煮え切らない自分と麻由の気遣い
「い、いつの間に仲良くなったんだ?」
向かう道すがら、隙を見て麻輸に耳打ちする。
「昨日、色々と…あなたの望みどおりにね、文句無いでしょう」
「ま、まあな…」
いつも以上な不機嫌なものいいにそう返すことしか出来なかった。
「それにしても凄い人の数ですよね~、私達が住んでたところなんてこの時間にやってるお店なんてコンビニくらいしか無かったですよ」
白音は白音でやたら上機嫌だ。 ちょこまかと歩き回っては未だ営業している店を覗き込んでいる。
危なっかしく動き回りながらも他の人とぶつかることは無い。 立ち止まる際も通行人の流れを予測して立ち回っている。
ずいぶんと慣れたもんだ。
上京したての頃はやたら人とぶつかっては謝っていたというのに…。 かくいう俺も同じようなもんだったのを思い出した。
東京という街は俺達の故郷とは比べようも無いほどに人が多い。 ゆえにそこに住むものは意識的なのか無意識かはわからないが、行く方向で歩き分けている。
ここで言うなら俺達の向かう先は左側を歩き、反対側に向かう人間は右側を歩く。
まるで最初から知っていたかのようにそうなっている。
この街の人間は本当にせわしない。
向かう方角によって歩く場所は変わるというのにぶつかりそうになっても立ち止まらない。
だから田舎から来たばかりの人間はすぐにわかるのだ。
ほら、いま目の前で俺達と向かい合ってしまった男性もそうだ。
ペコリと頭を下げて身体を避けようとするが、後ろから来た人間にぶつかってまた謝っている。
戸惑うようにさ迷うように彼は駅の方向へとフラフラと帰っていく。
懐かしいと思うと同時に寂しい気持ちもわいてくる光景だ。
人間は立ち止まることは無い。 ただその方向が間違っているか正しいのかというだけだ。
哲学の講義で教授が朗読した言葉を思い出す。 そしてその後に続く言葉も。
そしてそれがわかるのは遥か未来のことなのだ。 それは数年先かもしくは生を終えるときか。 誰にもわからない。
はたして俺は間違っていたんだろうか? それとも正しかったのだろうか?
踊るように駆け回る白音を見ながら、出るはずの無い無意味な問いかけは空しく霧散していった。
「いよ~~!待ちくたびれちまったぜ」
やってきた俺達を芳樹さんは歓迎してくれた。 俺に至っては強く抱きしめてくれやがった。
ウエ~。 という精一杯の嫌だという感情を顔面で表現してみたが、そんなことをこの男が理解してくれるはずも無い。
まるで十年来の親友のような態度で俺達を自分達の席へと案内してくれた。
「きょ、今日はお招きいただいてありがとうございました」
場違いに礼儀正しい白音の挨拶も最大限の喜びで聞き流し、ドカリと椅子に座り、『お前らも座れYO』と促してくれた。
「なんだなんだ?麻輸ちゃんと白音ちゃんが一緒に来るとは思ってなかったな、二人はすっかり親友かそれとも姉妹になったのかにゃ~?」
相変わらずのハイテンションで座って開口一番ジャブを飛ばしてくる。
「ええ…昨日いっぱいお話したんで」
「まあね、姉妹にはなっていないけどね」
対照的な反応だが、いつもどおりといえばいつもどおりだ。 俺は平常通りではないが…。
「何にしても仲良くなったのはいいことだよね、はい…これ、芳樹が言ってたやつだけどよかったら試してみてよ、近年では一番の出来だからさ」
かき回された空気を戻すように明さんがワインのキャッチフレーズみたいなことを言って俺達に『ミドリ』を進めてくる。
「は、はい…と、とりあえず…あとで試しますね」
遠慮しているのだろうか、白音は身を縮ませて俺の方をチラリと見てきた。
「それじゃ私が頂くわ、火はついてるのね」
「ええ、私がさっき試したの、なんだったら吸い口のマウスピース変える?」
ニコリとしたメガネの洋子さんがテーブルの端にあったのを渡そうとしたが、それを首を振って断り、
「芳樹さんの後で無いなら問題ないですよ、間接キスなんて冗談じゃないしね」
「ひっでえこと言ってくれるぜ!麻輸ちゃんはYO!俺の唇に触れ合えるのはこのマイスイートハニーだけなんだぜ~」
