エリザと焼き菓子・4


 エリザは料理に自信があった。

 お菓子だって、郷にいたときはよく作ったものだ。

 少なくても、へたくそな祈り言葉や暗示をかけることなどよりも、ずっとはるかに自信があった。

 が……。どうもリュシュがあみ出した凝ったお菓子には、その自信も尽きてしまいそうだった。

 何といっても難しいのは、石窯に火を入れて焼き上げるのだが、その火加減である。リュシュがやると見事なタイミングなのだが、エリザがやるとどうも失敗する。

 だから、休養期間で充分な時間が取れるサリサが、いつもよりも早めに小屋に姿を現した時……事態は最悪だった。


「あれ? 焦げ臭い……」

 が、小屋の近くまで来た最高神官の一言目だった。

 霊山の炭焼小屋では、冬に備えている。だが、ここまでは煙も上がってこないだろうし、だいたい臭いが違う。

 気のせいか? と思って小屋に向かうと、いきなり窓が開け放たれた。

 この寒空に窓を全開? と、思っていたら、大きな銀色の瞳と見事なまでに目があった。

 換気のために慌てて窓を開けたエリザは、悲鳴を上げて窓を閉めてしまった。

 何事かと思って、サリサが小屋の入り口に向い、扉を開けようとしても……開かない。

 耳を澄ませば、中からリュシュとエリザの小声が聞こえてくる。


「エリザ様! 最高神官を追い返すなんて、それはまずいです!」

「ダメダメ! 絶対にダメ! なぜ、あの方、今日に限ってこんなに早く……」

「とはいえ、待たせるなんて!」

「ねぇ、留守ってことにしましょうよ! 留守ってことに!」

 かなりもめている声。

「そんな、目が合ってしまったのでしたら、無理に決まっているじゃないですか!」

「そこのところ、お願い! 留守にして!」

「私が留守だと思っても、サリサ様はそう思いませんからダメです!」

「ああ、リュシュ、どうしましょう?」

「どうしましょうって、こう……」

 ガシャンと音が響く。

「わーダメダメ! 開けちゃだめ!」


 ……どうも避けられているらしい。


 祈りの儀式後の休養期間を、一緒に過ごしたいなどとは言っていなかった。だから、仕方がない。だいたい、最高神官という肩書きの気の張る人物と常に一緒にいるというのも、体に障る可能性がある。

 意外に気の小さいサリサは、考えうる事情を想像して、ガックリ落ち込んだ。

 でも……エリザが元気そうなので安心した。

 すごすご帰りかけたその時。

 ばっと、扉が開いた。

「いらっしゃいませ! サリサ・メル様。ですが、半刻ほどお時間をください。まずは換気をしたいのでございます!」

 現れたリュシュは、口の周りにタオルを巻いている。そして、リュシュの背後から、もくもくもく……と煙が出てきた。



 煙に追われて家の外、芝生の上にエリザとサリサは避難していた。

 人の悪い最高神官は、涙を流しながらくすくす笑った。

「そこまで笑う必要はないと思います」

 その隣でエリザのほうは、煙のために涙を流しながら、うつむいていた。

「安静にしているのかと思えば。いったいどういう風の吹き回しですか? お菓子作りなんて」

「そ、それは! サリサ様にでも秘密です!」

 エリザは頬を染めた。

「この分ですと、私が毒味させていただくまでには、かなり時間がかかりそうですねぇ」

「どどど、毒なんて入れません!」

 サリサは再び笑い出した。

 エリザは、時に真面目すぎるのだ。

 その健気さが……たまらなくかわいい。


 小屋中の窓という窓、扉という扉が開け放たれ、リュシュが必死に仰いで煙を追い払っていた。

 天井裏から声がする。

「あーあ、もう。小麦粉が全部無駄になっちゃいました。エリザ様ぁ、もうお菓子は諦めましょう」

「い、嫌です! が、がんばります」

 エリザは、叫んでこほこほと咳をした。寒いからではなく、煙が喉にしみていたのだ。

「はいはい、じゃあ、明日、小麦と舞米を運んできてもらわなきゃ……」

 と、リュシュはため息を付きながら、屋根裏の窓から身を乗り出した。

「サリサ様ぁ! エリザ様を冷やさないように……あ、不要でしたね」

 リュシュは失敗したとばかりに窓から顔を引っ込めた。


 時はもう秋。外は寒い。

 でも、休養中の最高神官が身に着けてきたマントは、ムテでは珍しい羊毛製の厚手の物だった。

 そのマントで包み込むようにして、背中からしっかりと抱いていれば、煙がすっかりなくなるまで、外でも寒さも感じないですむだろう。

 小屋の向うの木立の落ち葉が、風に煽られて二人の頭上でくるりと舞った。

「寒くないように……」

 といういいわけじみたサリサの声を耳元で聞いて、エリザは耳まで赤くなっていた。

 ここまで体を近づけたのは、久しぶりかも知れない。

 あの夜以来かもしれない。

 マントのフードの中からあふれて風に踊る髪が、時々エリザの髪と一緒になる。


 ――絡み合う髪、絡み合う肢体、絡み合う吐息。


 この手やこの唇は、あの夜、エリザを愛撫し続けたのだ。そしてエリザも唇を重ね、胸にすがった。

 なぜか信じられなかった。

 それほど昔のことではないはずなのに、エリザははるか過去で夢だった……と思い始めていた。ただ、おなかにいる存在だけが、夢じゃなかったよ……と、教えてくれる。

 ぴったりと寄り添われて、ドキドキする。寒いどころか、体が沸騰するほどに熱くなってきて、恥ずかしかった。

 リュシュの「もう大丈夫」という声が待ち遠しかった。

 その声が二度とないのでは? などと思うと、ものすごい不安に感じる。

 温かな心地よさに安らぎながら、どこかで底知れぬ不安におののく自分がいるのだった。

 やがてリュシュの声がして、エリザはほっとした。

 小屋の中へと入ってゆく。サリサに肩を抱かれつつ、エリザは戸口で一度振り向いた。

 葉がなくなった木立の黒い影に、なんとなく不安を感じた。

 でも、一瞬。ぷるっと震えて、小屋の中に入ってゆく。

 木立の中、黒いマントを羽織っている女の姿までは、見ることはなかった。



 サラは、木立になっていた。

 木立のように動くこともなく、ただ二人の一部始終を見ていたのだった。

 これが……同じように愛しているということだろうか?

 笑えてしまう。

 誰も愛さないということだろうか? 

 滑稽だ。

 笑いも通り越して、涙も声も出ない。心も虚ろで凍りつく。

 花も実も、そして葉も枯れ落ちた。

 まさに、そのような木立となって、サラは二人を見つめていた。

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