ギラギラと怪しい男
薄暗い外階段から街灯を見下ろすのは何か不思議な気分だった。
不思議といえば何で俺達は階段を昇っているんだろうか?
突然現れた男に連れられて向かった先はやはり先ほど俺が歩きまわっていたビルの中にあった。
しかしビルの入り口には鍵が掛けられている。
今日は休みだったのか? しかし渡された名刺には定休日は記されていない。
突然現れた修二は施錠された扉には目もくれず、その横に設置されていた階段へと進んでいく。
何だって外階段からなんだ?
時間も時間であるので周辺には人気は無い。
カツンカツンという鉄製の階段を歩く音だけが妙に響きわたる。
「悪かったな……俺達の店は看板を出していないし、基本的に用があるとき以外は開いてないんだ」
「あ、ああ……そうなのか」
普段は営業してないということか?
「会員制バーってやつなんだな」
「………………」
気まずい雰囲気に耐え切れず努めて軽くしようとしてみたが、男は黙り込んだままだ。
クソッ、芳樹さんの空気の読めない馬鹿笑いも面倒くさいが、こういう状況で黙っていられるのも中々辛い。
「ほらっ、着いたぜ…ここだ」
階段を昇った先にあった非常扉を開けるとすぐに目的の店はあった。
『ber Thief』と書かれたネームプレートは薄汚れている。 本当にここは営業しているんだろうか?
ガチャリと古ぼけたカギを挿して錆びついた音と共に扉は開き、それと同時に埃っぽい空気と共に何か据えたような臭いが洩れてくる。
思わず口を塞ぐが、男は慣れているのか、
「ちょっと待ってろ、電気は来てるからな」
そういって奥へと進んでいく。
数秒待った後に灯りがつくと思わず「えっ?」という言葉が洩れた。
店内には何もなかった。
いや正確にはかつて使われていたであろうイスにテーブル、カウンターもある。
しかしそのどれもが淡雪のように埃が積もり、地面には錆びついたような赤茶けた染みがあるだけだ。
「本当に営業してないのか?」
「そうだよ、店の権利書をちょいとした理由で俺達が持っててな、たまにここを使ってるんだ」
修二はカウンターの横の椅子にたまった埃を口で噴いた後、それを服の裾で軽く擦ってから椅子に座った。
「それで?」
「はっ?な、何がだ?」
間抜けな返事にやや苛立った顔で、
「渡されたもんだよ、お前のところの奴から預かったもんがあるんだろ?」
その言葉にやっと意味を理解してポケットから小箱を取り出す。
「ふ~ん、この中の物がそうか、封も開けてないな」
手渡された小箱を興味なさげに覗き込んでいる。
「あ、ああ…絶対に中を見るなと言われてるからな」
「そうか…はは律儀な奴だな、お前は」
何が面白いのか初めて表情を緩めて笑う。
「あ、当たり前のことだろう」
朗らかに笑う修二の顔と意外なことを言われて赤面しながらもそう返すと、
「いやいや…意外だったんでな、俺にとってはよ。どこの世界でも真面目なやつってのは貴重な存在なんだぜ?」
「……?」
一体何を言っているんだ?
毎日怠惰に過ごし、煙を吸って世間に顔向けできないことをしている俺が真面目だって?
これはこいつなりの皮肉なんだろうか?
それとも俺の言ったことがよっぽどズレているんだろうか?
「ははは、すまねえな、別に嫌味でも馬鹿にしてるわけでもねえよ、ただ俺の周りには居ないタイプだったからさ。悪かったよ」
そういってその板切れのような身体を折り曲げて俺に頭を下げる。
「べ、別にいいけ…どさ、用事はこれで済んだから俺はもう帰るぞ。電車が来るまでどこかで時間を潰さないといけないんだ」
「ああ…わかったよ、仕事は終わった。 俺達はここでお別れだ……っとちょっと待て、電話が来た……ちっ」
携帯のディスプレイを確認したと同時に男が舌打をする。
あまり好きではない相手からだったようだ。
俺に当てはめれば芳樹さんか?
「はい…もしもし、ええ、物は頂きました。 はい、今から持っていきます…えっ?相手ですか?……いえ少し前に帰りました…………わかりました。それじゃここで待ってます」
話が進んでいるうちにどんどん顔が固くなる。
先ほどまでしなやかに曲がっていた表情筋はどんどん元に戻っていき、声を掛けてきたときと同じになった。
いやあのときよりもはるかにギラギラとした雰囲気になっている。
一体どんな内容だったんだ?
それにしても先ほど会話に出てきた相手というのはもしかして俺のことだったんだろうか?
一体この人は芳樹さんたちとどういう関係なんだろうか?
どちらにしても関わらない方がいい気がする。
「……話している途中で悪かったな」
電話を切ったときには先ほどまでは僅かにあった親しみやすさは消え去ってギラリとした目つきになっている。
「あ、ああ…そ、それじゃ俺はこれで……」
「ああ待てよ…これでタクシー呼んで帰りな」
そういうと男はおもむろにズボンの後ろポケットから財布を取り出して紙幣をこちらによこす。
「なんだよこれ?」
「手間賃だよ、悪いことは言わねえからこれを受け取ってすぐにタクシー呼んで帰りな。いいか?間違ってもマンガ喫茶とかネカフェとかには行くな?これで今すぐ家に帰れ」
「ど、どういう意味だ?」
今日始めてあった男から金を受け取ることに抵抗と不安を感じる。
しかも男が取り出した財布からチラリと見えた万札の束を見てますますそうなる。
「善意だよ、人の好意ってのは素直に貰っとくもんだ?」
有無を言わさない男の態度に気圧されて素直にそれを受け取る。
紙幣を手渡したあとに男は携帯を再度手に持ち、どこかにかける。
「すぐに近場のタクシーを呼んでやる。それに乗ったら今日のことは忘れろ、これは忠告だからな」
そういう男の顔は少しだけ先ほどの朗らかさが戻ったようだった。
いったいどうなってる?
