交渉決裂、プランAへ。

 連中が指定した場所は町外れにある山だった。正確に言えばその山の中にある工場だった場所だ。


 有限会社 光来 と古ぼけた門にかけられた看板はボルトが半分取れて夜風に揺れていて、すっかりとさび付いている。

 

 今にも落ちてきそうだ。 いったいどれくらい放置されていたんだろうか?  

 

 そしてこの工場跡もあのBARと同じで合法的に手に入れたのだろうか? 

  

 そんな疑問も考えている余裕もなくすでに開かれていた入り口をゆっくりと俺たちを乗せた車は進んでいく。


 少し進むと赤茶色に錆びたかつては作業場であっただろう建物が見えてきた。


「待ち合わせはあそこだな」


 大きく開け放たれた扉を通り抜け中に車を滑り込ませる。


 建物の中はかつては様々な機械が置かれていたのだろうが借金の形に持っていかれたのだろう。 


 何もなく空洞だった。

 

 電気は来ているようだが、電灯類もほぼ外されていて僅かに残った光源で建物の中は薄暗い。


 その最奥にはかつては何か巨大な何かを置いてあったのか人の背丈くらいの窪みがあり、離れたところからでもわかるほどにさび付いた階段が備え付けられている。


 そしてそこに十人くらいの人影が見えた。 


 一人が階段を上って進み出てくる。 


 背は高く、俺や芳樹さんよりも頭一つくらいおおきい。 坊主頭に耳や唇にジャラジャラと怪しく光るピアスをしていて目はでかく、妙にギラギラとした瞳をしていた。

  

 見ただけでヤバイ人種だとわかった。 できれば一生出会いたくないと素直に思える風貌をした男は唇を少し上げて声をかけてきた。


「遅いじゃねえか…時間厳守はビジネスの基本だぞ」


「お前らの指定した先が遠すぎるんだよ、俺が女でこれがデートだったら絶対に出てこない場所だぞ」


「静かな場所がいいこともある…こういうときはな、アレはちゃんと持ってきたのか?」


 言葉を聞いて芳樹さんと明さんがお互いに頷くと、明さんが車の中から箱を取り出してきた。


「随分と大事にもってきたな、商品管理は良さそうだ」


 冗談を飛ばす男に周りにいた奴が笑い出す。 なんて下品な笑い方だ。 それなりのパーティでやれば周囲から大顰蹙をかうだろう。


「ほれ、こちらはちゃんと料金持ってきたんだから商品を出してくれねえかな」


 ふんと鼻を鳴らしたリーダー格の男が合図すると建物の天井近くに取り付けられた、おそらくはかつての休憩所だったであろう古屋の扉が開きそこから洋子さんたちが奴らの仲間と一緒に連れられてきた。

 

 驚いたことに先頭に立っていたのはあの使われていないBARで会った痩せぎすの男だった。 

 

 確か名前は修二だっただろうか?


「お~!マイハニー、会いたかったぜ、こいつらにひどいことされてなかったか?早く帰って一緒にチュッチュしようや」


「私は大丈夫だから!」


 意外に元気そうで少しほっとする。 気のせいか明さんも胸をなでおろしているように見える。


 少し遅れて白音も連れてこられた。 彼女も無事なようだ。  


 よかった…。 そこでやっと本当にほっとすることが出来た。 俺の後ろにいた麻愉も安心したように大きく息を吐くのを感じた。


「それじゃ交換といこうか…やり方はどうする? 映画みたいに同時に放り投げるかい?」


 いつもと変わらない芳樹さんに向こうもあっけに取られたのか一瞬だけ沈黙が走る。 


「いや、まずはその箱の中身を確認してからだな、それと…」


 男が合図すると入り口の扉が閉められる。 いつの間にか俺たちの後ろには二人の男がいてニヤニヤした顔で扉の前に立つ。


「全部確認するまではそこは開かずの扉だ」


「信用ないのね…悲しいわ~」


 勝ち誇ったように笑う奴らなど気にせずに芳樹さんはおどけた様子で腕を頭の後ろで組んでクルリと回る。  


 その余裕が鼻につくのか、頭上の男の一人が何か言おうとするが、


「やめろ、いちいち相手にするな」


 痩せぎすの男。 修二が冷静にそれを止めると、すぐに大人しくなった。


 どうやら見た目とは違い、グループの中では地位は高いようだ。 


「確かに修二の言うとおりだ。これから俺たちの大事な金づるになるんだからな」


 金づるという言葉に思わず眉をしかめてしまう。

 

