サラと石臼・2
子供ができた巫女姫というのは、隠遁生活するものだと聞いていた。
正式にはもう巫女姫ではなく、まだ癒しの巫女でもない。人目を忍んで子育てにいそしむべき存在である。
なのに、最高神官はよくミキアと子供と三人で親子団欒の時を持った。
巫女姫であるサラこそが、母屋の主であるべきなのに。
自分だけが、愛されていない……そう思えてきて、サラはますます苦しんだ。
ある日、三人で食事をしているちょっとした合間、ミキアの子供と二人きりになった。
この子さえいなければ、サリサ様はミキアなんかと遊ばないだろう。そう思えてくると、子供が憎くてたまらなかった。
だいたい。
最高神官となるべき子供は、サラが産むべきなのだ。そのために、サラは生まれ、育てられた存在なのだから。
――ミキアの娘になんか、あの人の血を奪われてたまるものか……。
サラは子供を抱きしめると、泣き叫ぼうとするところを暗示で押さえつけ、走りさった。
そして、母屋の道具置き場にある戸棚の一番奥に、赤子を押し込んだ。誰も気がつかなくたってかまわない。それで死んだってかまわない。
それがこの子供の運命だ。
だって……。
――翌年、私が子供を産めばそれですむことですもの。
サラはその日、霊山に上がってから一番気持ちのいい一日を送ることができた。
残念ながら、夕方までに子供は見つかってしまい、その後、ますますミキアとの壮絶な確執に身をおくことになってしまったが。
仲良くつきあえば、ミキアほど快い存在はなかった。だが、敵に回すとこれほど嫌な女もいない。
どのような嫌がらせをしても、ミキアは倍にして返してくる女だった。陰湿さはなくあからさまなのに、誰もが見て見ぬふり。サラの仕返しも倍になる。
日々、どのような方法でミキアに仕返しをするか? で、頭をひねる日々である。
そのような中、最高神官は、我関せず……の態度であったのだが。
祈りの儀式を境に、彼の態度は一転した。
ミキアとの争いが激しくなりすぎたためだろうか? 最高神官が二人との付き合いを拒否した時期がしばらく続く。
もうすでに山下りすることが決まっているミキアにとっては、問題がないかもしれない。だが、これから子供を作らねばならないサラにとっては、あまりにもつらい日々だった。
完全に避けられ、目もあわせてくれない。
夜ですら、触れあわない。
最高神官よりも強い血を持つ……と思い込んでいるサラにとって、泣いてすがって頭を下げて、懇願するのは屈辱だった。
サラの激しい気性は、そのまま激しい求愛行為となった。
「やめてください」
冷たく突き放す男に、しぶとく泣きながらすがりつき、訴えた。
「なぜ? それが使命ではありませんか!」
その時の、最高神官の苦悩に満ちた顔が、サラの脳裏に刻まれて離れることはない。
心は、確実にサラを拒絶している。
使命だから、彼はサラに触れるのだ。そして、サラに触れさせるのだ。
彼は、サラにひとつの口づけをすることもなく、心を許すこともなく、ただ、するべきことだけをした。
そして、驚くほどの短い時間でサラを置き去りにしていった。
ムテ人は、心で繋がる。これほど残酷な性交はない。
ただ、ゴミのように孤独で冷たい闇の海に捨てられたようなものだ。
心から……憎むことができたら。
サラは泣いた。
愛しているけれど、憎かった。
だが、その憎しみは……すべて、他の女に向いた。
春が来て、マヤという女が来た。
最高神官は、再び朝食にサラを誘うようになったが、サラは妊娠による体調不良が続き、母屋まで行く事はできなかった。
苛々と八つ当たりしたため、仕え人さえ離れていったのもこの頃である。
サラは、自分の顔を鏡で見た。
美しい銀色の巫女姫――だが、目の下には隈ができ、銀の瞳にはギラギラしたものが浮かんでいる。しかも、おなかが張ってきて重たい。
「こんな私なんか嫌いよ! 嫌い! 嫌い! 嫌い!」
鏡をすべて打ち割った。
手が血だらけになる。最高神官は、サラを癒してくれるだろうか? 痛々しいね……と言って、苦しそうな顔をしてくれるだろうか?
