美味が為に、爆発す─4─
「いやラブホかよ」
突然言われたその何かは、天華の意識を浮上させるのに充分であった。が、言葉自体は全く持って聞き取れず、天華は「今なんて?」と言った表情を浮かべ──そして、びしりと固まった。
「ベッドに座って、組んだ手をおでこにあてて、そのままジーっと動かないとか、どんだけ集中してたんすか。ノックにも返事ないし。似たようなの漫画で読んだ事あるんすけど……ははっ。あ〜クーラー涼しっ!」
パタパタと手団扇を仰ぐ湯上がりの咲夜がいる。
結局ガン見してしまっている天華もいる。
水色のワンピース風ビッグTシャツをゆるっと着こなし、肩にはタオルと、濡れた髪。どうしようもないその甘さと色っぽさに、今はボディソープのフルーティーな香りも加わって───!
3、2、1……FIRE!
「か……髪! どうして! 濡れてるの!」
「へ? いや暑くて……」
「脱衣所に! ドライヤー! あったでしょ!」
「だから暑くて途中で……」
「暑くても! 濡れたままは! 良くないでしょう! ──私にッ!」
「アンタに!? 髪じゃなく!?」
「待ってて今、誰かにドライヤーと扇風機持ってきてもらうから! だから早く乾かして! いいわね!?」
「わかったっすけど……ちょ、何キレてんすか?」
「怒ってない! けど、怒るわよこんなの! ねえ、瀧本さんは私をどうしたい訳? 運命を諦めさせたいんじゃなかったの!?」
「そ、そうですけど」
あまりの剣幕に押された咲夜は、タジタジと頷くしかなかった。無意識の内に掛かった口調の上方修正は、何らかの防衛本能なのかもしれない。
「だったら! これ以上私を無闇に煽らないで! さっき変な事考えないでって言ったのは貴女の方でしょう!?」
「ええ……?」
「返事は!?」
「ご、ごめんなさい」
「ふぅ……わ、わかればいいのよ……!」
フゥフゥと荒く呼吸を整えだすヤバイ先輩に、「逆ギレはやめてください」と言える勇気は咲夜になかった。大体、髪が若干濡れているのが何だと言うのか。ちょっといつもの癖っ毛が大人しくなって、肩にぺとりと張り付いているだけじゃないのか。
(だけ、じゃないんだろうな、この様子だと……)
コトノハ少年の創作小説や、流行りの漫画、映画、文学に目を通すのが日課のロマンティストでも、蓋を開けてみれば何のことはない、ただの恋愛初心者だ。密かに想う経験はあっても、これまでされてきた想われ方の事情が特殊だった事もあり、自分の魅力は“Ω”の血に劣るくらいの、平凡オブ平凡レベルだと思って生きてきた。
だからというか、何というか。いざ自分が創作の世界と同じ立場に立っても、いかんせんピンと来ないのである。咲夜自身が、恋愛沙汰の渦中の真ん中にいる事が。
──『……好きなの。大好き。本当に、本当に、本当に、貴女が欲しい。貴女だけいてくれれば、それで良いの……』
「……っ!!」
ボッ! と顔に火が付く。
(自覚が足りないって、そっか、こういう事か……!)
咲夜は今の格好と、天華の熱視線を改めて見直す。……あいわかった。猛省しよう。まあ、このぶかぶかなシャツだって別に何かを意識したつもりはなかったのだけど………………ってそれがいけないんだろうか。恋愛初心者の問答は続く。
「あとっ!」
「えっ、まだ何かあるんですか?」
「し、下……! シャツが長いから、どうしても何も履いてないように見えて……!」
「し、失礼な! いくら何でもそれはないですよ! ほらっ!」
ガバッ!
