エピローグ 現在へ。 彼のお墓に参ろう。

「早く起きろや!アル中女!」


 ベッドの上で高いびきを続ける彼女を蹴落とすと、「ミギャ!」と猫のような音を立てて散らかった部屋の床を転がっていく。


 ゴロゴロと器用に転がっていくと壁に当たってやっと止まった。 


 そしてまた、


「スピ~、スピ~」


「だから寝るんじゃねえ!」


 教育的指導で軽く頭を叩くと、やっと再稼働できたようでムックリ起きだす。


「乱暴すぎますよ~、もっと恋人っぽく起こしてくれてもいいじゃないですか~」


 返事の代わりに目やにとボサボサの寝癖の彼女の頭にタオルを放る。

 

 洗濯したてのタオルは洗剤の香りに包まれて酒精の化身のようなアルコール臭を少しだけやわらげてくれた。


「電話3回、インターフォン15回鳴らして、合鍵で入って声かけること20回、十分恋人っぽくしてやったと思うけどな」


「あっ…そんなに起きませんでした?」


 バツが悪そうな顔をする白音の顔も見ないで、脱ぎ散らかした服を洗濯機に投げ入れていく。


 そしてこの一年で幾度と無く吐いたため息をつく。


「お前が今日は大事な用があるっていうからわざわざ来てやったんだろうが、いい加減寝坊するのはやめろよな」


「ごめんなさい……怒ってます?」

 

 まるで悪戯がばれて怒られた子供のような表情で顔だけ出してこちらを伺ってくる。


 その姿に思わず萌えてしまいそうになるので、なるべくそちらを見ないようにしながら答える。


「……別にいいよ、それより早く準備しろよ…俺も一緒に来てくれってどこに行くんだ?」


「ええと…それは…ですね…」


 言いよどむ白音に訝しげながら最後に残った下着を洗濯機に入れたところでインターフォンが鳴った。


「あっ!私が出ますね!」


 ドタドタと足音を立てて玄関へと行ってしまう。 


 家主のお前が出るのは当たり前だろうと言う感想を口ずさみながら、洗剤を入れてスイッチを入れ……ようとして柔軟材を投入するのを忘れていたことを思いだして探すが見つからない。


「ったく、この間買ったばかりなんだから絶対あるはずだ…あいつどこにやったんだ?」


 周囲には無いので、仕方なく洗面台の扉を開けて覗き込む。  


 つい先日、整理したばかりのその中は乱雑に荒らされていて、それが自分の彼女がしたであろうことにため息を禁じえない。


「…なんで片付けた端からこうなっていくんだ…あいつ、わざとやってるんじゃないよな」


 愚痴めいた独り言をブツブツ呟いていると、誰かの足音が近づいて隣に立つのを感じた。


「おい、この間買った柔軟材はどこにやった?また酒と間違えて冷蔵庫にいれたとかないよな?」


「あら…そんなことがあったの、知らなかったわ」


「えぁっ!痛っ…!」


 白音ではない、聞き覚えのある声に驚いて頭を天板にぶつけてしまった。


 慌てて頭を洗面台のしたから抜いて見上げると、麻愉が俺を見下ろして立っていた。


「な、何でここに…」


 疑問の声はまるで締め上げられているような声色となった。


 そしてその答えにはもはや懐かしささえある。


「あら?私が居たらまずいの?」


「いや…まずいってわけじゃ…ってなんでここに居るんだよ」


「ついでに言うと僕も居るけどね」


 ひょこっという擬音が聞こえそうな動きで今度は和哉さんまで登場してくる。


「一体全体どういうことなんだよ!」


 思わずでかい声を出してしまったので、パタパタという音を発して白音がやってきた。


 よかったこれで芳樹さんとかが出てきたらこの場から逃げ出してしまうところだった。


「実は私が呼んだんですよね~」


「は~?なんでまたこんな…」


 奴らをと言いかけたところで口を閉じる。

  

