オモイが為に、爪隠す―4―
「そもそも天華は、あの娘の事をどれくらい知っているんですか?」
「どれくらいって……」
彼を知り己を知れば百戦殆からず、という訳で。「一度、きちんと作戦会議しましょう」と來夢の提案の元、購買で仕入れたパンや紙パックジュースを持ち込んだのは、お昼休みの生徒会室。話す内容が内容なだけに、食堂や屋上、中庭など、人目に付く場所を避けた結果───選ばれたのは、生徒会室でした。……失礼。
とにかくここならば、誰もかれもはそう易々と入れない。入室するところは複数人に目撃されたが、この二人が一緒にいる事自体は然程珍しくないので、きっと何か大事な話でもするんだろうと皆深く関わろうとは思わなかった。それも計算の内だが。
という経緯で、冒頭の質問である。いきなり核心を付くような來夢の鋭い質問に、咀嚼を止めた天華は至って落ち着いた様子で、回答を指折り数え始めた。
「まず、ケーキ屋さんのお手伝いをしてる事でしょ」
「はい」
「“運命”が嫌いな事でしょ」
「え……」
「あともしかしたら、強いαも嫌いかもしれない事でしょ」
「……はい?え、それって……」
「私にだけ冷たい目を向けて来る事でしょ」
「ちょ、待ってください!一旦!一旦いいですから!その手を下ろして!」
「?」
大人しく言う通りにしてくれる天華の純朴な瞳に今にも頭痛がしてきそうだ。眉間を摘むように抑えた來夢は、想像以上に茨が蔓延る恋路を行かんとしている親友を本当にこのまま応援しても良いものか、本気で悩んだ。
「ええと……いささかネガティブなラインナップですね……?」
何とか半笑いで、疑問という形のインターバルを挟む。
「そうかもね」
「かもねって……いえ、何でもないです。で、“運命”が嫌いというのは?」
「ああ……信じてないんだって、そういうの」
「あ……そう、ですか。……そうですよね。今時、信じている人の方が稀ですし……すみません、天華。あの夜、私が余計な事を言ってしまったばかりに」
「ううん、來夢は悪くないわ。だって何も間違ってないもの」
「……?」
「だから、運命。瀧本さんが信じていまいと嫌ってようと関係ないのよ、彼女が私の運命なのには変わりないんだから」
「天華……」
正直、少しゾッとした。それがどうしたと言わんばかりの、あまりにもきっぱりと言い切ったその姿に。純粋な瞳に。ほんのつい先日まで、完全現実主義者だったはずの彼女は一体どこへ行ってしまったのか。
「……出来る範囲でいいので、話してくれませんか?貴女が瀧本さんを追いかけたあの朝、何があったのか」
「………」
「それに、強いαが嫌いかもしれないって……だって天華は───」
「ごめん。いくら來夢でも、それは話せない」
「……」
「……ごめんね。でも……來夢になら話してくれるかも。……私より頼りにされてそうだし……」
「……という事は、瀧本さん関係なんですね。なら、わかりました。ここは引いておきます」
「ありがとう。とにかく私は、“運命”を証明してみせるってあの娘に誓ったの。どうしても受け入れてくれない瀧本さんに……宣戦布告って奴ね」
と、どこか懐かしむように目を細めながら、天華はまたパンを食み出した。
──なるほど、貴女らしい。
明確に説明出来ないのが運命なのに、よりにもよってそれを証明すると来たか。これじゃあ、ロマンティストなのかリアリストなのかいまいち判断付かない…………いや。
(……前言撤回、ですね)
そうだ。最初から、変わってなんかいなかった。どこまでも、天華は天華のままだったのだ。考えた事もない事象でさえ、彼女が言えば不可能じゃないように思えてくるから不思議なものだ……そう、ようやく気付いた來夢は、ふ、と小さく笑みをこぼし、自身もまたコーヒー牛乳で喉を潤す。その胸には、確かに、安心の文字が浮かんでいた。