──結果として、これが一番いけなかった。
あらぬ想像をしている天華を否定する為、隠れているだけの短パンを見せようとシャツをまくってしまったのが、咲夜の運の尽きだった(ただの考えなしとも言う)。
天華も見慣れた制服の膝丈スカート姿と比べれば、短パンのそれは咲夜の柔肌を覆い隠すには圧倒的に丈が足りないのはご明白。今日の私服だって、露出少なめの七分丈だった。
それなのに、ついカッとなり勢い余ってめくってしまったものだから……よりによって、目の前で……躊躇なく……湯浴みしたばかりの火照った膝と……そして太もも……それに恐らく、おヘソまでもが、しっかり彼女の眼前に…………
「ア゙ッ!!」
慌てて裾を下ろすが、まるで後の祭。
しでかした“““事の重さ”””に耐えかね、今度は咲夜がしどろもどろと赤面する番となる。
「……やっ、い、ぃ、今のはさすがに、悪かったです、ごめんなさい……でもわざとじゃなくて……! だって、履いてないように見えるって、先輩が言うから……」
「………………」
かつてない程の無言のプレッシャーに、咲夜は思わず生唾を飲み込みながら後ずさった。めちゃくちゃに怒られたらどうしよう、そんで、怒られながら襲われでもしたら本当にどうしよう……と、大変な目に遭った過去のやり取りを思い出し、変な意味でドキドキさせられてしまう。
その時、天華がようやく動き出した。何かを言おうと口を開け、一歩、前へ踏み出し──
「…………お風呂、行ってきます」
「……はい、行ってらっしゃいませ」
──いや何だこの、嵐の前の静けさみたいなのは。
その後、使用人が扇風機などを運んできた時には既に、客人は何故か完全に涼みきった状態だったという……。
*
ジャアアアァ………… 冷たいシャワーの音が浴室に響き渡る。
温水プールより低い温度に設定されたそれは、天華の脳天に着地した後、じわりじわりと身体中に浸透していった。髪の毛、地肌から耳の後ろを通り、熱を持ち過ぎた全身を叱咤してくれる。
鎮まれと。
早く鎮まれと。
いいからとにかく鎮まれと。
「お泊まりって……凄い」
壁に両手を付けながら、天華は呟いた。尚、鎮まりきれてはいない。いいや、これしきの事で鎮まれるようなアクシデントではない。よって、まだまだ浴び続けなければならない……とにかく、今は一刻も早く心を無にしたかった。
だがしかし、入浴を終えた天華がわざわざ選んだ寝巻きは、何故か勝負服とも言える黒のネグリジェだった。これは、いつぞやに買った洋服の福袋に入っていた代物で、好みの範疇ではあったものの中々に大人びたデザインだった事から、気恥ずかしさ故にあまり袖を通して来なかった逸品である。
ここまで来れば、わざわざ『だがしかし』と前置きを置いた理由が、そろそろわかっていただけただろうか。
そう。何と言っても、ここにはお目付け役の來夢がいない。きっと彼女が見れば目を回してしまうだろうこの大胆さも、今は咎められる事はないのだ。
先程あんなに騒いだドライヤーもあえてまともに掛けずに、部屋へ舞い戻る。冷水のシャワーを浴び、ひとたび冷静になってふと思い出したのだ。あれだけ楽しみにしていた食後のスイーツを、むざむざ食べ損ねてしまった事を。──誰かさんのせいで。
甘いモノが食べたい。
自他共に認める超甘党の彼女を突き動かす衝動は、実にシンプルだ。
目には目を。
歯には歯を。
色気には、色気を……!
