欲が為に、意味を持つ―1―


「あんまり悩みとかなさそうだよね。いい意味で」


 これは、竜峰天華がよく言われる事トップ10にランクインする言葉である。


 いい意味でとは何だ。と内心思うところがあったりなかったりする天華だが、その予想は真っ向から否定出来ない。というかまあ、実際その通りだと個人的には思っている。

 何せこれまではむしろ、悩みなど常に一つしかなかった。いや、強いて他にも挙げるならこの猫のようなツリ目だろうか?もう少しでも丸っこければ初対面の人に余計な威圧感を与えずに済んだかも……いやいや、それもこれも、元はと言えば───……


 さて、一般的な捉え方であれば、『一つだけある』は『あまりない』と合致する言い方だろう。しかし、悩みが『常にある』のは『ない』とは言えない……と一応真面目にそこまで考えてから、天華はほとほと面倒な気持ちになる。故に先の質問には、毎回こう答えるようにしているのだった。


「そうかもね」


 添えられるは、薄く上品な笑み。……悪い意味で。



 “α”を始めとした第二次性に関する世間体との付き合い方──天華の人生のこれからを考える上で、それは絶対に避けては通れない障害物だ。そんな隔たりの一部に心から笑いかけるなんて苦行は、真っ平御免なのである。

 と、それはともかく。

 実は今、そんな天華にも、新たな悩みが芽生え始めていた。

 無論それは──とそこまで力強く言っていいのか微妙だが──瀧本咲夜の事である。

 差し当たっては───……


「ねえ……?」

「なんすー?」

「さっきから、ぼーっとしてるみたいだけど……」

「そですかー?」

「具合悪いとかはない?大丈夫?」

「だいじょぶですよー」

「そ、そう……」

「はぃー」


 彼女の反応が緩いのだ。何か……変な意味で。


 緑の色が桜から葵に変わりきって久しい今日。そろそろ一年生の制服姿も板に付いてきたかなという頃、生徒会は今後の予定──主に体育祭や学園祭──を見据え、計画を確認し始めるなどの業務に追われていた。


 そんな中でもやはり気にしてしまうのは、愛する咲夜の一挙一動。頼んだ仕事は適度なスピードでこなしてくれているようだが、いかんせん、こう……何というか……軽い。そう、軽いのだ。気を付けていないと、重石を無くした風船のようにどこかに飛んで行ってしまいそうな、どうにもそんな危うさを感じる。目の付け所がシャープ且つ、彼女を好いているからこそわかったような微かな違和感に、天華は少々気をそぞろにさせつつ咲夜を目で追っていた。そしてその危機感は、残念ながら部活終了後も変わりなく。


「お疲れ様、瀧本さん……もう帰ってもいいのだけど……」

「あ、いえー。あとこれだけ……あ、鍵なら私やっときますんで、そこ置いといてください」

「何をしてるの?」

「んとー、この資料のここんとこ、わかる人ならすぐわかるんでしょうけど、私みたいな新参者にはちょっとピンと来なかったんでー。私なりにメモを……あ、すぐ終わりますから。どうぞお先に。お疲れ様でしたー」

「……」

「……」

「……」

「……なんす?」

「……」


 ──やっぱり、少し、元気ない?

 机でメモ書きを進める咲夜の目元を見て、ほぼ確信に近い不安を胸に宿した。何が原因なのかはわからない。更には情けない事に、何をしてあげれば良いのかもわからない。ただ、いつもと違う様子の彼女を前に酷くもどかしい気持ちになったのは確かだ。


「どこが、わかりづらかった……」


 ──違う。

 自然とデクレシェンドになる声。

 こんな普通の応答をしていても何にもならない。今は、もっと彼女に踏み込まないと……物理的でなく、心理的に……


(と言ってもこういう時、一体何て声を掛ければ……?)


