羽田麻由の憂鬱①
どうしてこんなところに来てしまったのだろう。 早くも後悔している。
なんでみんな楽しめるのかしら?
このお腹に響くような重低音。 キンキンと耳が痛くなるような高音。 そしてそれらが合わさって出来た音楽には自分には騒音としか思えない。
どうしよう。 やっぱり来なければ良かった。
小中高一環の女子高で過ごし、せっかく大学生になったんだからと無理をして参加したこの合同コンパがどうしても性に合わない。
なんだか気分も悪くなってきた。
今日はもう家に帰って寝てしまおう。 でもどうやって帰ればいいのかしら?
家が無駄にお金があるせいで、父やその友人達の主催のパーティーへは何度も行った事があるからこそ、場を中座しようなんて礼儀知らずと思われてしまわないかしらと悩んでしまう。
そもそも誰に言えばいいのかもわからない。 やっぱり最後まで居る?
でもいい加減限界に近い。
いったいどうしたらいいの?
「体調悪そうだけど大丈夫?」
「えっ?」
隣のソファにこちらを気遣うように優しく誰かが座る。 フワリと香水の香りがする。
誰かしらこの人?
センスの良い服装に長めの長髪だけれど爽やかな印象を受ける笑顔。
「君、W大の一年生だよね?俺はS大2年の澤村洋介って言うんだ」
「えっ…は、はじめまして」
ペコリと頭を下げる。
「気分が悪いなら俺が幹事に言っとくから帰ったほうがいいよ」
「い、いえ…大丈夫です…あっ、でもやっぱり帰ります…ね」
「うん、わかった…タクシー呼ぼうか?お家はどの辺?」
「あ、あの…○○区です」
「OK、それならタクシーの方がいいね、呼んでおくよ」
「あっで、でも…悪いんで…」
そう言って、さっと立ち上がる彼に声をかける。 振り返った彼はドキリとするような表情で、
「遠慮しなさんな、機会があったらまた来てよ、俺よくこういうの主催してるからさ」
それが彼との出会いだった。 いま思えば何ともわざとらしい態度だった。 それを見抜けなかったその頃の自分を呪いたくもあるけれど。
「悪い悪い、遅れたわ……待った?」
「ううん、そんなことない…私もいま来たところだから」
その言葉は嘘だった。 本当は約束の時間20分前から立っていた。
彼の為に念入りに髪をブローして化粧をし、服装も下着もギリギリまで悩みながら決めて、待ち合わせの時間から30分遅れで彼はやってきた。
いま思い返してみればなんでそんなにと言ってしまいたいほどに私は彼に夢中だった。
確かに顔は良かったしセンスも良く頭も良かった。
遊び慣れた男に当時男友達どころか異性との交際経験もなかった初心な女は良い様に翻弄されていた。
チラホラと他の女の影がチラついていたのでさえ『あれは友達だよ』と言われれば頭から信じて疑うこともしない。
彼の為なら何でもしてあげたいと思い、時にはお金でさえ渡すこともあった。
『緑遊会』へ参加したのもその頃だった。
あいつの時と同じように明さんの車に乗せられ、目隠しをされて、そしてあの儀式を経て私も『緑遊会』の仲間となったのだ。
まあそれは彼との付き合いの中では唯一『悪いもの』ではなかったが…。
いま振り返ってみれば赤面してしまう。 むしろ当時の自分をひっぱたたいてやりたい程に愚かだった。
人生の汚点だったと言ってもいい。
とはいえそんな汚点だった時期も唐突に終わりを告げた。 というより告げられたという表現が正しいだろう。
ある日、偶然街中で彼をみつけた。 知らない女と二人で楽しそうに談笑していた。
体調が悪いと言ってデートをキャンセルされてから一時間後の話だ。
クラクラとした眩暈で倒れてしまいそうになりながらも私は彼達に話しかけた。
「その女の人…誰?」
「ああ…後で説明するから、とりあえず今日は帰れよ」
動揺すらせずに半笑いでそう告げる彼の横で女も薄笑いを浮かべていた。
「そんな言葉で誤魔化さないでよ!一体何なのその女は!」
街中で恥の外聞もなく大声を上げる私を見て彼は一度ため息をしてから、
「ああ、もう面倒くせえな…」
「そんな言葉って…」
なおも食い下がる私に彼がとうとう決定的な一言を浴びせてきた。
「もうお前いいわ…別れようや」
絶句する私を尻目に彼はまるで追い払うように手を振る。
そこまでされてやっと目覚めることが出来た。
