リュシュと濡衣
リュシュと濡衣・1
いいえ、サリサ様は、あの方の妄想の激しさに気がついてはいらっしゃらないのです。
時に、巨大な力を引き出すことにもなりましょうが、負に働くと恐ろしいことにもなりかねません。
あの方は、知らないうちに人を殺せる人ですわ。
「私が、そのようなことはさせません!」
サリサは目を覚ました。
寝苦しい日々が何日目だろう?
マール・ヴェールの祠でのフィニエルとの会話を思い出してしまった。あれは、マリが死にかけた事件の時だ。
ずっとエリザに仕えていたフィニエルの言葉……。
――あの方は、知らないうちに人を殺せる人ですわ。
エリザを信じてはいるけれど、彼女の思い込みの強さも事実。
サラとの確執の果てに、エリザをそこまで追い込んでいたとしたら?
「いや、エリザは……そのような人ではない」
サラのことを憎んだもしれないが、彼女は彼女なりにわかりあいたいと試みたではないか? それが、何の罪もない子供を……。
ありえない。
サリサは自分をいさめた。
サリサが信じなければ、エリザを信じて口を封じているリュシュがかわいそうだ。
リュシュは、もう七日間も岩屋の底の闇に拘束されている。
自分が口を開けば、エリザに疑いがかかると思って、知らぬ存ぜぬを通しているのだ。
リュシュの無実を知っているサリサには心苦しいことだった。
エリザが昏々と眠り続けている間に、サラの仕え人一同が小屋に押し掛け、ぽかんとしているリュシュを拘束した。そして、リュシュが菓子作りに使ったと思われる小麦粉と砂糖を回収した。
その両方から、たっぷりと毒が検出されてしまって、動かぬ証拠となったのだ。
――リュシュは、神官の子供を毒殺しようとした。
ムテでは、未遂であっても追放にあたる大罪となる。
時間通りに仕え人が来て、朝の祈りの準備をしてくれる。
「それで、毒の種類はわかったのですか?」
最高神官の仕え人は、元薬草の仕え人だった。この事件では、毒の解析・入手方法について、検証中である。
「お恥ずかしいことですが、思い当たるものがありません。特徴はつかめているのですが、私の知識が及ばないようで……」
薬草を極めている者にもわからない。実は、最高神官であるサリサにも見当がつかないのだ。
よほど珍しい特殊な毒に違いない。
毒性はあまり強くはない。
大人にはまったく影響がない。だが、未成熟で抵抗力が極めて弱いムテの赤子には、てきめんに影響を及ぼす種類らしい。
無色・無臭で味もなく、食べてもほとんど違和感がない。だから、ルカスは大量に摂取してしまったのだ。
「でも、サラ様に癒しの力があれば、戸棚に赤子を隠した程度のいたずらと同等で済んだものを……」
このような困った事件を、霊山にいる者はもみ消したがるものだ。仕え人は、苦々しく言った。
「ただの……いたずら気分で……というのが、動機ですか? だからといって、罪が軽くなるわけではありません」
サリサはため息をついた。
リュシュが何も言わないので、いよいよ彼女は不利になっている。でも、毒が特定できないので、犯人だとは確定できない。
確定してしまったら……。
リュシュはムテを追放される。追放されたら、メル・ロイである彼女はたちまち死に至る。
「サリサ様、早く真犯人を突き止めないと、大変なことになります。今や疑いはエリザ様にも及んでいます。リュシュのように薬草に知識がない者が、この珍しい毒を扱えるはずがないと、誰しもが思い始めています。リュシュに毒入り菓子を作らせたのは、エリザ様だと」
エリザならば、薬草と癒しには秀でている。
毒になる物の存在にも詳しいはず……。リュシュが知らないうちに、彼女が毒を混入したのでは? という推測があってもおかしくはない。
エリザに迫りつつある仕え人たちの推理に、サリサは冷や汗をかいた。
「あの人が犯人であるはずがありません」
その言葉を、サラが死んでから何度口にしているかわからない。
だが、思わず尋問してしまいそうな自分が怖くて、あの日以来、サリサはエリザに会いにいけないでいる。
エリザは日々ぼうっと過ごしていた。
サリサの強い暗示により、丸一日目覚めなかったエリザだが、その後は穏やかな日々を過ごしている。
一番渦中の存在でありながら、神官の子を宿しているという大事な体ゆえに尋問どころか、この騒動すら知らされていなかった。霊山で一番平和に過ごしている皮肉な立場であった。
「リュシュはどうしているのかしら?」
「忙しくしているみたいですよ」
突然、担当が変更になったことも、本当の理由は明かされていない。今、エリザの仕え人は、なんと医師の者だった。
エリザが小屋から引っ越さないという理由で、仕え人と医師をかねる……という建前である。
どうも調子が出なくて困ってしまう。
医師を嫌っているわけではない。
だが、医師は今は性別など意味がないとはいえ、男である。エリザにとっては、リュシュやフィニエルほど気軽になれない相手である。
それと、リュシュのお菓子がなくなったせいか、最高神官もしばらく尋ねてこなかった。
最後にサリサと何を話したのか、エリザはなぜか覚えていない。
嫌なことがあると忘れてしまうよう自己暗示をかける癖が出てしまったらしい。
サリサとまともに口をきけるようになってから、その癖は出なくなり、しかも過去に忘れ去っていたことも徐々に思い出し始めていたのに。
――よっぽど、嫌なこと?
気になる。
だから、サリサが訪ねてこないことに、余計に悲しくなった。
丸々一週間だ。以前ならば、ほぼ毎日、どのような短時間であってもお昼には顔を出していたのに。
――私ごときを相手にする人じゃないのに。勘違いしてはいけないわ。
今更、それを自分に言い聞かせなければならないなんて、甘いにもほどがある。
エリザはため息をついた。
「エリザ様、また舞米の粥を残しましたね?」
医師ががっかりと器を覗き込む。
「ごめんなさい。食欲がなくて……それに……」
リュシュの時より美味しくない。
何か変な味がする……とは、さすがに悪くて言えなかった。
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