エリザと悪夢・6


 霊山にいるすべての者が、今、サリサの暗示下にいる。

 エリザの容態を見張っているリュシュをのぞいては。

 八角の部屋は、外からの力が働きにくい。だから、エリザの横に付き添っているリュシュには暗示がかからなかったのである。

 だが、サリサは部屋に入って拍子抜けした。

 リュシュときたら、眠っていた。

 これでは、おそらく八角の部屋にいなかったとしても、暗示はかからないだろう。眠っている者にかける暗示などないのだから。

 サリサは、ひょいとエリザを抱き上げた。

 が、その瞬間……。

「あ、痛あっ!」

 突然、リュシュの声が響いた。

 なんと、エリザの足とリュシュの足が紐で繋がられており、サリサがエリザを持ち上げた瞬間、リュシュも引っ張られてしまったのである。

 リュシュの頭は枕からずれ落ち、見事に床に打ちつけられた。

「ああああ! やっぱりサリサ様、来ましたね! 絶対に来ると思っていました!」

 リュシュは甲高い声を上げた。


 この部屋の音は外に漏れないとはいえ、小心者のサリサは焦った。慌ててエリザを再び寝かせつけると、指先を唇に当てた。

「リュシュ、見逃してください。あなただって、エリザを殺したくはないでしょう? このままですと、エリザは半年後に死んでしまいます」

「でも、下手なことしたら、今夜にも死んでしまいますよ!」

 リュシュは、足を縛っていた紐をほどきながら、ブツブツ文句を言った。

「サリサ様は、私を見くびっているんですね。あんまりです。暗示をかけようとしても、もう無理ですよ。超がつくほどの精神結界を張りましたから」

「え? そんなことは……」

 先手を打たれていた。

 思ったよりもリュシュは手強かった。そんな結界をリュシュが張れるとは思ってもいなかったのだ。サリサは焦った。

 リュシュは、ぶつけた頭をぶるぶる振った。

「我々仕え人一同は考えました。サリサ様は、エリザ様が好きだから、きっとお子よりもエリザ様を選んでしまうだろうと。つまり、ご自分をまた犠牲にしてまで、エリザ様を癒そうとしてしまうだろうと」

 困った事だが……。

 仕え人たちは、エリザの妊娠騒動の時以来、集まって相談するという、奇妙なことを覚えてしまったのだ。

「リュシュ、お願いです。信じてください。そのくらいでは、私の寿命はつきませんから……」

 サリサの懇願に、リュシュはじろりと睨んだ。

「そんな嘘、言っても駄目です!」

 確かに嘘だった。

 程度にもよるが、昏睡状態の者を呼び戻すには、かなりの力がいる。医師や癒しの者では手に負えない状態のエリザを、簡単に呼び戻せるとは思えない。

 使った力を回復させる湯たんぽなどがあればましだが、それを頼める者もいない。

「サリサ様だって、知っているではないですか! なぜ、マサ・メル様があれほど早くに去られてしまったのかを。昏睡状態のウーレン人を呼び戻そうとして、無理しすぎたからじゃないですか! 私、そんなふうにサリサ様を失いたくはないです!」

 それを言われると……。

 マサ・メルに去られて一番のとばっちりを受けたサリサとしては、厳しいものがある。

「でも、医師の者も言っていました。エリザは、こちらに戻ってきたがっていると。眠りは浅いのだと。でも、そこに至る道が怖くて、渡りきれないのです」

 必死に懇願しても、リュシュはご機嫌斜めである。

「下手に刺激して、死に至る可能性だってあるんですよ。だって、今まで癒しも医師も試してみたのに、エリザ様は発作を起こすだけだったんですよ!」

 昼間の大騒動を思い出す。

 人の声とは思えないエリザの悲鳴。そして、体中の物を吐き出してしまったのでは、と思えるほどの嘔吐。口元を拭いてあげようとした者さえ、拒絶するような激しい興奮状態。まるで獣だ。

