秘密で怪しい依頼。

「よお、よく来たな! 待ってたぞ」


 指定された待ち合わせ場所は繁華街の近くだった。 しかしさきほどの言葉と矛盾するように繁盛も華やかでもなかった。


 賑わった駅前通りから二本も道を離れれば通りを練り歩く人は皆無となる。


 その通りにあるビルとビルの間、連絡通路のように狭い道の真ん中に芳樹さんと明さんが立っていた。


「いきなりでごめんね、道には迷わなかったかい?」


「い、いえ…」


「問題ねえよな~?もう東京に住んで一年以上立つんだもんな!」


「…そうですね、それで依頼ってなんですか?」


 確かにそう答えようとは思ったが、先に言われるとなんだか腹が立つな。 

 

 内心の苛立ちを若干だが顔に出しながら、依頼の内容を尋ねる。


 前に麻由に言われたからじゃないが、やはり芳樹さん達を完全に信用するのはいくらなんでもお人良し過ぎた。


 いまだ依頼の内容を確認してはいないが、あまりにも胡散臭いようだったら断ってしまおう。 


 芳樹さん達も依頼を聞いてから断ってくれても構わないと言っていたのだから何も問題は無いはずだ。


 若干の罪悪感は残るだろうが。


「なあに依頼は簡単よ、ちょいとこの店に顔を出してくれればいいのさ」


 そう言って渡された名刺を覗き込むと『ber Thief』と印刷されていて、その横には影絵風にナイフを持った男が描かれている。

   

「……この店に行って何をすればいいんですか?」


 依頼の真意を理解できず、もう一度問いかける。


「聞いた通りだ、そこに行ったら緑遊会から来たといえばいい。その後にそこのマスターにこれを渡してくれ。そこで仕事は終了だが、何ならそこで女の一人や二人お持ち帰りしてもいいんだぜ?」


 懐から四角い小箱を取り出し、こちらに見せた。


 プレゼント用の装飾なんだろうか?


 赤いリボンで縛られたその箱の上面にはハート型の絵が描かれている。


「……それだけですか?」


 芳樹さんを無視して明さんに再度確認をする。 いい加減彼の下卑た冗談に付き合うのも限界だ。 


 なので早いとこ貸しを返してスッキリしたい。


 しかしあまりにも簡単すぎる依頼にかえって不信感が沸いてくる。


 余計な但し書きが着いてこないか慎重に返事を返したが、


「そうビビんなよ、いくら麻由ちゃんになんか言われたからってよ…頼みごとはしごく簡単、店のマスターに誰からの紹介って聞かれたら駒形芳樹からの紹介って言えばいいだけだ」


「……わかりました。これで貸しは無しですよ」


 後になって約束を覆されても嫌なので最後にもう一度確認をして芳樹さんから名刺と箱を受け取る。


 重みは感じない。 軽く振ってみても特に音もしない。 一体何が入っているのだろうか? 


 中身のことを想像していると、それが何なのか確かめてみたくなる衝動に駆られたが、


「ああ、そうそう言わなくてもわかるだろうけどさ勝手に箱を開けるなよ。それは秘密の玉手箱だ。開ければ煙が出るぞ?もっとも老人にはなりゃしないがな。ただ少し厄介なことになる」


 脅しめいたその口調にぎょっとして立ち止まる。 右手の中にある小箱を握る手の平にジットリとした汗が浮かぶ。

   

「冗談だよ。冗談。俺様ジョークって奴だ。本気にするなよ、ハハハ」


「面白くないですよ、まったく」


「芳樹がすまないね。でも箱を開けることはしないでくれというのは本当だよ?僕達も信頼して君に頼むわけだからさ……」


 すっと言葉を一度切り、


「だから決して中身を詮索しないし、見ないこと……いいね?」


 温和ないつもとは違う鋭い目線がレンズ越しに俺を射ぬく。


「え、ええ…わかりました」


 声がうわずかないように慎重に返事をして、その場を立ち去る。


 心臓は早くなって身体の中が少しうるさいくらいだ。


 隠れていた路地裏から国道に出てくると自然にホっと息が漏れた。


 普段よりも早くなった脈拍を落ち着かせるためにユックリと無心に歩を進めようとするが、どうしても頼まれた依頼と小箱、そして明さんたちのことを考えてしまう。


 わざわざ俺を使った理由はなんだろうか?

 

 この小箱の中身は?


 そして何より二人の脅迫めいた忠告の意味は? 