彼にとって私は沢山いる女の中の一人で、あっさりと切り捨てられる程度の価値しかなかったということを。
「……わかった」
泣きそうになるのを堪えて、縋りつきたくなる衝動を必死で抑えてやっと出した言葉でさえ、
「それじゃ…元気でな」
彼にとってはどうでもいいことだったようで、私をその場に置いて二人は人ごみの中へと消えていった。
こうして私の始めての恋愛は思い出したくもない形で終了したのだ。
……本当にバカだった。 でもそれでよかったのだと今は思える。
出なければもしかしたら今でもずっとあのお花畑のような頭でキャッキャしていたかもしれなかったのだ。
とはいえその当時の自分にとってはかなりのダメージで一週間程泣き暮らしたけれど。
ただ悪いことばかりではない。 今でも『あれ』のことを思えば腸が煮えくりかえるよな気持ちにはなるが、おかげで成長することも出来たのだ。
どんな辛い出来事でさえも要はプラスにしていけばいい。
そして恋愛に置いては主導権を握られてはいけないということにも気づけた。
もう都合良く振り回されないよう自分を律して行動していかないと。 あんな気持ちを味わうのは二度とごめんだ。
そう成らない為にも色々と体験しておかないと…。
泣きはらした目が完全に癒える頃にそう決意を立てた私は様々なイベントに顔を出していた。
元々はその手のパーティによく参加していて顔も知られていた私はあっという間に有名になっていく。
その過程で様々な出会いもあり、ますます顔も広くなっていき、またイベントの度に周囲にくっ付いてくる取り巻きの数も増えていった。
だが特定の相手を作ることはしなかった。
その手の誘いや告白は何度かあった。
別段、恋愛に懲りたわけではないのだけれど、ただそんな気持ちにはなれなかったのだ。
「新しい会員の紹介?」
「そうそう、そろそろ春だろう?若々しい新芽たちがオイラ達には必要なのさ~」
ポワットした口調で聞き返すと、痩せ気味の軽薄な男はとらえどころのない言葉で返してくる。
「……ああ、もうそんな季節なのね」
気がつけばあれから一年が立っていた。 怪しく香る煙が充満するルームでカウンター前の椅子に座って一人、煙をくゆらしている私に声をかけてきた芳樹さんは真っ赤な目で、
「まあ誰でも……ってわけにはいかねえけどさ、ビシっと麻愉ちゃんの眼鏡にかなうような人材を連れてきてほしいわけよ」
「……特に居ないわね~、でもまあ考えておくわ~」
「それじゃよろシコシコ!」
下品な返しに冷たい目線を華麗に避けるとそのまま自身の彼女の元へと行ってしまう。
「待たせたなマイハニ~、寂しくなかったか?」
「芳樹く~ん、おかえり~!寂しかったよ~」
そのままその場で濃厚なキスをして緑遊会のリーダーは二人だけの世界へと入ってしまう。
芳樹の彼女である洋子という女性を私は嫌いだった。
人目を憚らず無遠慮に恋人と絡み合い、抱きしめて、キスをする。 その無神経さと盲目さが妙に私をイラつかせるのだ。
だがその原因に私は気づいている。
所構わず、周囲も見えないかのように振舞うその姿はかつての私と重なる。
あの愚かで便利に利用されて自分が目の前にいるようでどうにも穏やかではいられないのだ。
「懐かしいのかい?」
いつの間にか明さんが横に居た。 少し休憩しているのかグラスに水を注いで一口で飲み干す。
「いいえ、呆れてるだけです」
「ははは確かにね、他人がいちゃついてるところなんてあまり見てたくないもんだよね」
そう言いながらも明さんは二人を見つめ続けている。
「そういえば話は聞いた?」
「一応、まだ誰かとは決めていないんですけどね」
「まあ麻愉ちゃんの推薦なら大丈夫だと思うよ?芳樹もその辺は気にしてないと思うから」
「それは…別に嬉しくないですね」
新しい会員か…。 特に親しい人間も居ないし、入会した後も色々と面倒を見ないといけないことを考えると気は進まなかった。
第一、そうまでして入れたいと思えるほどの人間など私の周りには居ないのだ。
さてどうしたものかと悩んでいた時に出会ったのが真田友和だった。
居心地の悪さを誤魔化すこともだからといってその場から去ることも出来ずに曖昧な笑いで耐えている姿がかつての自分と重なってしまった。
自分もあの人からすればこう見えたのかしら?
