女の連帯感

 十分に頭を冷やして部屋に戻ると、宴はすっかりと盛り上がっていてあちらこちらで『会員達』が楽しくソファや床に寝そべっていた。


 モワリとした空気はまどろむような何かと混ざり合っている。 それだけで『酔ってしまう』ほどだ。


「おかえり、気分転換は出来た?」


 奥にある三人掛けのソファに座っている麻輸の隣に座る。 逆隣にはいつかのようにすっかりと酔いつぶれた白音が彼女に膝枕をして横たわっている。


 幸せそうに目をつぶっているところを見ると悪い方向に飛んではいないようだ。


「タイミング悪いわね、さっきまでは起きてたのよ。でもまあ他の奴らに声を掛けられてて困ってたようだからずっと私が見張ってるはめになったけどね」


 やや棘のある言い方をしていても膝の上の白音の髪を撫でる仕草は優しい。


 そういえば意外に面倒見が良い人間だったのだ彼女は。 そして見た目よりも優しいところも。


「悪かったな…あとは俺が見てるから、席を離れててもいいよ」


 気を使った一言はどうやらはずれだったようで、ジロリと怖い目線をこちらに向けてくる。


「……疲れたわ、このままでいい。ちょっと肩を貸してくれる?私もこの子みたいにしたいのよ」


「ああ、いいよ」


 返事をする前に麻輸は頭を肩に傾ける。 部屋に充満した濃厚なミドリの匂いが彼女の髪から香るシャンプーの香りで浄化されるように思えた。 


「……どうするの?これから」


 その答えはまだ得られない。 返事の変わりに彼女の腰に手を回して引き寄せ、手のひらは白音の頭に置く。 その上から麻輸が自身の手を重ね合わせた。


「そう……そうよね、そう簡単には…ね」


 まどろむような一言を漏らし、彼女はそのまま体重を預けながら黙りこむ。


 俺も同じように黙っていた。


 笑声と鼻を刺激するミドリに塗れて俺達は寝ているかのように目を瞑り続けた。




 会合が終わったのは朝方で、それぞれが帰路の途に着くのをぼうっと俺は黙ってみている

  

 そしてその一人一人に芳樹さんたちが出口で声を掛けて送り出している。 


 明るく朗らかに、そして相手によっては下卑たジョークを飛ばしながら。


 なんだかんだタフだな。 


 たっぷりとまるで燻されるかのようなミドリの香りによって霞がかった頭で素直に感心した。


 あの人にもなにか悩みがあるのだろうか? 毎日好きなことをして生きているようにみえた人が昨夜漏らした一言をふと思い出す。


 いつか終わりが来るとしても。

 

 永遠に終わらないように見えるあの馬鹿騒ぎ。 それを主催している本人がそんなことを言い出したことがぼやけた思考の中でグルグルと回っている。


「へいへ~いお嬢さんたち、パーティーは終了だぜ」


 やがて最後の一人を送り出した芳樹さんがいまだソファに倒れこんでいる俺達の前にポーズ付きで立つ。 


「む~、わかってるわよ」


 ノソリと置きだした麻輸は寝ぼけてるのかミドリぼけなのか普段のキリっとした姿とは違う様子で返事する。


「おやおや昨夜はお楽しみのようでしたね~、明君、ボケボケなお嬢さんに水を持ってきてあげなさ~い」


 相変わらずの人を食ったような飄々とした言い草。 


 あれだけ騒いで吸っていたというのに。 まるでシラフのようなその姿にもはや言葉も出ない。


「はい、帰るのは起き上がれるようになってからでいいからね」


 明さんが持ってきた水は全部で三つあった。 


 有り難い。 俺も久し振りの会合と色々で起き上がるのがまだ億劫だったのだ。


 一つをテーブルの上に置き、俺と麻輸でコップに入った水を飲み干すと冷たすぎない程に冷えた水は口内から喉へそして胃へと優しく流れていく。


 乾きに乾ききった大地に染み渡っていくようだ。 それによって動かすのも大変だった身体もぼやけていた頭蓋もクリアに治っていく。


 心象風景は砂漠からオアシスへと変化している。


「まだ少しミドリが残ってるのかな?もう少し休んでいくといいよ」


 そういってまたキッチンへと戻ると水のお代わりを持ってくる。 今度は水差しに入れて。


「う~ん、もう朝ですか~」


 そこまで来たところで白音も瞼を重たげに擦りながら顔を上げた。 頬にはずっと寝ていたせいか跡がついている。


「そうよ、早くそのお水を飲んで身だしなみを整えてきなさいよ、好きな男にみせる状態じゃないわよ」


「うえっ!ほ、本当ですか…ちょっとトイレに行ってきます」


「その前に水を飲んでいきなさいよ」


 慌てて立ち上がろうとする白音の手を握って水を飲ませる。

 