「ただいま」
「おかえりなさーい。早かったですね?」
「まあね……何してるの?」
「ん? 荷物の整理です」
勝手に胸を高鳴らせつつ扉を開けた天華だったが、肝心のスイーツはボストンバッグをガサゴソしていて、あいにくスルー。残念ながら、いの一番でドギマギさせる目論見は失敗に終わった。とは言え、作戦は続行中だ。天華は「ふぅん」と何食わぬ顔で自分のベッドに腰掛け、咲夜の背中をソワソワと見つめ続ける。
「これでよしっと」
咲夜が立ち上がった。
さあ……時は来たれり。
「あ、ところで朝の散歩って何時に起きれば──え!?」
「──えっ?」
ようやく振り向いてくれた咲夜の仰天と、天華の絶叫が響き渡るのはほぼ同時だった。
「何ですかその格好!? 言い逃れできないレベルのエッ──あざとさなんですけど!?」
「瀧本さんこそ何そのぬいぐるみ!? まさかそれも荷物の中に!?」
咲夜は案の定、天華の見た目に。
そして天華は、予想外のゲストに。
双方のツッコミが激突し、部屋の中空によくわからない火花が散る幻覚が浮かんだ。特に天華に至っては、せっかく狙い通りの動揺を引き出せたのにも関わらず、咲夜の腕の中の“何者”かに意識を根こそぎ持ってかれてしまっている。
「てか自分だって髪半乾きじゃ……」
「待って、瀧本さん。待って。それに関しては後で弁明するから、先にその犬のぬいぐるみについて詳しく聞かせてもらえないかしら」
「い、や、で、す。相手の事を聞くならまず自分からっ!」
「〜〜〜っ……そうね、正論だわ。わかった、それなら簡潔に──貴女を誘惑しようとしました。以上」
「ねえここアンタのご実家ですよね……?!」
「さあ、私は正直に話したわよ、瀧本さん。次は貴女の番……いえ、先に私の予想を言ってもいいかしら。もしかして、もしかしてだけど──」
完全にドン引きしている愛し子に、こっちもこっちで恐る恐ると問い掛ける。
震える手を顔に当て、主に鼻を抑え、逆に「そうじゃありませんように」と願いながら……
「そ……それがないと、寝れない、とか……?」
「…………別に? そんな事ないですけど。ただ、この子を抱いてると良く眠れるだけです……」
なるほど。
ほぼ同義だった。
天華の心のどこかにある、謎の液体が並々注がれたコップにヒビが入る。
元々、元々からして、限界に近かったその容器。少しでも揺らしたら溢れるくらいの、表面張力で何とかギリギリ保たれていただけの理性が、いよいよを持って決壊寸前に……
──思い返せば、数々の節はあった。
その名も【瀧本咲夜、案外子どもっぽい説】。
例えばそれこそ、好きな食べ物がハンバーグ、カレーライスなどであったり。口元にご飯粒を付けていたり。
初めて出逢った時のケーキ屋の彼女は、ちょうど良い距離感で接客してくれた、丁寧で愛らしい印象だった。そのイメージを持ちながらの二度目の出逢いで、そのことごとくを破壊され、竜峰天華は真に陥落した。あまりのギャップの激しさに振り回されたのだ。
それで言うと、話は戻るが……普段、後輩の癖してあれだけ強気で、勝気で、生意気な事ばっかり言ってるのに、ぬいぐるみを抱いていないと安眠できないとは何事か?
高低差全開なギャップのバーゲンセールに心のコップがまたもやカタカタ震え出す。ヒビ割れた部分からうっすら何かが溢れ出したのに勘付いた天華は、僅かな衝撃すら危ういと知りながら、もはやどうしようもなく慎重に支えに入った。
(もしこれが、これが壊れたら、私……一体、どうなってしまうか───!)
「てか、“それ”って言い方止めてくれません?」
「え?」
「ゴマ吉っていうんで、この子の名前。黒柴のゴマ吉」
「………ナ、マ、エ───?」
トドメを刺された。
まさかの、バケツで。
スポイト一滴でジ・エンドを迎えただろうガラスの理性に、バケツをひっくり返したような大量の水をぶっ掛けられて全てが終わった。天華もろともびしょ濡れになった手の中には、見るも無残な粉々の、今の今までコップだった大切なナニかが───
───
──
どうした事か、そこからの記憶がない。
気が付けば朝で、カーテンに透けた朝日が眩しくて、窓の外から小鳥のさえずりも聞こえてきて。ハッと目を覚ますと、既に着替え終わっていた咲夜に揺り起こされているところだった。
「あ、よかった……やっと起きた。おはようございます、センパイ、大丈夫っすか?」
「……? あ、ええ……おはよう。嘘、私、いつの間に寝てたりなんて……」
「あー……。まあ、そしたら早く散歩行きましょうよ」
「……わかった、今起きるから」
「じゃあ外で待ってるんで!」
と、ご機嫌な様子で出て行く咲夜をポカンと見送る。見たところ、何もおかしいところはない……まさか、夢? だとしてもどのタイミングで寝落ちていたのすら思い出せず、天華は混乱したまま夏用布団をめくり上げた。
そこで愕然とする。
何故か、自分が折り畳みベッドの方から身を乗り出している事に気付いたからだ。どうしてこっち側で寝ていたのかと、弾かれるように確認した本来のベッドの方は、使用済みらしき敷布団一式が丁寧に折り畳まれており……。
「ど……どういう事なの? 私、あれから本当に、何を……た、瀧本さん……っ?」
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