その痛々しさとまだお子ちゃまだった自分を思い出してしまい声をかけずにはいられなかったのだ。
「つまらなさそうね……楽しんでる?」
「い、いや……楽しい……ですよ」
表の態度とは明らかに反比例するその言葉に噴き出しそうになってしまった。
だって凄い眉間にしわよってるし、それなのに口の端を無理やり上げて笑おうとするのでかなり面白い表情になってしまってる。
だがここで笑ってしまっては彼も傷つくだろう。 そしてそれはかつての自分も傷つけることにも思えた。
なんとか微笑程度に堪えながら次の言葉を紡ぐ。
「……嘘が下手ね。苦労するわよ?」
それは本心だった。 こうまで嘘が下手なところを見るとあまり要領が良い性格ではないのだろう。 ずっと真面目一筋に生きて来たことが見て取れる。
けれどその不器用な真面目さには好意を持てる。
「ははは……そ、そうですか」
「ええ……そうよ、きっと苦労することになるわよ……でも嘘ばかりの男よりは良いけどね」
かつての私と同じようにね。
「…………」
「沈黙は肯定と同じよ?」
「あっ、すいません!」
別に謝ることなんてないのに。 でもそれが彼の人柄なのだろう。
自分の周りにはいない人種なので俄然、彼に興味が湧いてきた。
「あなたK大学の一年生よね?はじめて見るもの、私はW大学の二年の羽田麻由っていうの……よろしくね」
「……よろしくです」
それはまるでデジャヴのような光景だ。 ただ一つ違うのはかつての私が彼で、かつての彼は私というだけ。
いま思えば私は決心していたのだろう。 真田友和を『緑遊会』に入れることを。
あの夜に意気投合した私達は定期的に共に行動をするようになっていて、その毎日は楽しいものだった。
案の定と言うか見た目どおりというか、真田友和という男は洗練されているとはいえない人間で、その感性も思考も朴訥だった。
ことあるごとに連れて行くイベントやパーティに置いて不器用なりに努力はしていても場違いな言動や行動をしてしまい、それを私が指摘して矯正していく。
時には喧嘩をしたり、離れるようなことはあったけれど、しばらくするとまたどちらからともなく連絡を取り合ってまた一緒に行動するようになる。
そのプロセスもお互いに怒鳴りあうような関係も大変心地よいもので、また少しずつではあるけれど彼の所作もスマートなものになっていく。
この頃になると、私は彼に対してはっきりとした気持ちを持つようになっていた。
朴訥ゆえの素直さや真面目なところが多少ひねくれてしまった私には可愛らしく写り、私の指導で成長していく姿に愛しささえ感じていた。
だから彼が地元の友人に会う際に発した『自分はあの頃とは違うだろうか?』
という問いかけには胸を張って答えられた。
『自信を持ちなさい』と。
そしてそれは私自身にも言った言葉なのだ。
彼の言う地元の友人が女だったことには驚きを禁じえなかった。 またそれが実際は友人ではなかったこともすぐに気づくことが出来た。
友人の方も私と彼との関係がそう単純なものではないことには気づいていたよで、そういう意味ではこの女は決して頭が悪いタイプではない。
その小動物じみた仕草や甘ったるい声、そして小柄な身体と比例しない胸の大きさ。
そのほとんどが私とは正反対に見える。
だからなのだろう。 私は第一印象で彼女のことを好きにはなれなかった。
これはもちろん地元ではただならぬ関係であったことを見抜いた私の嫉妬でもあるんだろう。
ましてや私に内緒で彼女を『緑遊会』に入れたことも愉快ではなかった。
けれどそれを差し引いてもやはり彼女を好きになれそうにはなかった。
それは白音と友和の関係は昔の私にとっての理想的な関係に思えたからだ。
恋人である男に対して決して逆らわず、でも男の方から気を使わせてしまう程の愛くるしさ。
昔の自分のようで決定的に違う。 その点がすでにふさがったと思っているキズを不快に疼かせる。
その日の夜は最悪だった。 自己嫌悪に陥るほどに。
「本当は起きてるんでしょ?狸寝入りはやめなさいよ」
友和を追い出して、一度気持ちを落ち着けてから自分のベッドの上で横になっている宿敵に声をかける。
「……気づいてました?」
「あんなにタイミング良ければ気づかないはずがないでしょうが!」
タイミング。 そう…私が勇気を出して彼に自分の気持ちを告白しようとしたとき。
ふと先程舐められていた左の耳がジンワリと赤くなるのを感じた。
よりによってあの人の前で、あんな醜態を見せることになるなんて…。
「邪魔してごめんなさい、でもさせるわけにはいかなかったので」
ムクリと起き出して、一度深く頭を下げる。 向き直ったその瞳はしっかりと私を見つめていた。
それは強く、真っ直ぐな視線で、何故だか私の方が目線を逸らしてしまう。
「そりゃ貴女からみれば面白くないでしょうけど…」
「……それは別にいいんですよ」
「な、なんでよ!」
「……? 私、そんな変なこといいました?」
