美味が為に、爆発す─5─
夢にまで見た人生初の犬の散歩は、早朝の清々しい空気と相まって、咲夜の思い出の一ページを青青と更新した。
最初こそ、自分と同じくらいの体格である大型犬のリードを、昨日会ったばかりの他人が引いたりなんかして大丈夫なのかと心配な気持ちもあったが。やはりそこは良く躾けられた人類のパートナー。賢いワンコは時折り主人らをニコニコと見上げながら、最後までペースを保って歩き切ってくれた。咲夜、またもや大感動である。
そんな訳で、朝一の運動後のご飯は格別に美味しいのは人間も犬も一緒な事を、餌やり体験中の客人はここに知る。一心不乱にがっついているもふもふの前にしゃがみ込み、頬杖をついた咲夜はただひたすら目の前の光景を瞳に焼き付けた。ああ、この自然と目尻が下がってしまうくらいの癒しパワーは何なのだろう。ずっと見ていたい気持ちにさせられてしまう。
「一生のお願いだから……教えて、瀧本さん。夕べの私、貴女に何かしなかった?」
──この怒涛の質問責めさえなければ、もっと良かったんだけど。
スンッと真顔に返った咲夜は、振り向きもせずウンザリめに答えた。
「だから何回も言ってるでしょ、何もなかったって」
「そんなはずは……ベッドが入れ替わっていた理由がどうしても納得できないの」
「納得も何も、アンタが急に寝落ちた先が用意してもらった方のベッドだったんだから仕方ないじゃないすか……埋まった方で寝る訳にはいかないから、反対側で寝ただけ! 文句ありますか!」
「な、ないけどっ。寝落ちたっていうのが信じられなくて」
「しつこいなー! センパイ自身が何も覚えてないのが良い証拠でしょ!」
「…………」
むむむ、とまるで腑に落ちていなさそうな気配を背後に感じ、咲夜は面倒になってついボソッと言ってしまった。
「ふん。そんなに疑わしいんなら、今度から部屋に監視カメラでも仕掛けたらいいじゃないすか」
「確かに」
「確かに?!」
我ながらヤバい提案をしてしまった予感にブルリと震えたが、さすがに冗談だろうと、いやむしろ冗談であってくれと……まあとにかくキリがないのでもう気にしない事にした。それよりそろそろ腹の虫が鳴り出しそうな時間だろう。散歩を終え、犬たちの食事を見届け、大きな満足感を得た咲夜は気を取り直して立ち上がった。
「あの、それはそうとセンパイ、アタシ、そろそろお腹が……」
「あ、そうね。私達もご飯にしましょうか」
「はいっ! 昨日のカレーまだあります?」
「朝もカレー? 重くない?」
「全然! あと、ドッグランは何時頃に?」
「それなら食休みを挟んで──」
色々と話しがてら玄関へ戻ると、二人の視界にスッと映り込む人影があった。並んで歩いていたので立ち止まるタイミングは同時だったが、先に声を上げたのはもちろん隣のお嬢様。
「おはよう、お父さん……」
「え……ごほん! おはようございます、初めましてっ、生徒会一年の瀧本咲夜です! 昨日からお世話になってます!」
咄嗟に営業スマイルで良き後輩を演じにかかる咲夜。昨日のパターンと比べ、最初から父親だとわかって挨拶できるかできないかではやりやすさが段違いだ。とは言え、気に入られる為でなく、この場を切り抜ける為にこうしているだけなのだが。この程度は日々ケーキ屋で接客の手伝いをしている身にとって朝飯前である。二つの意味で。
「──どうも。天華の父の、
細身のインテリ系イケメン、という印象を受けた。休日なのにキチッとツーブロックをキメていて、シワ一つないカッターシャツを羽織っているところが如何にも真面目なビジネスマンっぽいなあとも。さすがは天華の父だとある意味で感心しつつ、内心で咲夜は実は少し怯えていた。
(何か……睨まれてるような気がする……?)
「……」
「お父さん、眼鏡はどうしたの?」
「ああ」
スチャっと懐から取り出したそれを掛けると、いくらか視線が和らいだ。単なる視力の問題かい、とのツッコミが喉の奥まで込み上げて、何とか気合いで飲み込む。しかし、眼鏡を掛ける事でより一層勤勉さが増した高身長の彼は、何故かそれでも咲夜から目を離そうとしなかった。
「話には聞いていたよ、娘が世話になっているようだね。……親として礼を言うよ」
「いえ、そんな。私の方こそ竜峰先輩のお陰で毎日が張り合い──じゃなくて華やかなものになっています、から」
「……では単刀直入に聞かせてもらおうか。君は、天華とどういう関係なんだい?」
「え、関係ですか?」
「お父さん、彼女は──」
「天華。俺は瀧本くんに聞いているんだ」
唇を結んだ天華に、何やら怪しくなってきた雲行きを悟る。申し訳なさそうに眉を下げた先輩が目を合わせてきて、咲夜も困惑を加速させつつ答えた。
「生徒会の後輩ですけど」
「うん、それは知ってる。他には?」
「他……?」
他? 他とは?