 その忠告が芳樹さんだけだったなら自分は言葉どおりに冗談だと受け取っていただろう。 

 

 ふと先ほどの明さんの顔を思い出した。


 普段の温厚そうな雰囲気を表面上には変わらず醸し出してはいてもあの目、 眼鏡越しのあの目だけは笑っていなかった。 


 口調も態度もいつもと同じ。 しかしあのゾクリと身震いするような瞳を見てしまうとこれ以上は余計な詮索は止めようと言う決意を抱かせてしまう。


 白音に麻由との問題に続き、これ以上の厄介ごとを抱え込むのはマズイ。 


 ましてやこの小箱の中身。 冗談で済まされないようなことがあるのかもしれない。


 そう思うと足元が震え、まるで自分がこの世に一人でいるような気にさえなってきた。


 大きすぎる秘密を持つということは自身の世界を小さく縮めてしまう。 檻にとじこめらるれように。


 昔に呼んだ小説の一節を思い出して、足を速める。


 とにかく早いとこ小箱を依頼された店へと持っていってしまおう。 


 時間がたてば立つほどに手のひらにスッポリと収まってしまうほどの小さな箱が俺の身体を何かのドロ沼に引きずり込もうとしている存在に思えてくる。


 『終電まではあと何時間もある夜はこれからだ~!』


 叫ぶ男達の集団を通り過ぎ、待ち合わせからやっと出会えたカップルの後ろを走りぬけ、駅の構内で包み込まれるような人々の集団に取り囲まれてもその不安は消えてくれない。


 満員電車の中でギュウギュウに囲い込まれ、隣の男がはきだす酒臭い息も逆隣の女のつけている香水の香りも何故だか薄い壁一枚隔てた世界に感じてしまう。


 こんなに充満された空間内に置いて俺は孤独だった。


 なんだか悪い方向に向かっている気がする。


 勘ぐりに近い嫌な予感。 それをベットリと張り付けた顔の男が疾走する電車の窓に反射して映りこんでいた。




 目的の店は見つからなかった。

 

 名刺に書かれた住所から検索してもいわゆる評価サイトにアクセスしても見つからない。 


 直接住所の場所に向かっても、無機質なビルに囲まれていて店どころか看板すらない。

 

 本当にあるのか? もしかして芳樹さんの質の悪い悪戯なんじゃないか?


 すでに探し始めて数時間もたっている。 もはや終電にも間に合わない。


 芳樹さんたちに連絡を取りたくても、


「アドバ~!俺様はいま楽しくオネンネ中です!用がある方は俺が起きてるときにまたかけてきてちょ、んじゃまチャオ~~!ちなみに最初の挨拶は…」


 ぶちッ! 


 ……うん、店が見つからないならしょうがないな。 今日はもう諦めよう。


 始発が出るまでマンガ喫茶で時間を潰すかな。 正直金欠気味ではあるがしょうがない。


 薄暗い路地から出てメインストリートに出てみると、さすがに歩く人々は少なくなっていた。


 それでも俺の地元ならば休日くらいの混みようだが。


 そういえば白音はどうなったんだろうか? 


 さすがにあれだけ泥酔している彼女を麻輸も放り出しはしないとは思う……あれからさらに余計怒らせるようなことをしなければ……。


 なんだか無性に心配になってきた。 時間的には流石に寝ているだろうからいまかけたらかなり機嫌が悪いことになりそうだ。


 しかしこのまま始発が来るまで胃が痛くなるような状態で過ごすのは辛い。


 仕方ない。 かけるとしよう、まだ一緒にいるのならそれでよし。 もし追い出されているのなら探しにいかないとだしな。


 そういえばあの時に麻輸が言おうとしたことは何だったんだろう? 


 彼女にしては珍しく言葉が淀んでいたが……まあいいか。  


 そんなに大事なことなら後でいいだろう。 そんなに機嫌が悪くないようなら電話で聞けばいい。

 

 携帯の連絡帳から羽田麻輸の名を選び通話を押した瞬間、


「あんたが芳樹からの使いか?」


 声を掛けられ振り返ると痩せぎすで顔色の悪い男が立っていた。

 

「……そうだけど」


 すでにプツプツとした通話音を発していた携帯を閉じ、男と向き直る。


 男は黒いシャツと細い上半身がより際立つような丈の太いジーパンをはいていた。


 その目つきは妙に鋭いがどんよりとした瞳をしている。


 それがネオンに照らされていたせいかギラギラとした雰囲気を醸し出していて思わず身構えてしまう。


「安心しな…あんたんところのボスから連絡があってな、店まで案内してくれって言われてんだ」


 そう言った男はフワリと笑ったが、その瞳だけは変化せずこちらを値踏みするようで、警戒心だけを悪戯に増していく。


「あ、あんたは…」


 俺の問いかけに男は以外に柔らかい声で


「修二って言うんだ…よろしくな」


 そう言って右手を差し出してくる。  


「あ、ああ…真田友和だ」


 思わず握り返したその手は妙にガサガサと乾いていてぎょっとしてしまうが、麻輸との毎日の中で見につけた愛想笑いをなんとか維持できた。


「それじゃ向かうか…俺たちの店によ」


 柔らかい声質とは反比例するようなパキリと硬質な声色で男は歩き出した。

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