれが分かってくれるだろうか。

 そのうえ、その手紙は間違いなく五年前に書かれ、消印は彼の命日だ。

 何かを思い出した真澄がふう、と大きく息を吐く。困ったことになった。

 思い当たることはいくつもある。彼が不満に思うかどうかはきっと別物なのだろう。

 さて、墓参りに行かないのが気に入らないとでもいうのだろうか。それとも、毎日仏壇に手を合わせないことだろうか。


「仕方がないじゃない」


 と真澄が不機嫌そうに一人ごちる。

 車内にちかちかと入り込んでいたオレンジ色のライトがさっと途切れた。

 トンネルを抜けると、頭を白くし始めたアルプスの山々が見える。

 なんとも嬉しいことに真澄とお揃いだった。

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