サラと毒・3


 エリザはすっかり寝込んでいた。

 休み休み帰ってきたが、最後はほとんどリュシュに担ぎ込まれたようなものだった。

 もうサラのことは考えないようにしよう……そう思っても、心に響いて離れない。

『偽善者』

 必死に目をつぶってきたものを、あからさまにされたような気がする。

 自分の中で、違うといい続けているのに、心臓の鼓動が収まらないのだ。

『ひとつ心をどうやって二人でわけるって言うのよ?』

 最高神官には、ひとつ心もないのだ……と思おうとして、何か大きな矛盾を感じる。

『最高神官のために生まれてきた』


 ……いけない。

 これ以上考えていたら、体に障るわ……。


 サラの呪詛が怖かった。

 それでも同類哀れむ気持ちが強くて、わかりあおうと思っていた。

 いや、サラとわかりあえさえすれば、エリザは邪心のないきれいな存在でいられたはずなのだ。清く正しく巫女姫を全うする自分でいられたはず。

 だが、今は……。

 考えれば考えるほど、彼女の気持ちをわかってはいけない――という気持ちが強くなる。

 サラの気持ちを理解したら、エリザはきっと生きてはいけない。

 目をつぶり、見ないようにしなければならない。


 ――私に邪心なんてない……。

 もう捨て去って忘れたわ。そんな妄想は。



「エリザ様、サリサ様がお見舞いに来ました」

 突然のリュシュの声に、エリザはぎくりとして、体を起こした。

 今の闇のように深く暗い気持ちで、会いたくはなかった。

 あの銀色の瞳は、きっとエリザが混乱していて気がつかない穢れた部分さえ、見抜いてしまう。

 だから、エリザは最高神官に会うと、安らぎながらも不安になるのだ。エリザが必死に振り切って忘れ去った何かが、蘇ってくるような気がして。

 慌ててエリザは嘘をついた。

「あの……調子が悪いので、今日は……」

 しかし、その嘘を見抜いたのか、それとも本気にしたのか、リュシュは大きな声を上げた。

「やっぱり無理をしたのですよ! 私、これから医師を呼びにいきますから! ちゃんとお休みになっていてくださいね」

 そして、扉口にもう来ているその人に、とんでもないお願いをしてしまうのだ。

「サリサ様、恐れ入りますが、エリザ様を見ていていただけますか? 私、ひとっ走りしてきますから」

 これでは、最高神官と二人きりになってしまう。エリザはますます慌てた。

「あ、リュシュ! そこまではひどくない!」

 だが、もう遅かったのだ。

 その人は戸口からすっと入ってきて、起き上がろうとしたエリザを、肩に手を当てゆっくりとベッドに横たえる。

 心配そうにゆがめられる顔に、エリザはますます苦くなる。

 なぜ、嘘を言って心配させる必要があったのだろう? と、自分が情けなくなるほどに。

 そのうえ、本来は使うべきではない癒しの力が、明らかにエリザに向かって働いていた。

「無理をしてはいけません」

「ご、ごめんなさい……」 

 こうなってしまっては、今更嘘だとはいえない。

 罪悪感を抱きながらも、エリザはサリサに従って休むしかないのだ。

「……やはり、そうするべきなのでしょうね……」

 ふと漏れたサリサの独り言。

「え?」

 言いにくそうに、でも微笑を持ってサリサは提案した。

「ここは、あなたを看るには遠すぎるのです。医師から、あなたはサラの小屋に引っ越すべきだと、言われたのです」

 エリザの脳裏に、サラの複雑な瞳の色が浮かび上がる。エリザを憎んでいるあの目だ。

「い、嫌! 嫌です! 絶対に!」

 思わず興奮して叫んでしまった。


 ――最高神官のために生まれてきた――

 そう言い放つ女の気が残っている場所なんて……。


「サリサ様……。お願いです。この場所にいさせてください。安静にします。もう、お菓子も作りません。本を読むのも障るなら読まない。ですから……」

 必死の懇願にも関わらず、最高神官のほうはちょっと困った顔で首を横に振った。

「あなたと、あなたのおなかの子供が心配なのです。ここは、あまりにも医師からも癒しからも、私からも遠すぎますから……」

 言われていることはわかる。

 わがままだということもわかる。

 でも、サラが出て行ったばかりの場所に、待っていましたとばかりに住むのは嫌だ。気が狂ってしまう。

「……あそこだけは、嫌……」

 困らせてはいけないのに、涙が出てきてしまった。

 エリザは両手で顔を覆った。

「では……」

 しばらくの沈黙のあと、サリサの声が響いた。

「巫女姫の母屋に越しましょう。あそこならば、あなたも住み慣れていますし、気持ちも落ち着くでしょう」

 エリザは、顔から手を外した。

「でも……それって……」

「それも嫌なら、別のもっと近い場所に、小屋をすぐに建てさせます。あなたがもっと落ち着ける場所に」

 それこそわがままで許されないことだろう。

 エリザは驚いて目を丸くした。涙も止まった。

「そんな……」

「あなたと子供が大事だから」

 その気持ちはわかる。

 神官の子供は、サリサとエリザだけのものではない。ムテの希望となる存在なのだから。大事であるのが当然の存在なのだから。

 でも、それは今までの巫女と神官の子供にも言えることだ。

「私だけ、そのような特別なことを許されるなんて、ダメです!」

 エリザは思わず大きな目で見つめたまま、サリサに向かって叫んでいた。

 すぐに何か反応するか……と思った最高神官のほうは、そのままじっとエリザを見つめていた。

 あまりにも沈黙が続いたので、エリザのほうが気後れしたほどだった。

 でも、ついに意を決したのか、サリサは口を開いた。

「あなただけ……特別なのです」

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