「いやん、芳樹君たら~」
恥ずかしそうにしながらもしなだりかかる洋子さんは芳樹さんとキスを交わす。
俺達の前で、というか白音の前で…。
興奮とは若干違う二人の逢瀬に顔を真っ赤にする白音を横目で見ながら、麻輸はそっと『道具』に口をつける。
燻ったオレンジの色をした火が彼女が吸い上げると同時に太陽のように円形に広がって『ミドリ』を焼いていく。
「ふ~…………なるほど、確か…に良…い……トビね、酔いつぶれそ……う」
フラフラと『道具』をテーブルにぎこちなく置くと倒れこむようにソファの背もたれに倒れていく。
切れ長の瞳が鮮やかな赤色に染まっていくのを俺達は見ていた。
「そ、それじゃ私も…」
見ていた白音が奪うように『道具』を手に持ち、思いっきり吸い上げたが、
「あれ?で、出てきませんよ~、おかしいな~」
「ああ、火が消えちゃったんだね。ちょっと待ってライターがあるから」
そう言うとポケットからライターを取り出して火をつけようとしたところで、
「明~、それは友和の仕事だ……出来るよな?もちろんさ」
「えっ?」
珍しく強い語調で俺に火をつけろと芳樹さんが命令してくる。
「出来るよな?お前は俺達の仲間で、白音ちゃんを引き込んだ人間だもんな?」
いつの間にか普段のニヤニヤ顔は消えて、真顔の芳樹さんが俺に顔を近づける。
その表変に白音もボンヤリとした麻輸も驚いているようだ。
明さんは無言で俺にライターを渡してきた。 洋子さんは無表情で、明さんも同じように俺達を見ている。
「お、俺は……」
何故だ? なんで急にこんなことを言ってくるんだ? そんなことは出来るはずがない。
俺は白音を緑友会から離れさせたい。 たとえ俺がここから追い出されることになったとしても、どんなリスクを負ったとしても。
だが同時に迷っている。
いまさら。 しがらみ。 郷愁。 尊敬できる人間。 決して小さくは無いメリット。
様々な事柄が俺の決心にまとわりついている。
この一年間はまさに緑友会だけだった。 そしてその一年は今までとこれからと同義だった。
全てが。 昔に戻ることは出来ない。 知ってしまった今では。 特に。
だからこそ…でも今だからこそ…俺は…。
「お、俺は……えっ?」
逡巡する俺から誰かがライターを奪う。 とっさに見ると、麻輸だった。
ホンワリと崩れそうな顔に力を入れて、力強い赤い目で俺を見た後、
「白音……行くわよ?」
「はい、大丈夫です」
その言葉は力強かった。 止めるまもなくカチリと着火された火は大きく竜巻のように巻き込みながら乾いた葉を崩していく。
さすがにそれには芳樹さんも驚いたようで目を丸くしている。
「ぷは~~~」
ゆうに数回分はあったであろう『ミドリ』を全滅させるほどの煙を肺の中で循環させた後、視界を覆うような大きい煙を白音は吐き出した。
それは風船のように天上へと昇り、ゆっくりと溶けていくように消えていった。
「は、ははは…ブラ~ボ~!ブラ~ボ~だぜ白音ちゃん、さすがの俺もそんだけ見事な姿見せられちゃ何もいえねえや」
顔を抑えてのけぞるように大笑いする。 俺はただただ呆気に取られている。
「はははそうだね…白音ちゃん、味はどうかな?」
「かなりのフルーティでしょ?オレンジの香りが良いよね~」
「ふぁ…ふぁい…飛んでるみひゃいでふゅ」
呂律の回っていない返事を返す。 その頃には妙な空気は霧散していた。 まるで煙のように。
最初から無かったかのように、あるいは吹き飛ばされたかのように楽しい雰囲気へと変わっていた。
「あんたもやりなさいよ、久し振りなんでしょ?」
白音ほどではないがふにゃふにゃとした喋りで麻輸が俺を促す。 白音は眠っているように麻輸の肩に頭を乗せて、なにやらむにゃむにゃ言っていた。
「あ、ああ……」
麻由の気遣いを壊さない為に、俺も煙を入れていく。
なるほど…確かに……これは……上物……だ……な。
灰色の想いは煙と結合し、まどろむような幸せに塗れて小さくなっていった。
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