胸のつっかえのようなものが取れた事で、段々とリラックスしてきた來夢。お互い静かにむしゃむしゃとしながら、質疑応答を再開させてもらう事にした。
「では、他にも話せる範囲で知っている事を教えてください。あ、ポジティブ方面でお願いします」
「そうね……笑顔がとっても可愛い」
「あ、はい」
「友達を作るのが上手」
「ふむ」
「すっごく甘くていい匂いがする」
「え、そうでしたか?」
「え?來夢はそう思わない?」
「私はあまり……香水では?」
「ううん、違う!風通しの良い所ならどこにいたってわかるくらい、甘くて、濃厚で、ケーキみたいに本当に美味しそうな香りなの!」
「えええ……」
突然目を輝かせてきた天華の力説に、堪らず引いてしまう來夢。だがそれを聞いて、そういえば、と思い返すは初めて彼女と対面したあの日。帰ろうとしていた咲夜の手を引いて、天華の元に連れて行こうとした、あの時……確か、天華はこう言っていた。道理で匂いが騒がしいと──と。
「それは……天華は、人一倍鼻が利くから……」
「……いいえ、あれはそういう次元じゃないわ……ふ、ふふ……そう、つまりこれは、私だけの特別だったのね……嬉しい……!ありがとう、來夢!お陰でまた一つ、いい検証材料が手に入ったわ」
「ど……どういたしまして……?」
──
─────
「ふぇくしっ!」
「わ!咲夜ちゃん、風邪?」
「いやいや、きっと噂だよー。って言いたいところだけど、そうかも……なんか急にぶるってした」
─────
──
こほん。と、咳払いを挟み、我らが生徒会長は気を取り直して。
「他には?」
「凄く強気。先輩相手に動じない」
「……ポジティブなんですか、それは?」
「もちろん!いいじゃない、プライド高い犬……狼?って感じで」
「……見た目は羊みたいですけどね。あの……気に障ったらごめんなさい。ですがそういうのを、猫を被ってると言うのでは?」
「……瀧本さんのあれは違うと思う」
「何故?」
「勘」
狐につままれたような気持ちになったところで、貴重なお昼休みは終了した。大して実のならない残念な作戦会議だった。
(やれやれ、天華なりの瀧本さん像をもっと聞いておきたかったんですけど……予想以上に盲信していて参りました。もしかして……私も、最初はこんな感じだったんでしょうか、ミヤさんに……)
紙パック片手に廊下に出る優等生二人組。内一人は勝手に恥ずかしい思いを抱いているが、そんな事はつゆ知らず、もう片方は何やらすっきりした顔付きで前を見据えている。傍目にはわかりづらいが、これはかなり機嫌が良い時の顔である。つまり、天華にとってはなかなか有意義な時間だったということか。全く、人の気も知らないで!
Q:小鳥遊來夢にとって、竜峰天華とは?
A:従姉妹で、親友で、妹のような存在。
両親同士が仲良くて……なんてよくある成り行きで知り合った幼き二人の女の子。親戚の集まりくらいでしか会えなくても、育まれる絆はある。成長した暁にまさか同じ高校に入学し、あまつさえ学院寮にて同室になるとはさすがにお互い夢にも思っていなかったけれども。
元々面倒見の良い事もある。それ故に、何でも一人で背負い込みがちな天華の孤高っぷりはいつも気に掛かっていた。それこそお姉さん目線で。
「仕方ありません……天華の分まで、私がしっかり見極めないと……」
「───瀧本さん」
「え?あっ、嘘、聞こえてました?いえっ、違うんですよ天華、私は別に、最初からあの娘はとても良い子だと──」
「……あっち!」
「思って───え!?どこへ?」
訳もわからぬままに追い掛けた。突然、弾けるように駆け出した天華を。
神楽坂女学院は、上の階から順に下級生〜上級生の教室となっている。なので、例えば一階にある食堂を一年生が利用した場合、自分のクラスに戻る為には階段を上って行かなければならない。ほら、ちょうど、そこの新入生達のように。