追われるように店を追い出され、国道沿いに配車された男の呼んだタクシーに載りながらそんなことを考えた。
すでに夜中から朝方と言っても差し障り無い時間になっていて、人通りは流石に無い。
いるとしたら仕事帰りのホストと見ただけでわかるような水商売の人間だけになっていた。
俺は何を運ばされたんだ?
それも気になるが、修二と名乗った男が言った忠告というのはどういう意味なんだろうか?
そもそもあそこはなんだったんだろうか?
潰れた店であの男は誰を待つんだ?
いやいや考えてもしょうがない。
あの男にいわれたじゃないか。
忘れろと。
だがそうしようとすればするほど得体の知れない悪寒が背中を走り続けるので落ち着かない自らを誤魔化すために手渡された金を見る。
ピシリと伸ばされた一万円札。
福沢諭吉何十人分も入っていた男の正体は?
年齢は俺とさほど変わらない。
芳樹さんたちと同年代だろう。
あれも緑友会の関係者なのか?
イカン! 忘れようとしていたのに次々と浮上する疑問が頭の中で浮かぶ。
「今日はどこかで飲んできたんですか?」
「えっ?」
唐突な運転手からのことばに顔をあげる。
でっぷりと太った中年の運転手はバックミラーを見ながら問いかけてきた。
「あ、ああ…ちょっと人と会う用事があったんですよ」
当たり障り無い答えを返す。
「そうなんですか、こんな時間に若い人がタクシーを呼ぶなんて珍しいですからね」
運転手の人懐っこい語り口にホッとした。
普段ならタクシーなんて金が無いから乗らないし、あまり会話を楽しむタイプでもないのだがちょうどいい。
黙り込んでいるといつまでも堂々巡りをしてしまいそうだ。
「普段は終電逃したらネカフェとかに泊まるんですけど、今日はちょっとね」
「それはよかった。この辺はあまり治安が良くないですから賢明だと思いますよ」
男は会話に乗ってきたことが嬉しかったのか、声を弾ませる。
「そうなんですか?そこまで危ないようには見えないんですけどね」
「ああ昔はそうでもなかったんですよ、ただほら…最近はヤクザ屋さんたちも元気がないじゃないですか?それに代わって色々と厄介な連中が集まってくるようになったんですよ」
「厄介なというと酔っ払いか何かですか?」
俺の返事を冗談だと思ったのか豪快に笑いながら、
「いや~それはそれで厄介なんですけどね、違うんですよ。 ほら、なんていうんですか?チーマー?ギャング?私みたいなおじさんだといまいち区別がつかないんですが、そういった類の連中ですよ」
「はあ、そうなんですか?」
そういったいわゆるアウトロー系の若者は俺の地元でも存在していたが、せいぜいが夜中に騒音を牧散らかして走ってたりとか祭りで同じような奴らと喧嘩するくらいなんだが……。
まあいずれにしてもそういったヤンチャ系な人間はどこにだって存在する。
何がそんなにたちがわるいんだろうか?
「喧嘩や暴走行為くらいなら可愛いもんですよ、大人しくしてればさほど危険はありませんからね、ただそいつらはね相手を選ばないしやることがものすごくえげつないんです」
興に乗ったのだろうか、運転手はこちらの返事も聞かずさらに喋り続ける。
「例えばね、普通に歩いている人をいきなり車道に蹴り飛ばすんですよ、当然車に惹かれるじゃないですか、そしたら示談だなんだと因縁をつけて金を運転手から奪うんですよ。もちろん惹かれた人はまったく関係ない人間ですよ?」
「いわゆる当たり屋ってやつですか?」
「そうですね。ただ凄いのがここからで、当然運転手から金は取るじゃないですか?
そして免許証を無理やり奪って、相手が金を持ってなさそうならそのまま街金に連れていって借金させるんです。もちろん無理やりですよ?そのついでに轢かれた人からも金を取っていくんですよ」
「は、はあ…」
「当然、相手は嫌がるじゃないですか?でも逆らっちゃいけないんですよ、そんなことをしたら連れてかれて行方不明になるんです」
「そ、それって完全に拉致じゃないですか」
「そう思うでしょ? でもね警察ってのは目撃者が居ても犯人がその場にいなければ動かないんですよ、まっ、あとは某政治家の息子がメンバーにいるからって噂もありますけどね」
何か引きつったような笑いをする運転手の言葉に俺は食傷気味になってきた。
「それでね……って、危ねっ!」
「えっ?うわっ!」
俺のドン引きに気づかないでさらに話を続けようとした瞬間に車が大きく左に大きく傾き、同時に右横をタイヤに悲鳴をあげさせながら白いワンボックスが猛スピードで走り抜けていった。
タクシーは歩道に乗り上げながらもかろうじて電柱の直前で止まっている。
「あ、危ないだろうが!」
罵倒の言葉を置いてけぼりにしてワンボックスはすでにはるか後方に走り去っている。
「お客さん、やめてください!アレですよ、さっき話してた連中ってのは」
運転手はやや青い顔をし、冷や汗を垂らしながら俺を嗜める。
「ぶつからなくて良かった~、これだからここに来るのは嫌だったんだ」
ゆっくりとギアをバックに入れ、体勢を整えてタクシーは公道を走りはじめる。
その後の数十分間、俺も運転手も街も静かになっていった。
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