 麻愉が不機嫌そうに俺を見ていることに気づいたからだ。 うっかり後の言葉を口にしていたらまた引っ叩かれてしまうことだろう。


 ふざけていたら怖い教師に見られていて慌てている小学生男子のみたいだなと自身のことなのに苦笑が出てきそうになってしまう。


 和哉さんはそんな俺を見てニコニコと(実際はニヤニヤ)としている。


 ちっ、麻愉はともかくなんでこの人まで……。


「おっ…なんでこいつが居るんだって顔してるね…僕も出来れば会いたくは無かったんだけど、まあこの人が着いてこいってしつこくてね」


「そ、そんなこと言ってないでしょ!た、ただ…あれっきりだったから、そろそろほとぼりもさめたことだし、その後どうなったかを説明しに来ただけなんだからね」


 あれっきり。 すぐに合点がいった。 俺が緑遊会を辞めた日の事だ。 


 そして芳樹さん達と最後に会った日でもある。


 あのクレイシーな夜に会を抜けてから芳樹さん達とは一度も会っていない。


 つい先日に久しぶりに出会うまでは麻愉ともあの日から連絡すらしていなかった。

 

 麻愉はしばらくは緑遊会に居たらしいが自身の進級や就職活動に入るために会を辞めたらしいということは風の噂では聞いていた。


 ちなみに白音も俺が辞めた日から数週間後に俺の説得で会を辞めている。


「かつての仲間が集まって一体俺に何の用なんだよ。もう緑遊会に戻る気は無いからな」


「緑遊会なんてとっくの昔に無くなったわよ」


「えっ?そうなのか?」


 意外な報告に声を上げたが、驚いているのは俺だけのようだ。 


「らしいね、洋子さんや明さんが大学を卒業する直前に解散したらしいよ」


 和哉さんが補足するように口を挟む。


「そうなのか…うん?ちょっと待て白音はなんで驚いてないんだ?」


「あっ?私、お腹の調子が悪くなったのでちょっとトイレ行ってきますね!ああ痛い痛い」


 腹が痛いと言うわりには機敏な動きでトイレへと逃げ込んでしまう。


「あいつ…知ってたな」


「まあ、あの子自身はあれからもちょくちょく私達と会ってたからね、それでも知ったのは少し前よ」


「なんだよ、それ」


 今までのことを全て謝ってお互いに納得してたと思ったのに…。


「ほら、拗ねないの。別に緑遊会の会合に行ってたわけじゃなくて、私と個人的に会ってただけよ……色々と話は聞いてるわ」


 その意味深な物言いに今度は俺のほうが腹が痛くなる。 正確には胃の辺りだが。


「普通に会話してただけよ、女友達同志がたわいも無い愚痴や自慢をする…いわゆる女子会ってやつ?」


「女子会ね~…」


 それはお互いに煙を吸って吐いたりするような女子会じゃねえだろうな。


「ごく稀にね…」


 悪ぶれない麻愉の態度に、落胆のため息をつく。


「結局、俺が悪いってことか」


 不健全な遊び。 それ自体を教え込んだのは自分自身なので彼女を責める気にはなれない。 


 ただただ少しズシリと来る罪悪感が重いだけだ。


「とは言っても最近はもっぱら酒だけどね、あの子本当に大丈夫なの、ちょっと飲み過ぎってほどじゃないレベルなんだけど」


「それについては俺も手を焼いてる」


「まあ、それも含めてあなたが悪いんだけどね」


 すまし顔で言われてしまってはもはや何も言えない。


「くっ…なんなんだよ、今日は皆で俺の糾弾会かよ」


「あら違うわよ、それはいずれね。第一、そんな楽しいイベントなんて酒無しじゃ楽しめないもの」


 いずれはやるつもりかよ。 本当昔から変わってないな、この女。


「彼氏としてなにか助けとかは無いんですか?」


「えっ?無いよ…だって君が悪いんだもん」


 予想通りきっぱり言い切られてしまった。 まあ…確かに…そりゃそうだけどさ。


「くだらない話はそこまでにして、そろそろ行くとしましょう…白音、いい加減出てきなさいよ」


 その言葉を受けてカチャリと鍵を開ける音が聞こえ、ゆっくりと白音が顔を出す。


「……その…ごめんなさい」


 この女がこんな風になったのは俺だと言われていたので白音を怒るわけにもいかない。 


「いいよ…もう辞めておけよ、あと酒も辞め…じゃなくて週末だけにしてくれ」


「……!はい、わかりました」


 俺が怒っていないことに気づいたのか元気良く出てくる。


 本当にわかってんのかよ。 言ってやりたいがしょうがない。 これもまた俺の罪というやつなのだから。


「それで…これからどこに行くってんだ?まさか芳樹さん達が待ってるとかいう展開じゃないよな?」


「……それは無いわね」


「ああ確かに無いね」


「……そうですね」