『どうかした?何か悩み事?』

『え、別に何も?』


(う……)


 イメトレにて咲夜から素っ気ない返しをされた天華は、指先に顎を添えてむむむと唸った。


『きっと力になるから、話してみて』

『いやだから何もないですって』


(……ぐ)


『前にも言ったけど、もし私の手に余るような事でも……!』

『しつこいなあ!何なんすかさっきから!?』


 ギロリ。サクヤ の にらみつける 攻撃!

 テンカ の 先輩力 が 下がった!


(……例え想像の中でも、睨まれるのは……ちょっと……)


 ふるふると首を振り改めて前を見ると、一向に続かない話に興味を失ったのか──もしくは最初からなかったのか──咲夜はもう自らの手元に視線を戻していた。

 先程から様子を気にされているのは既に察しているだろうが……あくまで何も話す気はない、という事か。自分の信用のなさに早くも心が折れかかる。が、天華の方も、己の辞書に諦めるという文字はなく。



 その時ふと、こんな経験を思い出す。

 天華がまだ幼くて、実家で暮らしていた頃。嫌な事があり少々暗くなっていた天華に、二匹の子犬が近寄ってきた。シベリアンハスキーの雌、ジェーンと、ゴールデンレトリーバーの雄、ニコル。あの頃はまだギリギリ室内飼いが許される大きさだったが、今では彼ら用の広々とした庭でさぞかし元気に駆け回っている事だろう。

 さて、話を戻す。そんな可愛いジェーン達だが、落ち込んでいる主人に気付いてきゅんきゅん鳴きながら寄り添ってきたなら、ああ、慰めようとしてくれてるのかなと思えたはずだが、残念ながらそんな事は全くなかった。それどころか何故か尻尾をぶんぶん振りながら、それぞれおもちゃやボールを咥えて跳ねている始末。がっかり感が否めない現実に、膝を抱えた天華はそっぽを向いて答えた。


「悪いけど、今はそんな気分じゃないの」


 しかし構わず、手近におもちゃを置いてかちゃかちゃ爪を鳴らす二匹の毛玉。それを見た天華は、ふぅ、と息を吐き、「……言ってもわからないか」と小さく呟いた。


「そんな事もねーんだな、それが」

「兄さん……?」


 突然、ひょこっとリビングに顔を出したやんちゃそうな青年は、得意気にこんなウンチクを語り出す。


「知ってっか?一緒に遊んだ時の楽しそうな姿を覚えてるから、こうやって遊びに誘ってくるらしーぜ。コイツらなりに励まそうとしてんじゃねーの?」

「……そうなの?」

「カカッ!天華、空気読めよお前ら、って思っただろ!」

「う、ん……でも、今は……」


 白とクリーム色の温もりを撫でる。もふもふとしていて、暖かい。兄の話が本当かどうかは知らないが、こうして結局笑顔にさせられたのだから、してやられたというものだろう───。



(あの時兄さんがこっそり待ってきてくれたシュークリーム、美味しかったな……おもてなし用に取っておいたものだって後から知って、兄さん、母さんに叱られてたけど………ってそれは今はどうでも良くて)


 ピン!と天華は閃いた。そうだ、ここは一つ、彼女の好きな話題を振ってみようじゃないか。無理に元気付けようとするから空回りしてしまうのだ。今は間接的にでも、遠回りでもいいから、咲夜の心を軽くする為の手伝いをするべきだ。

 と、方向性は決まったのはいいのだが、ここで新たな問題が生じる。それは……肝心な咲夜の好きなものを、あまり知らない──というか教えてもらえてない──という点だ。……この作戦においては、はっきり言って致命的である。


(ううん、全くない訳じゃないのだけれど、かと言ってアレを話すのは……!)