「……ねぇにっしー?ワザとゆっくり歩いてるでしょ?」
「だ、だってぇ……もしかしたらお姿見れるかもしれないんだよぉ?私達が先輩方の階に立ち寄る機会なんて滅多にないんだから、ちょっとくらい期待してもいいでしょう?」
「うん、えっと、それは別にいいんだけど。でも、立ち寄るったってここ階段だよ?寄ってなくない?」
「いーのっ!」
(……本当にいた)
そう。來夢と天華の目線の先には、間違いなく、数人の友人と共に階段を上がろうとしているチャンスの女神がいて───今度こそ、はっきりと戦慄する來夢。匂いで咲夜の位置がわかると言っていたあの言葉を疑っていた訳ではなくとも、即座にその特技を目の前で披露されれば……開いた口が塞がらなくなっても仕方ない、と思う。
「ねーもういいでしょー?そろそろ行こうよー」
「あともう少しだけ!」
「じゃあ先戻ってるからね?」
「ダメっ!」
「何で!」
「もし本当に小鳥遊先輩や竜峰先輩に会えたらどうするの!咲夜ちゃんが場を繋いでくれないと!」
「いやどんな理由……はぁ。普通に考えて今頃教室で食べてるって、きっと。食堂にもいなかったじゃん?」
残念、ここにいます。ばあ!なんて今ここで顔を出したらさぞ驚く顔が見られるのだろう。階段踊り場のすぐそば、廊下の曲がり角付近で様子を伺っているこちらとすれば、そんないたずら心が全く浮かばないと言えば嘘になるし、既に若干一名、ものまね番組のご本人登場シーンよろしく、ソワソワしているが──……
「竜峰さんと言えば、あの人って何もしなくても何でも出来ちゃうってほんとなの?」
──なんていう質問が、宙を舞い。
まるで冷水を掛けられたかのように。天華と來夢は、文字通り固まった。
「あ、それ、ウチも聞きたかったんだよね」
「どうなの、咲夜?」
「え?……ああ、そういやそんな話も聞かされたっけな、にっしー先生達の授業で」
「ほぇ?言ったっけ、そんな事」
恐らくクラスメートであろう名も知らぬ生徒達による、真実とはかけ離れた噂話。それに対して呆れ笑いを浮かべる咲夜を見た瞬間、「違う!」と叫んで飛び出さんとも思える激情が來夢の胸を襲った。そうしなかったのは……自分の事よりもまず、彼女──天華の耳を塞いであげたかったからだ───……。
ハッとした來夢の目に映ったのは、諦め、哀しみ、怒り───憤りを宿した、一人の少女の華奢な背中で。どんなに努力を重ねても、“ただ何となく”の理由で真っ直ぐ見てもらえない、心臓一つの同じ人間で。
「αの血が濃いとかってよく聞くよね?」
「うんうん。もし本当なら羨ましいな〜!そんな才能あったらマジで何でも出来そうだもんね〜」
……悪気がないのは、わかっている。それでも、だとしても。握り締めた拳を緩める事が出来ない。何よりも、天華が不憫でならなかった。このままここにいてはいけない、彼女の為にならない。そう確信した來夢は、急ぎその震える手を取って、元来た道を帰ろうとした────その矢先に。
「……そんな事ないよ、絶対」
聞こえてきたのは、女神による───救いの、拒絶。
「例えばなんだけど……そうだなぁ、音楽家の家に生まれた子どもとか。あー、スポーツマン一家の子どもとかさ。マジで生まれた時から才能があったとしてもさ、ちゃんと頑張んないと成果なんて出せないよ、本当の。何もしなかったらきっと楽譜も読めないままだし、足だってめっちゃ遅いままかもしれないじゃん!大体、その才能が好きな事とは限らないし……もちろん、恵まれた才能を好きで活かせるならそれに越した事はないけどね。
あ、ほら、女優とかモデルとかアイドルがさ、スキンケアとかダイエットに力入れてんのと同じだよ。元が良いからって手抜きしてたらダメじゃん?むしろ、他の人より気を遣ってるくらいなんだし………あー、だから……もう言っちゃえばαとか、βとか……Ωとか。そんな、関係ないっつーか。てか実際そうじゃん?今って。まあ、仮に、ほんとにね?もし、噂通り先輩のαが濃かったとしても……あの人が凄いのは、今までちゃんと頑張ってきたからだと……私は思ってるよ」