友人? 違う。
委員会は? 別々。
……何もないのでは? あっ、お互いの苗字にドラゴンの共通点があるとか?
などと本気で何も思い浮かばない咲夜の様子を見兼ねてか、竜峰父に早々質問を変えられた。
「じゃあ、天華の事をどう思ってる?」
「地雷処理戦車です」
──いや言えるか! 馬鹿正直に! 親御さんの前で! さすがに失礼だろ!
「どう、とは……?」
「ふむ、言い淀むか。何かやましい事でもあるのかな?」
「いえいえ、そんなまさか……」
互いの目尻から徐々に消えていく温かみ。
その時、質問の意図が掴めず当惑する咲夜の前に「やめて」と手を出す者がいた。「瀧本さんはそうじゃないから」──と、天華お嬢様その人だ。
「天華……」
「ごめんなさい、お父さんが心配するのも無理ないわよね。私がもっと、前もってみんなにしっかり話をしておけば良かった。瀧本さんもごめんなさい」
「えっ全然、私は別に……そもそも何が何やらなので……あはは」
とりあえず苦笑いで場を濁す。
「そうじゃない」の“そう”とは一体何の事か。そして何ゆえ初対面で品定めされねばならなかったのか、その辺の説明だけもらえればもう後は何でも良いのだけれども、はてさてこの空気がそれを許してくれるかどうかはわからない。
「でも、お父さん。この子は本当に違うの、それだけは信じて」
「はあ……どうしてそう言い切れるんだ。何か証拠となるものは?」
「私が一目惚れした側だからよ」
「……ん?」
──えっ。あ……い、言っちゃうんだ!?
まさかの急展開に勝手にドギマギしだした咲夜の前では、天華父が案の定ぎこちない笑顔のまま固まっている。
「私が、私の方が、彼女を追い掛けている立場だから」
「……一目惚れ?」
「そう。そして告白して、とっくにフラれたけど、まだ諦めてないから……どう? 充分、信じるに値するでしょう?」
本当はこんなタイミングで打ち明けるはずじゃなかったのだけど……と、さらりと言い放つ竜峰天華。
その父•旭が、反対に信じられないようなものを見る目で瀧本咲夜を垣間見た。銀縁の眼鏡が鈍く光っている。
「ほ、本当かい……君、今の話は」
「……本当です」
「自慢の娘をフったって……じゃあどうして我が家に遊びに来たりなんて?」
「あー、それはその、犬に釣られまして」
「犬……?」
段々と眼鏡が曇ってきた彼には悪いが、こうして少しやり取りしたおかげで、何となく天華達の事情がわかってきた。
要は、美貌・能力・家柄・性格の全てが揃っている彼女に手を伸ばそうとしてきた輩の数と、それらを跳ね除けてきた回数が咲夜の想像以上だったのだろう。そう、何も綺麗な花に寄ってくるのは蝶だけとは限らない───。
天華ほど魅力的な女性ともなれば、こうして改めて考えてみなくても当然かもしれない、学校にファンクラブが出来るくらいなのだから。まあ、そのファンクラブの規律が厳しいからこそ校内の平和が保たれているという逆視点の考え方もあるが……いわゆる抜け駆け禁止的な……
とまあ要するにこのプレッシャーは、娘を想う父親の警戒心の表れだったのだろう。そうとわかれば何の事はない。咲夜が取るべき行動はたった一つ──人畜無害の主張である。
「あ、大丈夫ですよ、先輩のお父さん。私、ほんとに先輩とは何でもありませんから」
「……」
「……わかりました。そうですよね、だからってすぐには安心できないですよね。だったら……そうだ、私、もうここに来ません。それならどうですか?」
ニコくんとジェンちゃんに触れ合えなくなるのは悲しいけど……と心の中では泣いていると、突然の爆弾発言に血相を変えた天華がついに反逆に出た。
「瀧本さん、待って! ……お父さん! どうしてそんなにこの子を疑うの? 前に一度でも、私が誰かに気を許して失敗した事があった?」
「……天華」
「なかったわよね? いつまでも心配されなくたって、私もそれなりに人を見る目はあるのよ。それに、瀧本さんの事はお母さんもある程度認めてる。そうじゃなかったら、昨日の時点で門前払いになってるんだから」
衝撃的事実に冷や汗が噴出した。まさか、昨日のお出迎えにそんな意味も含まれていたとは、さすがに想像もしなかった。今思えばもしかしたら、あそこで一瞬地が出たのが功を奏したのかもしれなかったりして……?
