美味が為に、爆発す─6─
如何にも都会らしい、小粋な街並み。人波を越え、風に背を押され、立派な送迎車を降りた先に、その一軒家はある。
ボディーガードの一人や二人でも立っていそうな、厳かなフェンス。そこへ、とある三連休、一人の美少女が客として招かれた。クリッとした瞳、ふんわりめな茶髪、背が低いのを気にしている隠れロマンチスト。彼女はそこで───
ラズベリーのように赤く染まった頬。
焼き立てのパイを越える熱量。
金箔にも負けない輝きの熱視線。
素材そのもの全てが一級品の、この世の宝とも呼べるスイーツに……押し倒され。
───あ……食べられる、と思った。
*
ぐるる……!
と、肉食獣の唸り声のようなものが聞こえた気がして、咲夜はふと辺りを見渡した。だが、ここは何の変哲もない──と言っていいのか不安な程の品の良さだが──天華の自室。当然、そんな猛獣がいるはずもない。テレビだって電源は消えたままだ。
空耳か。そう思い直した直後──ドン! と不意に強く肩を押され、咲夜はゴマ吉と共にベッドに転がされた。ふんわりマットレスのおかげでちっとも痛くはなかったが、どさっ、ギシッと甲高い音が鳴り、あまりの事にただただ目を回してしまう。
「うわっ! 急に何───」
「貴女が悪い」
有無を言わせぬその雰囲気に、ぶつけるはずの怒りが霧散した。乱れた髪をかき分けながら見ると、咲夜の足元……膝辺りで四つん這いになっている天華の姿がある。
やはり、いたのだ。猛獣は。
ここに、いたのだ。黒豹が。
「ずっと我慢してたのに」
迫り来るネグリジェの胸元から、白い谷間が覗く。
「壊れないようにしてたのに」
ぽたっと垂れた水滴は、髪の雫か、汗か──涎か。
「でも、貴女が滅茶苦茶にしたから」
不思議と金色にも見える瞳孔の奥に、咲夜ははっきりと見てしまった。爛々と輝く、謎のハートマークを……!
「もう無理……もう、食べる……」
「食べ……へ? は? 嘘でしょ?」
開いた口が塞がらない咲夜には、残念ながらわからない。黒い柴犬のぬいぐるみにゴマ吉と名付けている、たったそれだけの事実が天華の理性をオーバーキルしてしまっただなんて。例えるなら、天華が一生懸命積み重ねてきたジェンガタワーを力いっぱい殴り付けてしまったようなものだなんて……。無論、咲夜の方にはこれっぽっちも悪気はなかったのだが。
「ま、ちょ、待ってって」
「待てない」
「ひぇ……」
ゴマ吉を抱きしめながら後ろに下がっても、すぐに限界という名の壁が涙目の少女の退路を閉ざしてしまった。もはや逃げられない。このままじゃ、本当の本当の本当に、食べられてしまう───?!
「た、助けて……レイママ、トラ叔父さん……」
──『……そうだな、いざっつー時はこう言ってやれ。『何かあったらタダじゃおかねえ、“親父”が黙ってねーぞ』ってな』
発情した黒豹が目前にまで迫り、あわや──唇が──というその瞬間、敬愛する虎由による助言が脳裏によぎり、つい咄嗟に…………
「た、タダでくれてやる訳ないだろが〜〜〜っ!?」
ぼふん! ごちゃ混ぜになった意味不明な何かを大声で叫びながら、ゴマ吉で思いっきり天華をぶっ叩いてしまった。もちろん、その綺麗に歪んだ顔面目掛けてだ。
その結果……純粋な物理的ダメージと、連夜共に寝ている為にしっかり匂いが染み付いたゴマ吉を鼻頭に受けた心理的ダメージが相乗効果を生み、無事、黒豹は沈黙した。
九死に一生を得た、奇跡の生還である───。
「はあ、はあ、はあ……あ、あぁ、危なかった、今のはマジで……」
気絶に近い寝落ち方をしただらしない先輩は、今では幸せそうに咲夜の胸元で静かに寝息を立てていた。ムカつくが、向こうに意識はなくともぴっとりくっつかれているの方が今は無性に恥ずかしくて、何だか堪らなくて、咲夜は起こさないようにそっと隣のベッドに移動した。
……大丈夫、何もなかった。
もし何か言われても知らぬ存ぜぬを突き通そう。
最悪、正当防衛を主張すれば良い。
むしろ慰謝料をぶんどりたいくらいだけど……
「……どうか、何も覚えてませんように」
祈りが通じた事を知る翌朝に至るまで、咲夜の心臓は何故かこれまでで一番、ドキドキしていたとか何とか。それと、新たに学んだ事が一つ。
(それにしても……濡れた髪って、あんなにヤバかったのか……)
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