 コクコクと飲み干したあとでややふらつく足取りでトイレへと駆け込む彼女を見た後に、


「私も行ってくるわ」

 

「大分打ち解けたみたいだね」


 明さんが少し嬉しそうに彼女に声をかけた。 


「ええ、今も嫌いですけどね。色々話して前よりはマシになった…それだけです。    


「一体何を話したんだ~、芳樹君にも教えてくれんかね?」


 からかう気満々の芳樹さんを一瞥して、


「秘密よ。女同士のね」


 そういって麻由もトイレへと消えていった。 俺の顔を意味深げに見ながら。


「ありゃ大変だな~、モテ男さんよ」


「…………………」


 あっさりと避わされたことで俺に話を向けてきた芳樹さんには何も返さない。


 というよりあの後に何があったのかを考え込んでいてそれに気づかなかったのが正解だった。




 ニヤニヤと笑う芳樹さんと同情するように俺を見る明さんに見送られてから駅までは誰も口を開かなかった。


 ただその態度は対照的だった。


 俺は昨夜からずっと愚考しているこれからのことを思って俯いている。


 麻輸はトイレで多少なりとも乱れていた化粧や服装を整え、いつものようにまっすぐ背筋を伸ばしてキビキビと歩いている。


 白音はまだミドリが抜け切れていないのか、それとも寝不足でハイテンションなのか朝焼けに染まった夜明けの歩道を楽しそうに進んでいる。


 駅について電車に乗り込んでもそれは変わらない。


 幸い出勤ラッシュが始まるまでには少し間があるので三人とも座ることが出来た。


 俺を真ん中に右隣に白音、左隣に麻輸が疲れたように同時にため息をつく。


「それではじめての会合はどうだったの?」


 麻輸が口を開いた。 その質問の相手はまるで遊園地に始めて行った子供のように、


「すごく楽しかったです!正直ク、クラブ?よりも騒がしすぎなくて…それにあれも良かったですし」


「そう…良かったわね。連れて来た甲斐があったわね友和?」


「あ、ああ…そうだな。うん…楽しめたならよかったよ」


 緑友会との関係を考えている俺には複雑な答えだったが、そう返すしかなかった。


「はい!また連れて行ってくださいね!」


「ええ、いいわよ。」


「そ、そうだな」


 満面の笑みの白音の顔を見ながら複雑な胸中を隠しながらも作り笑顔で返す。


 微妙な雰囲気になりかけたところで、


「それじゃ私、ここで降りるわ。さすがに今日は疲れたから家に帰って一人でよく寝るわ、二人は今日は大学?」


「お、俺も今日は必修講義無いから帰って寝るよ、白音は?」


「私は午前に取らないといけない講義があるんで一度帰ってから大学に行きます」


「そう、それじゃまた後でメールするわ」


寝不足を感じさせないような軽やかな足取りで麻輸は電車を降りていく。 そして少しの間を置いて扉は閉じ、ゆっくりと電車は走り出した。


「本当に楽しかったのか?」


「はい!とっても!」


 間髪入れない返事は普通ならば痛快なんだろうが、俺はどこか正しい位置を外したような答えに思えた。


「友和さんはどうだったんですか?」


「えっ?ま、まあまあ…かな」


 唐突な質問にドギマギする。 いったい俺は何がしたいんだろうか?


 隣の彼女は座席から足を伸ばし、それこそ幼児のようにパタパタと振っている。


「考えすぎなくていいんですよ」


「えっ?」


 彼女がポツリと発したその声はひどく大人びていた。 だが自身を見た俺にくれたニコリとした顔はとても純粋で、


「私が楽しかったから良かった。それでいいじゃないですか」


「……そうだな、それでいいんだよな」


 罪悪感を氷解させるようなその言葉に、納得の言葉を口ずさみながらもなんだかわからない引っ掛かりを感じながら肯定した。

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