リュシュと濡衣・4
かなりの坂道を、一気に駆け上がる。エリザの小屋まで。
こうしている間にも、エリザは毒をとり続け、子供を殺し続けているのかもしれないのだ。
今更かも知れない。遅すぎるのかも知れない。
でも、今日の一口がないだけで、子供は助かるかも知れない。
聖装よりもましとはいえ、最高神官の平装も動きにくいものだった。
サリサは落ち葉に足を滑らせて、思い切り転んだ。髪に枯葉が絡まってしまったが、それをとっている暇はない。
気が急いてたまらない。
サリサは必死になって、道なき道を急いだ。
ぜいぜいと息をしながら、小屋に駆け込む。ノックもなしである。
あまりの騒々しさに、医師が飛び出してきた。
最高神官の登場にしては、異例のものである。仕え人さえ連れていない。
「サ、サリサ・メル様? いったいどうしたのです? そのお姿は」
「エリザは?」
医師の言葉を無視して、つかつかと奥へと入る。
「あの、ベッドに。今、お食事中でして……」
言葉が終わらないうちに、サリサはエリザの部屋に入っていた。
いきなりの来客に、エリザのほうは驚いて匙を落としたところだった。
「舞米の粥? 食べたのですか?」
見たこともない乱れようで、いきなりツカツカと歩み寄られて、エリザはうろたえた。
「あ、あの……その、ごめんなさい。食欲がなくて食べられなくて……がんばります」
「がんばらなくていいです!」
「はあ?」
後ろから追いかけてきた医師とエリザの声が揃っていた。
ぽかんとしたままのエリザを残して部屋を出たサリサは、医師に事情を説明した。
知らないとはいえ、医者もリュシュもエリザに毒を盛っていた可能性があるのだ。
「ま、ま、ま、まさか!」
「しっ! それよりも、早く調べる必要があります」
そのようなことをエリザに聞かれてしまったら大変である。
「そういえば……腑に落ちることがたくさんありすぎて、怖いくらいです。あのそれと……」
医師は汗を拭いた。
「何か?」
「いいえ、何も……」
この医師は、時に物事をはっきり言わないところがある。
「とにかく、舞米も塩もライ麦もすべて、この家にあるものは調べましょう」
すでに小麦粉からは毒が出ている。
もしも長い間混入されていたとしたら……エリザもサリサもお茶のたびにお菓子を食べていたのだ。かなりの毒を取っていることになる。
思えば、かなり前に一度、お菓子に薬草臭さを感じたことがあった。
その頃からだとしたら?
ぞっとした。
「エリザの様子を見てきます」
「う、そのままですか?」
医師が奇妙なことを言う。
「何か問題が?」
「い、いえ、何も……」
エリザはベッドから降りていた。落としてしまった匙を拾おうとしている。
まだ、わかるほどにおなかが大きくなってはいないが、いかにも辛そうだった。サリサは慌てて駆け寄って拾ってあげた。
匙を手渡そうとすると……。
「あら? 枯葉が……」
ふと、エリザの手がサリサの髪に触れた。
転んだときに、たくさん枯葉がついて絡まってしまったのだ。
ちょうどサリサが膝をついた状態で、エリザがサリサの頭を見下ろす格好になっていた。
エリザは目を細めて、ひとつひとつ丁寧に枯葉を取り始めた。
「外はもう……晩秋なんですね……」
その言葉から、しばらくエリザは外に出ていないということがわかる。体調は良くなかったのだろう。
サラが死んでから一週間。
その間、サリサは一度もエリザに会いにこなかった。
結局は、リュシュと一緒なのだ。
信じ切ることができなかった。でも、信じたいから、疑わしき事実から目を伏せようとした。
その結果、エリザと子供の命を危機にさらし続けてきた。
――どこにいても守ると誓ったのに……。我が庭である霊山で危険にさらすなんて。
思わずそのまま腰に手を回し、エリザを抱きしめた。エリザと、その子供を……。
