サラと毒・4
その言葉を口にしたとたん。
サリサは、また以前のようにエリザがいなくなってしまうのでは? と思えてきて、不安になってしまった。
しかし、エリザはサリサ以上に不安気な顔をして。
「それは……私は特別至らないですけれど……」
と、的外れな返事を返しただけだった。
悶々と悩み続けて、やっと気持ちを伝えようとしたのに、どうしてこうもトンチンカンなのだろう? ムテとは思えないズレ方である。
いや、ムテだからかも知れない。エリザは、サリサの気持ちなどわかりたくないのだ。だから、はじめから『最高神官には特別な感情がない』と決めつけている。
――困った。
無理矢理その誤解を解こうとしたら、また記憶喪失になってしまうかも知れない。
いったいどうしたら気持ちが伝えられるのだろう?
つい眉間に皺を寄せて考え込んでしまった。再び長い沈黙が続いた。
その思考を断ち切ったのは、エリザの籠ったような不安気な声だった。
「至らないのはわかりますけれど、そのように責めないでください。特別になどしないでください。私、がんばりますから……」
気がつくと、エリザは毛布で顔を覆っていた。
サリサの困惑は、そのままエリザへの不満と取られてしまったのだ。
「がんばりますから……期待に応えるようがんばりますから、今は一人にしてください」
――がんばる、がんばる、がんばる。
声にならない声でエリザが唱えている。
どうして一人きりにできるだろうか? サリサは困惑しつつも、ベッドの上に体を置いた。
毛布の上からなぞるようにエリザの頬のあたりに触れる。まるで、金属のようにカチカチに感じる。
「そうでは……ないのです。そうじゃなくて……」
どうしたら、力を抜いてもらえるのだろう? サリサには、もう手がないようにも思えた。
フィニエルの声が一瞬脳裏に響いた。
――エリザ様だけのあなたになれないならば、けして見返りを期待してはなりません。
やはり、気持ちなど伝えなくてもいい。見返りを求めないほうがいいのだ。
そう思うと、切なくなる。
「蜜の村で、出会えればよかった……」
自分でも驚くような言葉が、自然と出てきてしまった。
ふっとサリサの脳裏に、エリザを帰すつもりで訪れた風景が浮かんだのだ。
あの旅路で、何度無駄なことを考えたことだろう。思い出してしまった。
毛布が少しだけずれた。
懐かしい故郷の名を耳にして、エリザが毛布から顔を出したのだ。
「なぜ? 私の故郷を?」
……ダメ。
知っちゃダメ……。
不安気な目は、そう語っていた。
でも、同時に故郷の名は、エリザの心を少しだけ融かしてくれたのだ。
「蜜の村は、冬なのに甘い花の香りがするところでした。あなたが帰りたくて当然です。私も住んでみたいと思いました」
サリサは少しほっとした。
今までかつて蜜の村には、サリサどころか歴代の最高神官の誰一人も訪れたという記録がない。不思議がられて当然だった。
「どうして私の故郷を?」
エリザの声は不安気なままだったが、やや青白い頬までが毛布の下から顔をのぞかせた。
サリサはベッドの上で半身になり、添い寝するようにエリザと並んだ。
霊山で懐かしい故郷の話をするものはいない。エリザはもう六年近くも郷を離れている。故郷の思い出に飢えているのだ。
「春も夏も秋も……行ってみたいところです」
サリサが語れば語るほど、エリザの瞳は輝いていくようだ。
少し妬けてくる。やはり、故郷には敵わないのかもしれない……。そう思った。
「サリサ様は、ご存じないはず……」
三度目にエリザが疑問を投げかけた時、サリサは目を伏せた。
「ただの……夢です」
――やはり、ずっといっしょにいて欲しいなんて、言えない。
サリサはそのままエリザの上に体を置いて、そっと抱きしめた。
ふわりと銀の髪がエリザを包み込む。
こうして自分の手の中にいる日を、できるだけ大事に過ごそう……。
そうサリサが思った時だった。
耳元で声が響いた。
「……夢見でそこまでわかるなんて……すごいです」
すっかり驚嘆したエリザの、ため息まじりの声だった。
エリザは、サリサの存在すら認めない。
このままでは、いつまでたっても最高神官はエリザの中で神以外の何者でもない。
サリサという個であるムテ人の存在はないのだ。
それと忘れ去られていることと、いったいどれくらいの差があるのか?
結局、同じことだ。
――嫌だ!
「夢見ではなく願望です」
「え?」
素直に疑問の声があがった。
かちかちに凝り固まっていたエリザの心が、故郷の話で緩んでいたのだ。
サリサは身を起こした。
その瞬間、銀の瞳と瞳がぴったりと合わさった。
「願っても叶わないけれど、願わずにはいられない。だから、夢です」
逃げられないよう……毛布の下に逃げ込まれないよう、サリサはエリザの頬を両手で包み込んでいた。
そう。
いくら自分を制しようとしても、放したくないものは放したくない。
この手の中にあるものを、むざむざなくしたくはない。
「私がこんな夢を語るのは……わがままですか?」
わがままとは、己を捨てた最高神官には実に似合わない言葉である。
エリザの目が大きく見開かれた。
「たとえば……木漏れ日の中、家族と過ごす日々の中で、あなたと出会いたかった。そうであれば、あなたを苦しめることなく、もっと素直にひとつ心を分かち合えたはずなのに……」
最高神官がそんなことを言うはずがない――エリザが思っていることはわかっている。
でも、サリサはその瞬間だけでも、エリザの前で最高神官でありたくはなかった。
「いっそのこと、あなたとここを逃げ出したかった。責任も使命も何もかも捨てて、ただ、ごく平凡なムテ人として生きられたら……」
それは、かつてサリサがエリザに打ち明けようと、一度は覚悟した計画だ。
「そ……そんな……だめです」
「そう、そんなことを思うなんて、一生懸命がんばっているあなたに対して恥ずかしいと思う。でも……それならどうしたらいいのか、教えてください」
最高神官であり続けるとしたら?
巫女姫としての仕事を終えたら?
「私は、いったいどうしたらあなたを失わずにすむのですか?」
「そんなの……夢です」
無機質な声だった。
はっと気がついた時には、もうどうしようもなかった。
サリサの手の中で、エリザの頬が冷たくなっていった。
その手の感覚。そして、虚ろな瞳。
エリザが手からすり抜けていく。体だけを残して。
ここしばらくなかった、あの消滅だ。
知りたくない話題から、また逃げ出されてしまったのだ。
「エリザ? エリザ!」
エリザは反応しない。
それどころか、ますます顔から色が無くなっていった。
まさに死んでゆくように。
――幸せな夢は幸せなまま、妄想は妄想のまま、それで去らせてもらいたい。
もう、辛い思いは嫌だ。
祈り所の夜の思い出がサリサを捕まえた。
あれだけフィニエルに言われていたのに……追いつめてしまった。
サリサは告白を悔やんだ。
やはり違うのだ。
忘れ去られることと、存在を認められないことと。存在が消えて無くなってしまうのは。
たとえ、忘れられても認められなくても、エリザがどこかで幸せに生きていてくれれば、それで報われたと思うべきだったのに。
「呼び戻さなくては……」
サリサは意識を集中させた。が、あまりに動揺が激しくて集中できない。
とても、呼び戻せそうにない。
半狂乱になって、サリサは何度もエリザの名を呼んだ。
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