「だ、だって信じて東京に送り出した元恋人が…」
「元じゃないですけどね!」
ピシャリと言い切られてしまった。 確かにあの感じから言ってはっきり別れ話をしたとは思えないけれど…まさかそうまで言い切るとは。
「明確に別れていない以上、私はまだ彼女のつもりですよ?まあ仮に別れを告げたとしても諦めませんし」
「…随分と自信があるのね」
友和と二人の時とは違い、強気な態度に面食らってしまったが、よく考えてみれば向こうからしてみれば付き合いは長いのだから負けられないと思うのかもしれない。
「自信なんか無いですよ」
「えぅっ!今度は弱気?」
「だって麻愉さんってとても綺麗なんですもん、スタイルいいですし洗練されてるし…そりゃ友和さんだってグラっときますよ」
今度は私のことを褒めだした。 なんだろう? この女、一体何を考えてるのかしら?
「そ、それなら…どうして」
「友和さんを諦めないって言うのかですか?そんなの簡単ですよ、だって私あの人を愛してますもん」
「は、はっきり…言うのね」
「そりゃ愛してますから」
ニッパリとした笑顔で言い切られてしまうとそれ以上何もいえなくなってしまう。
「私って結構重い女なんです。あの人のことが好きで好きでしょうがないんですよ、自分でも気持ちが悪くなるくらい愛しちゃってます」
言葉の激しさとは裏腹に少し照れるその仕草は可愛らしい。 だがそれに込められた情念と言うか気持ちの強さとのギャップに気圧される。
「それに麻愉さんのことだって私、嫌いじゃないんですよ?むしろ大好きです!」
「はっ?えっ?なんで?」
今度は私まで大好きと言いきる白音にもはやパニック状態になってしまう。
「だって友和さんのこと好きになってくれたんでしょ?自分の好きな人が他の人に好きになってもらえるなんてやっぱり嬉しいですよね」
な、なんなのこの女? 言ってることが理解できない。
いや理解は言葉上ではできるけど気持ち的にはそうすることが出来ない。
「それに…あの人って変に生真面目で気が弱いところあるでしょう?都会に行ったらどうなっちゃうんだろうって内心実は心配もしてたんですよ、でも久しぶりにあったら、まあ多少は垢抜けてましたけど変にねじくれてもいなかったんで…」
「そ、それは私にもわかるわ。なんでこいつこんなことで悩んでんだろって思うことは何回かあった」
「ですよね~!だから変に都会の色に染まってたらどうしようと不安だったんですけど変わってなくて、それで麻愉さんとの会話を聞いてて、ああこの人が居てくれたからなんだ~って嬉しくなったんです」
「そ、それが私のことが好きな理由?」
「はい!びっくりしちゃいました?」
何の悪意もなくて気負いも無い。 ただただ底抜けに明るいその性格に気づいてしまうと、ああだから友和は白音のことを放って置けないのだろうということだけは理解できた。
この子はこの子で私とはまた違うタイプに友和とは相性が良いのだ。
ウジウジと悩む彼の尻を叩いて立ち上がらせるのが私なら、この子は一緒に居てあげて自ら立ち上がらそうと仕向けることの出来る女。
「なるほどね…だからあいつはああいう性格のままで居られたってわけね」
「それはどうかわからないですけど、でもそういうところがあの人の可愛いところですよね~」
納得できてしまう自分が嫌だ。 とはいえ、やはり同じ男を好きになるだけあって好みが似ているわ。
「本当にね、だから心配で目を離せないのよね」
「わかります!わかります!」
なんとも変な関係になってしまった。 本来なら憎みあってもおかしくない関係だというのに。 妙に気があって話が弾んでしまうのだ。
「あっ!でもだからといって友和さんは渡しませんから…あしからず」
「それはこちらも同じことよ…って同じ男を取り合ってるのにどうして私たちこんなに話してるのかしら:
「それもそうですね~!でもしょうがないじゃないですか、そういう人を好きになってしまった者同士なんですから」
「…ふふっ、それもそうね。ところで地元に居る時のあいつってどんな奴だったの?教えてよ」
「いいですよ、その代わり東京に来た後の友和さんのこと教えてくださいね」
私たちはその日、一晩中語り合った。
互いが愛してやまない同じ男のことを。
そしてそれは意外に楽しい夜だったのだ。 そう今までに無いくらいに。
白音が浚われたという連絡が来た時は凄く驚いたし、心配もした。 もちろん無事に帰ってきてほしいという気持ちは当然持っていた。
けれども狼狽する彼の姿を見ていたら嫉妬心が湧き上がることは抑えられなかった。
いっそのこと白音のことなんて見捨ててくれればいいのに。
あれだけ語り合って、仲良くなったというのにそんな考えがでてしまう自分が最低だということも自覚している。
それでも取引の現場に向かう車内での彼の不安や恐怖。 それを出させている白音が羨ましくもあり、憎らしい。
私は一体どうしたいのか? どうすればいいのだろう?