「つまり瀧本さんは、私とお母さんとで合わせて第二関門まで突破してるって事。……というか、今必死に口説いてる最中なんだから邪魔しないで」
「邪魔だって!?」
「ちょっと落ち着いてくださいっ、だ、大丈夫ですよ、私の方にはそんな気全くないんで!」
「ほら! 竜峰家の人間が、ここまで言われて引き下がれって?」
ヒートアップが止まらない娘の剣幕に、真っ向から言い返されるのを予想していなかったに違いない大黒柱がとうとう押され始めた。これはいけない、と二つの意味で咲夜は猛烈に焦り、次の行動を起こす。その一つは、このまま親子喧嘩に発展する恐れを危惧して。もう一つは……
(せっかくアタシらの“勝負”に有利になりそうな展開だったのに、ここでご主人が折れちゃったらもう、センパイ敵なしじゃん!)
「先輩! 先輩ってば、私は全然気にして……話を……もう! て……“天華センパイ”!!」
「──ッ!?」
限界まで見開かれた澄んだ瞳が、一直線に咲夜を貫いた。この反応速度はやはり只者じゃない。
「今……貴女、名前……!」
「……また呼んで欲しかったら少し静かにしててください」
「え、ええ……!」
「……はぁ。すみません、あの、先輩のお父さん、お話なら朝ご飯を食べてからでもいいんじゃないでしょうか。空腹ですと、その……あんまり穏やかになれないですし」
「……そう、そうだな。ああ、瀧本くんの言う通りだ」
何とも言えない顔で頷く旭に、蛇足と思いながらも咲夜は続ける。
「あと……失礼ですけど、そんなに娘さんの事が心配なら、最初から最後までリード付けて……ご自分でアジリティーまで指導したら良かったんじゃないですか……? 放し飼いにしたからにはそれなりの覚悟とか、持ってないと……こっちだって、何度も噛み付かれそうになって……一応被害者なんですから……今からでも躾けをですね……」
「瀧本さん、落ち着いて。割と序盤から例え話が全部犬関連になってるわ」
「…………天華センパイ。気が抜けたらアタシ、もうお腹が限界で……」
「すぐご飯にしましょう」
最愛の娘に手を引かれ、フラフラと着いていく少女の背中に父親は何を思ったのか。それが彼の中でまとまるのには、どうやらそれなりの時間が掛かりそうだ。
───
──
何やかんやあったものの、念願のドッグランで感涙しながら(!?)はしゃぎ回った咲夜とは、スマホのカメラで連写されているのに最後まで気が付かないままお別れとなった。天華の方も、申請していた帰省届けは一泊二日だったので、そのまま荷物をまとめて、ついでにタオルケットも一枚詰めて寮へと帰還した。学校に連絡して一日延長してもらう手もあったのだが、浮かれ切った気持ちを発散できないまま家に篭るのはあの時の天華には難しかった。ましてや、あのまま家族と冷静な話し合いなんて。お互いに、きちんと落ち着いてからもう一度話そうという事にしたので、とりあえず今回はそれで良かった。それに今頃、家族会議中だと思うし。
「フフッ……」
堪え切れず、天華は自室の机ではにかんだ。コマ送りにも近い写真の数々を眺めながら、色んな事を思い出していたからだ。極め付けは──
「天華先輩、か」
また名前で呼んでくれないものか。学校では絶対に無理だろうそれは、今でも天華の鼓膜に甘美な響きを残している。
と、その時、スマホにメッセージの通知があった。今し方画面に釘付けだったので、否応なしに視界に飛び込んできたその文字列は──<お母さん:家族が増えました>。
「は?」
秒で既読を付けた瞬間、追加で送られてきた写真。──母の手のひらに収まるくらい、小さな小さな黒いポメラニアンの仔犬だった。
<名前はアレン。やんちゃな男の子です。>
「わあ、可愛い……けど、お、お母さん……まさか?」
第一印象はふわふわで、第二印象は忠実な犬な、見るからに小柄な誰かさんを天華は誰より深く知っている。……真偽の程は後々確かめるとして、まずは返信しなくては。
<可愛い!>
<もっと写真ちょうだい>
「あの子に見せて、またうちに誘いたいから、っと……うふふ」
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