 金づる? 冗談じゃない。 こんな奴らとなんか関わり合いになんかなる気などないのだ。 


 たとえ芳樹さん達がこいつらとつるむことになろうがそんなことは関係ない。  

 

 さっさとこの場を去って緑遊会も止めて真っ当に生きようと決めたんだ。 白音と一緒に。 


「金づるって言い方はよろしくないね、僕の大事な子供達を渡すんだから言い方には気をつけてもらいたい」

 

 明さんも普段の穏和な態度ではなく、どこか刺々しい。 


 しかしその態度も奴らにとっては愉快に思えたようで、まるで小さな幼児が言っているかのように鼻で笑い上げる。


「おいおい口の利き方には気をつけろよ、眼鏡君よ。お前達のボスになる男の前だぞ?安心しなちゃんと分け前もたんまりくれてやるさ」


「はいはい、生臭いお話は後日にして、さっさといとしのマイハニーとついでにこいつの彼女を返してくれよん」


 そう言うと『ミドリ』の入った箱を奴らの下へと滑らせる。


 一人が近づいて箱を開け、慎重に中味を取り出すと鉢植えに入った『ミドリ』が姿を見せた。


 青々とした姿は薄暗い建物内でもはっきり見え、その芳しい香りも僅かながらも感じ取るとことが出来る。


「ちゃんと加工済みのもビニールに入れて一緒に入れてある、試食もたっぷり出来るぜ」


 芳樹さんの言葉通り、黄土色に乾燥させたそれはギッチリとビニール袋に詰め込まれていて、袋の口を開けた男が中味を確認する。


 そしてコクリと大きく頷くのが見れた。


「よし、取引は成功だ。女は返してやる…といいたいところなんだがな」


 もう一度リーダー格が合図すると洋子さんたちは扉の奥に強引に引っ張られて消えた。


「……これはどういうことだ?」


 初めて芳樹さんの声色が威圧的なものに変わる。 後ろにいるだけなのに怒っていることがわかり、それに晒されていないはずの俺でさえ震えが走る。


 しかし件の男達はそのようなことに慣れているようで、作った落とし穴に他人がはまり込んできたのを心底嬉しそうな顔で、


「これだけもらってもしょうがねえんだ、何しろ俺たちにはこのブツを育てることができねえ」


「…必要な量を言ってくれればこちらから渡す」


「おいおい眼鏡君、それじゃ足りねえな…ビジネスにするにはまだまだ量が足りねえ、お前らから買ってたら儲けが少なくなっちまう…そこでだ、お前らには俺たちの為に農奴になってもらう……個人の零細でやるんじゃなくて人を増やして」


「…………」


 無言が広がる。 芳樹さんも男達も互いににらみ合いを続けてまるで時間が止まっているかのようだ。


 けれど俺の視線は男達には向かない。 


 交渉が暗礁に乗り上げてからずっと俺はただ一点だけを見つめていた。 そしてそれはすでに発せられていた。


 言葉ではなく、背中に回された芳樹さんの手が一度握り締めて開いたのを確認したときに。


 それを確認してすぐに明さん、麻愉にも目配せをしていた。 


 すでに準備は完了している。 それを知らせるために一言声をかける。


 俺たちのクソったれでいい加減だけど頼りになるリーダーに。

 

「芳樹さん」

 

