エリザと悪夢・2
その翌日、霊山に初雪が降った。
積もるほどではないが、いよいよ冬だという気にさせる。
その雪道を、一人の女が上ってきた。かつて、このような雪の中、霊山を去っていった女である。
巫女姫であったときは、やはり引きずるほどの長い髪をしていたミキアだが、今は腰あたりで切りそろえている。あまりに長い髪は、子育てに邪魔だ。
四の村で『癒しの巫女』として大活躍の彼女は、サリサが望んだように霊山を去って幸せを掴んでいた。
「呼びたててしまって申し訳ありません」
呼びたてる場所として、食堂というのはおかしいだろう。だが、ミキアはにこにこしていた。
「おなつかしゅうございます。サリサ・メル様」
霊山にいるときよりも、ミキアはずっと綺麗になっていた。
だが、彼女は並み居る求婚者を軽くあしらっていると聞く。
「それは、そうです。私、サリサ様のことが忘れられませんもの」
いたずらっぽく笑う顔には、かつての壮絶さは見られない。でもどこかで、もう無理だということを納得している態度だ。
だから、サリサもミキアとは気が合ったのだろう。
一緒に過ごして嫌な気がしなかった。
でも、さすがに今回のミキアの申し入れには、サリサは驚いたものだった。
「あなたとサラの仲だから……まさか、あなたがルカスを引き取るなんて言い出すとは思いませんでした」
ミキアは懐かしそうに辺りを眺め回した。
「ものすごく腹を立てていましたし、サラのことを憎んでいましたよ。本気で……。でも、今から思えば、楽しかったのかも知れません。私にとっては」
突然、ミキアがサリサの足を蹴っ飛ばした。サリサが驚くとミキアが笑う。
「だって、ほら、こうして。サラと私は毎朝のように蹴っ飛ばしあっていたんですのよ。どうやってあの人をやり込めるかを、毎日考えていましたの。今から思うと……青春だったかも?」
サリサは足を撫でて言った。
「い、痛い青春ですね」
「そう、痛い青春でしたわ」
四の村と五の村は近い。
帰るべき巫女姫が帰らず、川に落ちて非業の死を遂げた話は、あっという間にミキアの耳にも入ってきた。
その時にミキアが感じたことは、してやったりでも何もない。「かわいそうに」だったという。
「霊山を降りるとき、サリサ様は見送ってくれませんでしたね。それって、霊山の伝統ですけれども私は悲しかったのです。とても気が合ったと思っていたのに……やはり、巫女姫は巫女姫でしかないのだと知って……」
心苦しい。
伝統などではなく、落ち込んでいて送る気にもなれなかったのだ。ただ、誰にでもいい態度をとってしまう自分が嫌で。
「でも、今から思えば、理に叶っているんです。私、おかげさまでサリサ様のこと、早くに諦めがつきましたもの。今でも好きですけれど、今は、サリサ様を忘れさせてくれる素敵な人が現れないかなぁ……と思っていますもの」
その言葉に、やはりミキアも傷つけたのだ……とつくづく思う。
もっと、最高神官らしく振舞えば、このようなことはなかったのだと反省する。
すべては……間違っていたのだろうか?
マサ・メルと同様、心を捨てなければいけないのだろうか?
「私は、ほら、負けず嫌いでしょ? 不幸になるのは嫌だったの。だから、霊山を降りるときに、もうすべてを捨ててしまえ! と思ったの。でも、きっとサラにはできなかったのよね」
サラにとって、霊山はすべて。最高神官はすべてだったのだ。
ミキアのように切り替えることはできない。
「だから、サラをかわいそうだと思ったの」
リュシュがビィビィ泣かせながら、ルカスを連れてきた。
ミキアが受け取ったあとも、ルカスは泣き止まなかった。ミキアはよしよしあやすのかとおもったら……。
「静かにおし!」
いきなり一喝。それにはサリサもリュシュも驚いた。
いい顔をして、この継母は子供いじめするのでは? とすら思った。
が、当のミキアはにっこりした。
「きっとサラの性格ならば、こんな感じで泣き止ましていたと思うのよ」
案の定、子供はぴたっと泣き止んだ。
さすが、敵をよく知っている。
「ミキア……あなたにも、申し訳ないことをしたと……」
「あら、いやだ。サリサ様。最高神官たる者、そう簡単に誰にでも頭をさげちゃあいけませんわ」
からり、とミキアは言った。
「私、たとえサリサ様がどのような態度をおとりになったとしても、きっと好きになったと思います。特別優しくされたとも思わないし、冷たくされたとも思いませんし」
そう言ってルカスを抱きしめながら、サリサを見つめるミキアの目には、何の偽りも見当たらなかった。
「サリサ様は、サリサ様らしい最高神官であっていただきたいです」
ルカスを連れて帰るミキアを、今度は見送った。
サリサは思う。
確かに、シェールもミキアもサラも同じように接していたと思っていた。でも、やはりサラを苦手としていたかも知れない。
自然に、避け気味になっていたかも知れない。
……怖かったのだ。
エリザだけを愛している身としては、サラの全身全霊をかけた愛が重すぎた。
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