「……?」


 三人はシンミリとした表情を浮かべ、それ以上何も言うことはなかった。




「……嘘だろ」


 漏れた声は枯れていたかもしれない。 あるいは言葉になっていなかったかも。


 無数の石塔に囲まれたその場所に芳樹さんが居た。 


 土の中に埋められて。


 無造作に詰まれた石には銘すらない。 それは無縁仏ということだ。


「笑えるでしょう、あいつがアッサリと死んじゃったなんて」


「しかも身寄りどころかどこの誰かもわからなかったんだってさ、身分証も語ってた過去も全部でたらめ…名前だって本当だったのかさえわからないなんて…」


「やっぱりあいつらに襲われて…」


 麻愉が首を振る。 


「階段から落ちたんだって…発見したのは明さんらしいわ」


「葬式も無くてね、入れるときの同行者は明さんともう一人だけだって」


 ふと洋子さんの顔を思い浮かべた。 


 大人っぽい容姿のわりに芳樹さんと居る時は子供のように慕っていて、胸焼けするようにくっ付いていた彼女の姿が蘇る。


「洋子さんは一回もここに来てないんですって…」


 悲しそうに白音が言う。 


「えっ、それじゃ明さんの他に誰が?」


 麻愉と和哉さんが顔を見合わせる。


「さあね…少なくとも明さんと一緒にいたのは男らしいわ。明さんが彼って言ってたから」


「なんで…あんなに好きあってたのに…」


「認めたくないんでしょう。愛してる人が死んだなんてね、本当に……」


 『嫌になるほど似てるわ』 麻愉はそう言ったように見えた。 


「そ、それにしても…信じられない…あの人が死んだなんて」


 確かに死なないなんて言い切れることはできない。 誰もが明日生きている保障なんてあるはず無いのだから。


 でも…それでも、あの男が死ぬということが信じられない。


 今にもその辺から、


「アロアロー!ビックリした?ドッキリでした~」


 とか言って出てきそうなのに。


 きっとそうだったら俺は怒り出してしまうだろうが、やはり芳樹さんは出てこず。


 花が一輪、瓶に入れられただけの墓は物悲しくそこにあった。


 それはあのバカ騒ぎの中心に居た人の墓とは思えないほどに寂しげな光景に思えた。





 ガタン。 ガタン。 ガタン。 ガタン。 


 揺れる電車の座席で俺と白音は無言だった。


 麻愉達はこれから用事があると行って墓の前で別れた。


「また後でね」


 そう行った麻愉の瞳は悲しげだった。


 なんとも不思議な気分だ。 


 俺はあの人のことが決して好きではなかった。 けれど嫌いというわけでもなかった。 かといってどうでもいい人とも思っていない。


 いま自分が悲しいのかどうかさえわからない。 


 イライラさせられた言動に行動。 それでもいま思い返してみると懐かしき良い思い出にも思える。


 ふと隣の白音を見る。


 彼女も俺と同じように少し俯きながら複雑な表情をしているようにみえた。


 気持ちを切り替えるように彼女の手を握る。


「どうしたんですか?」


 その声は優しくて、心にジンワリと染み込んで、心地よささえ感じる。


 ああやはり俺は白音のことが好きなんだと改めて思い知らされた。


 だってそんな一言でこんなに心を動かされるわけが無いじゃないか。


「お前は死ぬなよ」


 芳樹さんのことを考えるのはやめた。 もはやあの人は戻ってこない。 一つの思い出にすることにしたのだ。 


 だが死にそうに無い人間が死んだ。 その出来事でふと想像してしまったのだ。


 このどうしようもなくおバカで自堕落ででも俺がそう変えてしまった愛しい人がそうなったときのことを。


 白音は一瞬だけ目を丸くした後に、ニッコリと微笑んで頭を俺の肩に乗せてまた優しく言ってくれた。


「ええ…死にませんよ、友和さんと一緒にいるまでは…だから貴方も死なないでね、そうなったら…多分、私生きていけないんですから」


「ああ…わかったよ」


 電車は変わらず揺れている。 心地よく揺れながら。 俺達を乗せて。


 この先、俺達がどうなるかはわからない。

 

 だがせめて関係に終わりが来るとしてもあのような形で終了しないことを祈る。


 いや、そんな最後は迎える気は無い。 改めて心に誓う。 白音と別れない事を・

 

 これが愛情なのか罪悪感なのかもはやどうでもいい。 ただただ愛しいこいつといつまでも一緒に居たい。


 そう…俺には彼女と別れられない理由が出来たのだから。


 


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