 沈黙を破ったのは芳樹さんだった。 広い空洞と化した建物の中にクワンと響くような決して大きくは無いけれど十分に俺たちには聞こえる声で、


「交渉は決裂だな…おら!プランA始めるぞ!」


 場の緊張感が破裂した。 殺意というか悪意のようなものが男達から発せられる。


 すでに覚悟を決めていた俺達にとってはそれこそが待ちかねていた合図だった。


 こちらに向かおうとした男達が一瞬だけ止まった。 


 それは不足した光量の空間でもはっきり見て取れたのだろう。


 複数の瓶がこちらからあちらに向かって投げられたのをみたからだ。


 瓶はクルクルとゆっくり回って男達の足元に転がる。


 追い詰められた獲物が苦し紛れに投げた微かな一撃。 そうとしか取れなかったのだろう。 男達が嘲笑するように大きく笑った。 


 しかしその瞬間、男達のあざ笑う声は悲鳴と成り代わった。


 彼らの足元にあった瓶が爆発したのだ。   


 パンという音と同時に破裂した瓶の欠片が男達に突き刺さり、誰かが苦悶の声を上げた。


 それに怯まずに俺たちは再度二本、三本と瓶を投擲する。


 それら全てが転がって数秒後に例外なく爆発して男達の身体に破片を弾丸のように食い込ませていく。


 瓶の中身はただの水だ。 その中にスーパーで手に入れたドライアイスを投げる直前に積めてビンのふたを閉める。


 水によって急激に気体化したドライアイスは必然的に入れ物の剛耐性を凌駕し、それに耐え切れなくなった瓶は圧力によって爆散する。


 その威力はペットボトルの入れ物でさえコンクリートのブロックをも破壊するほどの威力を持つ。


 即席の手榴弾だ。 下手をすれば大怪我それどころか死人さえ出るほどの危険物だが、最初にその話を芳樹さんから聞いたときは多少なりとも逡巡した。


 しかし俺は怒っていた。 怒り狂っていた。 たかが『ミドリ』一つのことで、金の為に、女性を拉致して脅迫し、なおかつその約束さえ反故にするあいつらにはもはや何の躊躇もなかった。


 仮に大きな罪を犯そうとも白音を守るためならしょうがないとさえ思った。


「瓶の蓋を閉めたらすぐに投げろよ、自爆したら痛えぞ」


 その威力を目の当たりにして、自爆したら痛いぞだけで済ましてしまリーダーに対するあきれにも諦めにも似た笑いがこみ上げてくる。


「てめえら~!…ぶぐわっ!」


 入り口の扉を閉めていた男の一人が殴ろうとしてきたが、すぐに芳樹さんのパンチで扉にぶっ飛んでズルズルと崩れていく。


「て、てめえ…あぐっ!」


 返す刀で隣にいた男も芳樹さんの渾身のハイキックが側頭部にヒットして昏倒する。 


 芳樹さんはそのまま風のように横を通り、重そうな扉を一人で開くと、運転席の扉をあけ、


「よし!お前らはこのまま車に乗って逃げろ!明~、運転しろ!」


「わかった!」


 手元のドライアイス爆弾を投げ終わった明さんが車に乗り込む。


「ちょっ、ちょっと待ってまだ白音が…洋子さんも…」


「助けてから後を追う、お前らは早く逃げな…ここからは大人の時間だぜ」

  

「い、いや…そんな置いていけるはずが…って痛っ!」


「いいから早く乗りなさい!ここから早く離れるの!」


 なおも食い下がろうとする俺を麻愉が髪の毛を掴んで強引に後部座席に乗せる。


 普段の冷静ぶった顔とは大違いで真剣そのものでむしろ鬼気迫るような表情だった。


 それに気圧されて何もいえないでいると、そまま抑え付けるように覆いかぶさると、


「明さん!」


「わかった! 芳樹!ちゃんと二人で戻ってきてくれよ!」


「お~!帰ったら愛しの『ミドリ』ちゃんで乾杯だな」


 こんな状況でもいつもどおりの芳樹さんに一瞬だけあっけに取られた後に明さんは、


「ああ、最近出来た最高のフレーバーを用意して待ってるよ」


 アクセルを踏み込んだ車はギャリギャリとした音を発して後退し、猛スピードでその場に黒いタイヤ跡を残しその場を走り去った。


「ま、待て…まだ白音が…」


「いいから!大人しくしてなさい!」

 

 その華奢な身体のどこにそんな力があるのか、しがみつくように噛み付くように執念めいたその力に抵抗するというか押し返すことができない。

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