 正直、かなり屈辱的だ。耐え難い敗北感が自尊心を蝕む。だが……背に腹は変えられない。嫉妬に燃え狂いそうな顔を必死に抑え、天華は努めて明るく話しかけた。


「そういえば、コトノハ少年って──」


 ゴズンッ。

 その瞬間、重く鈍い音が前方から響いた。

 何かと思えば、咲夜が机に額を打ち付けている。


「……え!?」


 予想外の展開に軽くパニックになった天華は、慌てて駆け寄り、彼女の肩を叩いた。


「ど、どうしたの、急に?」

「…………別に」


 ギギギ、と音が聞こえてきそうな程、ぎこちなく体勢を起こす咲夜。まるで古くて錆びたブリキ人形のようだ。それはもちろん全く「別に」な表情ではなく、それどころか苦虫を噛み潰したような目付きにまでなってしまっているのが堪らなく恐ろしい。このいきなり且つあんまりな展開に、天華は一瞬にして青ざめた。

 だって、ほんのつい先日は、ちょっと彼の話をしただけであんなにも勝ち誇った笑みを浮かべていたのに……?! 悔しいけど、笑ってくれるならそれでいいと思って……!


「……前から思ってたんすけど……!」

「な……に?」


 ああ、とうとう口調まで乱してしまった。孕まれた怒気にびくりと肩が跳ねたのを、見られてしまっただろうか。天華は怖々とした思いで、明らかにイラついている様子の咲夜の二の句を待つ。


「好きな人にはもう好きな人がいるかもって考えた事はないんすか……!?」


 ──え。


 目を見開いた天華が声を出す前に、ぐらりと咲夜がよろめいた。何故か今度は苦しそうに胸を抑えている。


「ちょ、ちょっと……?」

「むぐぅ……で?どうなんすか!」

「あ、いいえ……!全然!えっ、い、いるの?好きな人……」

「いや……って!今はアタシが聞いてるんす!じゃあもし好きな人にっ、太陽にとっての月みたいな!誰もが認める、自然、いや当然と思えるレベルの!既に決まった相手がいたとしたら…………」

「た、太陽?月……?」

「…………やっぱ、止めましょうこの話……」


 掠れた声音と、遠い目と、真顔。

 何が何だかさっぱりである。


「やっぱ明日でいいや、メモ……」

「帰るの?」

「はい……あ、鍵」

「い、いい。私が返しておくから」

「え、でも」

「……それとも一緒に行く?」

「………」

「……何でもない」

「すみません……それじゃ、お願いします」


 よろよろふらふらと去って行く小さな背中。てっきり小言でも言い返されるものだと思っていたが……本当に、一体何がどうしたと言うのか。もしや自分が知らないだけで、コトノハ少年が何か不祥事でも仕出かしていたりとか?


 ──ううん、多分それはない。

 天華は施錠がてら、スマホを手にして考えた。

 これでも一応、隅から隅まで彼の事は調べ尽くしたつもりだ。奴(!)は、写真や小説の投稿という活動内容にも関わらず、何一つSNSに登録していない。なので当然ながらコトノハ少年の近況は窺い知れないし、作品投稿サイトのプロフィール画面も、何の変哲もない青空のアイコンに当たり障りのないコメントが二行だけ。という訳で、先程は「調べ尽くした」と言ったが、実際は「これ以上調べようがない」と言った方が正しかったかもしれない。

 念には念を入れて作品閲覧ページのコメント欄も今一度チェックしてみたのだが、やはり特に荒れた様子などなかった。至って平和そのもの。むしろ、プロフィールよりも長い文章で一つ一つコメント返ししている人の良さを知り、(恋)敵ながら天晴れ、と思ってしまったくらいだ。


「……好きな人に、好きな人?切ない系のお話を読んだばかりで、感情移入してるとか……けど、コトノハ少年の小説で……?見落としたかしら」


 一応ざっと全ての作品に目を通したつもりではいたのだが。……駄目だ。推理するには情報が少なすぎる。こんな時は一人で悩み続けても仕方がない。といち早く思考を切り替えた天華は、すぐさま職員室へ向かった。


「……來夢に相談してみましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る