 あれを見た者ならば、このまま安らかに眠らせてあげたいと思っても、仕方がないのかも知れない。

 この部屋には、まだ、エリザが吐いたものの嫌な臭いが残っている。

 さらに、エリザの夢を垣間見た癒しの者が、体調不良を起こしている。

「でも……。私はエリザに言ったのです。一人でできなくても二人でできればいいと。だから、一人で戻って来れないのならば、私が向こうに行くべきなのです。二人だったら、きっと戻ってこられますから……」

 リュシュは、じろり……とサリサを睨んだ。いつもと立場が逆である。

「サリサ様、本当に私を見くびっていませんか?」

「み、見くびってなんか、いませんよ!」

「じゃあ、なぜ、私がサリサ様の味方じゃないって決めつけるんですか!」

「え?」

 意地悪そうにリュシュは笑った。

「本当にサリサ様が無事に帰ってこられるのかどうか不安だったから、ちょこっと試してみただけです。もとより私、サリサ様とエリザ様の味方ですからね」



 サリサはエリザを抱きかかえ、八角の部屋を出た。リュシュがあとに続いた。

 あたりには、最高神官の暗示の力が満ちている。

「あーあ、サリサ様。下手に力がありすぎると、駄目ですね」

 リュシュが大声を上げた。

「し、静かに! 暗示が解けてしまうじゃないですか!」

 サリサが顔をしかめると、リュシュは笑った。

「私が元食事係だったことを忘れているんじゃないですか? もう暗示なんて解いても大丈夫ですよ。夕食に眠り薬を混ぜたので、あと二時間は誰も起きません」

 そこまで行動は読まれていたのである。しかも、リュシュにまで。

 どうやら、仕え人一同、最高神官のやらかすことに警戒網を張っていたのだ。リュシュは、まるでそれに従ったふりをして、実は裏切り、サリサに付いてくれたのである。

「い、意外にしたたかなんですね。リュシュって」

「だてに二百年も生きていないんですよ!」

 そこで偉そうにするところは、七つのマリと変わらないのであるが。

 だが、実際には助かった。

 力のある仕え人たちに暗示をかけ続けるのは、正直辛かったのだ。

「リュシュ、ありがとう」

「あ、言っておきますけれど、サリサ様。私の言葉を簡単に信じちゃ駄目ですよ」

「え?」

 と言われても、もう暗示を解いてしまった。

 やはり、リュシュも仕え人一同の仲間なのか? 暗示が解けた仕え人たちが、どどっと現れる予感に、サリサは焦った。

 慌ててきょろきょろするサリサに、リュシュは笑った。

「超結界のことですよ! あっと驚き、あれは嘘!」

「……」

 どっと疲れてエリザを落としそうになった。

 やはり、リュシュに生真面目な展開を期待するべきではなかった。

 しかし、おかげで精神的な緊張はほぐれた。



 最高神官の秘所。水晶台。

 霊山の力が最も強く働く場所である。

 かつて、最高神官マサ・メルは、この台座の上で仮死状態のウーレン王ギルトラント・ウーレンを癒そうとした。

 それが、マサ・メルの寿命を著しく消耗したことは、霊山の仕え人たちならば、誰もがよく知っている。だから、彼らは神経質なまでにサリサが癒しを施すことを嫌う。最高神官の身を案じるからこそ……なのだ。

 だが、サリサにとってはエリザの身こそ大事だ。子供もエリザも救いたい。

 そう、ともに守ると誓ったのだ。

 エリザを水晶台の上に横たえる。

「サリサ様、心おきなく……。サリサ様が癒しを施したと知れば、皆さん、大いに怒りますけれど、結局はちゃんと湯たんぽを用意してくれるはずです」

 そう……。

 このようにわがままな最高神官でも、彼らにとっては失われたくない存在なのだ。

「ちょっとずるいですけれどね」

 散々文句をいいながらも、結局は霊山の力にたより、仕え人たちの忠誠に頼っている自分がいる。

 必ず戻らなければ……。

 サリサはそう心に誓って、エリザと向かい合った。

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