その自問自答の中で私は苦しむ。
いま思えばそれが最後に残った私の愚かなプライドを打ち砕いてくれたのだろう。
結果は最良とは言えなかったがそれだけは良かったと思える。
そして恥も外聞も無く、真っ直ぐにぶつけた告白はあっさりと退けられた。
それは余りにも遅かったのだ。 もしもっと早くこの気持ちを伝えていれば未来は変わっていたかもしれない。
それが出来なかったのは私の弱さと自信の無さ、そして勇気が無かったことだろう。
私には白音のように恥も外聞も無く行動することが出来なかった。
それが敗因だ。 もっと言えば気持ちで負けていたのかもしれない。
好きな男のためになりふり構わず、全てを投げ打つその姿勢が私にはあと一歩足りなかった。
「……辛いよね、そういう関係ってさ」
恋敵を助けに走り去るその背中に気持ちをぶつけて突っ伏している私に運転席から明さんが言葉を発する。
「……えっ?」
顔を上げる。 前を見て運転しながら明さんはまた言葉を紡ぎだす。
「僕もね、君と同じなんだ。だから個人的には僕は麻愉ちゃんを応援してた。もっとも僕の場合は最初から望みは無かったんだけどね」
「……私と同じ?」
「そう……好きな人が身近な人間のことが好きって状況がね」
「もしかして洋子さんのこと」
「そうそう、実は出会った時からね。ただその時点ですでに洋子は芳樹に夢中で、芳樹もまた洋子を…ね」
明さんの表情はうかがい知れない。 ただその声色は何か寂しげに聞こえた。
「たまに辛くなってさ、離れようとは思うんだけど…そう簡単に好きな人のこと忘れられないしね、だから余計に『ミドリ』達に愛情を向けてるんだ」
「そ、そうなんですか…」
車はいまだ麓までたどり着いていない。
なので静かな車内にその声はよく響いた。
「でもさ、思うのは勝手でしょ?僕はそう思うんだ。だから僕はずっと洋子達と一緒にいたいと思ってる……なんて情けない話でしょ?他の人には言わないでね恥ずかしいからさ」
明さんはそれ以上、口を開かなかった。 私もまた同じように口を閉じていた。
ふと窓の外を見る。 街が見えてきた。 キラキラと照らし出される街の夜景はとても輝いて見え、こんなに悲しいというのに綺麗に思えた。
気がつけば涙は止まっている。
やっと街までたどり着く。 明さんは私を自宅のマンションまで送ってくれた。
「…私もそう思います」
車から降りた私は運転席の明さんにそう話しかける。
「好きなものはしょうがないですよね、気持ちが忘れられないなら…」
その後の事は言葉にしなかった。
でも気持ちは明さんには伝わったようで、彼は少しはにかみながら
「……がんばってね、応援してるよ」
そう言ってくれた。
「はい!」
私も素直にそう答えた。
走り去る明さんの車が見えなくなるまで見送った後、自室へと戻る。
とりあえず今日はもう寝てしまおう。 そして泣いて泣いて泣き止んだら。
そう決心すると、そのままベッドに倒れこむ。
「諦めきれないなら…あの子と同じようにすればいいのよ」
ポトリと呟いたはずのその声は自分でも驚くほどに力強かった。
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