その勢いで、エリザの手の中の枯葉がひらひらと床に落ちた。
「……サリサ様?」
何も知らないエリザは、実に平穏だった。
ベッドによろけて腰を落としたものの、サリサの頭を抱き寄せてそのまま撫でていた。
「なんだか懐かしいです。子供の頃、お友だちと畑の周りで遊びまわっていたんです。村はずれにね、小麦の畑があって、落穂は拾って持ち帰ってもよかったの。楽しかった……」
エオルの部屋で見た小さなエリザを思い出す。
黄金に染まった麦畑を走り回る銀の影。落穂を拾う少女たちは、きっと笑顔だったことだろう。
「でも、
少し寂しそうにエリザは言った。
「私、まだ小さくて……。村で一番仲良くしていたお友だちが死んじゃって……。他の子も死んじゃって……。私、泣くしかできなかったんです」
ふと見上げると、エリザは微笑んだ。もうその悲しみは乗り越えているのだろう。
「その時、もうこんな悲しいことは嫌、って思ったんです。大好きな人たちが去ってゆくのは嫌。だから、癒しの力や薬草の知識が欲しかった……」
エリザは、子供を殺したくて薬草の知識を得たのではない。
救いたかったからだ。
なぜ、一度でも疑ったりしたのだろう?
サリサは恥ずかしくなった。
エリザの膝の上に頭を乗せて、愚かしい自分をあざ笑った。
ところが……。
「なんだか、懐かしい臭いだから……思い出しちゃった」
「え!」
慌てて頭を上げた。
そういえば……臭い。
リュシュのいた牢屋は臭かった。しかも、枯葉で滑って牧草地で転んだ。近くには、肥しが……。
気がつくと、とても抱きつけないほどに服も汚れている。
「あ、申し訳ありません!」
慌てて立ち上がった。
医師も人が悪い。ちゃんと肥し臭いと教えてくれればいいものを。
エリザは笑っている。
「その臭い、とっても懐かしくて嫌いじゃないんです。それに、何だか不思議ですね。サリサ様が、そのように慌てるなんて……」
顔から火が出そうだった。
エリザの前では、最高神官らしく振舞いたいサリサである。
だが、一緒にお茶をしたりすると、ついつい地が出てしまい、エリザにはいつも不思議そうにされていた。なのに、エリザのもつサリサの印象は、やはり常に立派な最高神官なのだ。
肥し臭いのは、やはり恥ずかしい。
その時だった。
仕え人たちが、エリザの家の穀物を調べるために、どやどやとやってきたのである。
医師と話をしながら、何やら運び出している様子が、窓から見えた。
「あら? 何事?」
エリザは珍しそうにその様子を見ていた。
突然、ばたばたとサラの仕え人とその仲間たちが部屋に押しかけてきた。
「突然で失礼いたします。サリサ様。ですが、納得がいきません! 巫女姫の仕え人の拘束を解くのはいかがかと思います」
「え?」
何も知らないエリザが、きょとんとしている。
「その話は……」
慌ててやめさせようとしたが、仕え人の目的は、エリザへの嫌がらせだったのかも知れない。
喧嘩別れしたとはいえ、この仕え人は長い間、サラに仕えていたのだ。いくら世を捨てた身の上といっても、サラが殺されたことに憤りを感じていて当然だろう。
しかも、一番怪しい張本人は、何も知らずに日々をのんびり過ごしているのだから……。
「サラ様は殺されたのです。まだ、エリザ様とその仕え人がサラ様とお子を毒殺しようとした疑いは、晴れて……」
奇妙なところで言葉が止まった。
それは、サリサの暗示によるものだった。しかし、少しだけ遅すぎた。
サリサの横で、エリザが真っ青になっていた。
「サラ様が……死?」
エリザの脳裏に、サラの悲鳴が戻ってきた瞬間――。
サリサの暗示はすっかり解けてしまった。
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