───聞き入っていた。気が付けば、その場にいた全員が。少女の吐露した心情に。静かで、熱くて、折れる事のないくらい、透き通った気持ちに。
訴えかけると言うよりは、ただ、自分の見解を述べただけ。強制力もなく、賛同を得ようとした訳でもなく、ひたすら、自分の意思を伝えただけのその言葉と……
「てか……生まれただけでもう生き方全部決まってるとか、そんな“運命”クソ喰らえって感じ?」
可愛い笑顔と明るい口調で紡がれた、何とも爽やかな暴言に。
あずさ達、クラスメートも。
來夢も。
もちろん───天華も、圧倒されていた。それが“まるで己がそう思われてきたかのように”語られた事に、多くは気が付かないまま……それぞれがそれぞれの想いを抱き、固唾を飲み、沈黙を守り続けた。
───のを、打ち消すようにして。
「やー!だからさー!」
咲夜が、ぽん!と手を叩き、驚く程あっけらかんと……
「頑張ればみんな先輩みたいな人になれんだって!そんだけっ!」
……なんて、にっこり笑い飛ばしたものだから。
まるで、そう。それを合図に催眠術が解けたかの如く。夢から覚めたり、金縛りが解けたりしたかの如く、皆々気を取り直し始めて。
「さっ!いい加減行こう?ね、もういいでしょにっしー?」
「う、うん………それより咲夜ちゃん、いつの間にそんな、竜峰先輩と仲良く……」
「……ちょっと待って?今何か聞き捨てならない事が……」
「ちょっと寂しい気もするけど……私、応援するからねぇ!咲夜ちゃんっ!」
「待って!え?そんな話だった!?」
「ごめんね……ウチら全然気付かなくて……咲夜、そこまで竜峰先輩の事……!」
「素敵!そういえば、竜峰さんに憧れて生徒会に入ったんだもんね!」
「違ッッッ───いや、えっと……!!」
バタバタと忙しなく階段を駆け上っていく咲夜達。來夢はその背中に、一瞬、しかし確かな、眩い光を見た。それは、もしかしたら。翼──……だったのかもしれない。深い闇の奥底で膝を抱える誰かの、手を取り、抱きしめ、共に空高く舞い上がっていく為の、女神の羽根だったかもしれない───。
だとしたら、この階段は言わば天界に繋がる雲のステップだ。その言葉はつまり神託で、救われる心があるなら案外冗談抜きで、あの娘は本当に、天華の───…………
「…………天華?」
昼休みの喧騒がようやくクリアに聞こえてきた時、思い出したかのように來夢はその名を呼んだ。自身と同じく、しばらく身動き一つしていなかった彼女の、名前を。
「……來夢…………私ね……」
振り返る事なく、ゆっくりと、天華は。
「ずっと、ずっと……ずっとね………」
──ああ。
後ろから聞いているだけなのに、來夢の目からは自然と涙が浮かび上がる。
「ずっと……っ、今の、言葉を…………」
青くなる程握り締めていた手のひらは、いつの間にか、軽くなっていた。
───誰でも誰とでも結ばれる、こんな新時代。
男も女もαもβもΩも関係ない。皆が平等なはずの世の中で、それでも微かに残る差別意識を塗り替えたくて、オンリーワンのオリジナリティーを掲げたいのに、でも、そんな力はまだ無くて……。
だけど。この姿を見てもらえたら、きっと。いや、絶対に、わかってもらえるはずなんだ。だって、だって、だって─────!
「───待ち望んでいた、の…………っ」
胸を抑えて祈る、細い指先。頬を伝う流れ星。夜空のような、純情なその瞳───誰が見たって、彼女は。恋する乙女の。
────ただの、竜峰天華なのだから。
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