悪夢とサリサ・4


 信じられない。


 だが、サリサは言葉がでなかった。

 ただ、うつむいて首を振るしかできなかった。

 後ろ姿のエリザに、その姿は見えていないはず。違う……と言って走りより、手を取ってこの悪夢から逃げ出さなければ……。

 そう思うのだが、砂地に足が埋まったように動けない。

 砂は、ムテの人々のなれの果て。

 かさかさに枯れたサラの手が、サリサの足を掴んで離さないように、砂が絡み付いてくる。

 必死に足を動かそうとして、サリサは砂の中に倒れた。

 まるで、砂が意志を持ってサリサを押さえ込むように、動けば動くほど砂に埋もれていくようだった。

 エリザがまったく近くならない。むしろ、遠ざかっているようにすら思う。

 耳元で声が木霊する。

 その声は、もう二度と聞きたくない切ない悲鳴――サリサは耳を塞ぎ、心で唱えた。


 ――やめろ! やめてくれ。


 エリザは、相変わらず砂の上に座り込んでいた。

 虚ろな顔をサリサのほうに一瞬だけ向け、またすぐに顔を背けた。

 手元の砂を、八の字を書くようにもてあそんでいる。 

「毎晩、夢であの女を殺したのに……朝になると、あの女は生き返ってしまう。なぜなら、サリサ様があの女に愛を誓って、癒してしまうから」

「ちが……」

 確かにサラとサリサは、体の上では繋がっている。だが、心を許した事はない。

 サリサの心は、常にエリザ一人にある。だが、否定の言葉は出てこない。

 夢の中のサラとの口づけの苦さが、サリサの夢を縛っているのだ。

「だから私、シュロ草を集めて、毎晩石臼にかけたわ。そうしたら、とても気持ちが楽になったの」

 エリザは、砂を握りしめ、ぱっと空に放った。

 砂粒はゆっくりと空を舞い、キラキラと降りてきた。

 その光の粒子は美しいともいえ、それを見つめるエリザの横顔は、なぜか微笑みにさえ見えた。

「ねえ、きれいでしょ? でも、誰も気がつかない。誰も見ようとしない。どうしてサリサ様は気がついてはくださらないの? 私の努力はまだ足りないの? どうしたら、私を認めていただけるの? どうしたら愛してもらえるの?」

 サリサはすっかり困惑していた。

 自分の気持ちをわかってもらいたいのは、サリサのほうだった。

 エリザこそ、サリサの気持ちに気がつかないふりをして、認めてはくれないではないか? 所詮、制度が結びつけただけの関係を、いつもサリサに突き付けているではないか?

 気がついてほしいのは、こちらのほうだ。

 最高神官にだって、心があると気がついてほしいのに。


「愛しています。何度言ってもわかってくれないのは、あなたのほうではありませんか!」

「私だけ愛してくれないならば、愛されていないのと同じだわ」 


 エリザの氷のような声に、サリサの心も凍り付きそうになった。

 確かに、サリサにはエリザに責められても仕方がないところがある。

 神官ゆえに許されている重婚行為――つまり巫女制度は、個々の思いを越えたところにある。そこに私情を持ち込んだのは、サリサのほうなのだから。

 シェール、ミキア、サラ。誰に対しても差のないように接してきたつもりだ。できるだけ特別視しないよう、エリザにも気を遣ってきた。

 今までの巫女姫たちとの関係を責められては、サリサには言う言葉がない。

「どんなに尽くしても報われない。サリサ様にこの苦しみはわからない」

 エリザは再び砂を握る。そして放つ。

「私は、役立たずの雑草のように、ただここにいる。シュロ草は、まるで私のよう……。サリサ様は、まったくご存知ないのだわ。この葉は細かく挽くととてもきれいなのよ。それにとても役に立つ」

 エリザの声は震えた。

 それは恐怖のためではない。むしろ、抑えきれない高揚からかも知れない。

 サリサは、すっかり忘れていた草の効能を、必死に頭の奥底から引き出していた。

「まさか……使った?」

 振り向いたエリザの顔は、まるで幸福とでもいうような満面の微笑みだった。

「だって、とても苦しかったから。辛くて死にそうだったから……。死ぬ苦しみを他の人にも味合わせてあげたかったの……」

 何の悪びれもなく、すっきりとした声。


 違う。

 エリザはそんな人ではない。


 サリサは必死にもがいた。

 とにかく、どこかを動かせば、このような金縛りは解けるはず。

 この夢は、いったい何なのだろう? 

 とてもエリザの夢ではない。

 いや、そう思う事が、既にエリザを否定しているのか?

 これも……エリザの一部なのだろうか?


 エリザはすくっと立ち上がった。

 間違いなく、サリサの愛するエリザの姿をしている。でも、どうしてもこの人がエリザだとは思えない。

 エリザがそのようなことを望むはずがない。

 だが、声ははっきりと告げた。


「それだけが、私の楽しみだったのよ」


 その言葉を聞いたとたん、サリサの心が悲鳴を上げた。

 信じていたものが、ガラガラと音を立てて崩れるような衝撃。

「そんなことはありえません! あなたは……エリザではありえません!」

 そう叫んだ瞬間だった。


 空が割れた。

 激しい音とともに落雷が落ち――

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