外に飛び出してみると……。
なぜか優しく微笑む最高神官と、はにかんだような笑顔の巫女姫があった。
間違いなく、サリサがマヤを見る目は、サラを見る時よりも優しかった。
どうして私だけ? サラは呆然とした。
自分が嫌いだった。
苛々して夜も眠れない。
昼は昼で、巫女姫マヤの美しい顔が気に食わない。優しそうにサラにまで微笑む笑顔には、どこか小ばかにした色がなかろうか? そう、このマヤという女の能力の高さは、尋常ではない。
最高神官の娘として生まれ育てられたサラにとって、耐え切れない女だった。
こんなに憎いのに、なぜこの女は、慈愛に満ちた笑顔を向けるのだろう? たまらない。
最高神官が話しかけてきても、それはついでだ。彼は、マヤと話したい。けれど、均衡を保とうとして、サラにもついでに話しかけるのだ。
憎くて憎くてたまらない。
ついに、サラは実力行使に出た。
巫女姫が最高神官の元へ行く夜、マヤを岩屋に閉じ込めた。仕え人を装って湯浴みを手伝い、無理やり湯船に押し込めて、もう少しで溺死させるところだったのだ。
仕え人たちが戸を破り、慌てて止めたが……。
「まさか、殺すわけはないでしょう? ちょっとふざけて遊んだだけですわ」
などと、サラはつらっとしていた。だが、マヤは殺気を充分に感じたのか、ぶるぶると震えていた。
精神的なショックから、その日の夜は取りやめになった。
サラは、とてもすっきりした気分になった。
最高神官も、あまりの事件に驚いている。
その表情が、サラは好きだった。
やっと、私を見てくれる……。
真剣な眼差しで。私の大好きな、痛々しそうな顔で。
無視されるよりも、憎まれるほうがまだマシ……。
もっと強く、もっと深く……私を見て。
その夜、サラの元にサリサが訪ねてきた。
このようなことは滅多にない。サラは喜んだ。が……仕え人まで連れてくるとは、邪魔である。
その邪魔な仕え人が、まず口を開いた。
「今夜の事件で、サリサ様がサラ様と直接お話がしたいとおっしゃっています」
堅苦しい言い方に、サラはイライラを募らせた。
「仕え人のくせに、えらそうなあなたが嫌い」
仕え人のきつい顔がぴくっと動いた。
この仕え人は最高神官と近すぎるのだ。そして、何かとサラを目の敵にしている。巫女姫時代に子供の一人も生めなかったというのにずうずうしい。
サラの殺気を感じてか、彼女は最高神官と目を合わせ、敬意を示して退席する。
「仕え人でさえ、あなたと心が通じていますこと!」
サラの棘ある言葉に、さすがの最高神官も怒りをあらわにした。
「サラ! いい加減にしなさい!」
もっと怒ればいい……と、サラは笑った。
怒っているときだけ、この人は私を見てくれるのだ。
私をまともに見てくれる。
美しい顔に苦悩が浮かぶ。それは私のため。
言い含めるときだけ、口を開く。その震える声も私のため。
「マヤへの態度を改めないと、あなたを霊山から追放します」
最高神官の一言で、急に目の前が暗くなった。サラの微笑みは止まった。
霊山から追放されると、サラは生きている目的のすべてを失ってしまう。
村の期待、生まれてきた意味、すべてが無になる。
「そうやって……あなたはマヤ様のためならば、私を犠牲にできるのですものね」
ぼろぼろと涙が出てきてしまう。
「そうではありません!」
少し困ったように眉をひそめて、サリサはサラを真直ぐに見つめる。
「サラ……悪かったと思います。あなたには、確かに冷たい態度を取ったこともあると反省しています」
さらり、と銀の髪が落ちる。サラはふっと気が遠くなる。
銀色の瞳に宿る憐憫。かつてのサラならば、それを愚弄と取ったかも知れない。
でも、哀れみであろうと、同情であろうと、憎しみであろうと、今のサラにはかまわなかった。
ただ、目の前にいる愛しい人の気持ちがこちらに向くのであれば。
――やっと、私を見てくれている。
「でも、誰も特別扱いしたことはないと思います。シェールもミキアもあなたもマヤも……。私にとっては、等しく大事な人です」
嘘つき。
サラを惹きつけてやまない苦悩の表情で、優しい男は嘘をつく。愛情も薄そうなその唇が、当たり障りのない言葉をつむぎ出す。
「私を一度も愛してくれたことはないくせに」
「誰に対しても、同じように愛を捧げたつもりです」
――私だけを愛してくれないならば、愛していないのと同じだわ……。
「私を追い出したいんでしょう?」
「まさか……です。ただ、仲良くしていただきたいだけです」
サラは、ちらりとサリサのほうを見つめた。
サリサの瞳は真直ぐにサラを見ていて、サラを心地よくさせる。
「では、約束に口づけして」
サラは目を閉じた。
少しだけ躊躇の時間があった。やがて、そっと抱きしめる腕の感覚。
しかし……唇の感触は、額だけに留まった。
――私以外の誰かが、いつも心に住んでいる――
その翌日から。
サラは石臼をひくようになった。
きし、きし、きし……。
石の間で挽かれてゆくのは、サラの心だろうか? それとも誰か別の人?
とりあえず。
眠れぬ夜に石をひけば、サラの心は落ちついた。
どこか、快感にもにた……恍惚とした気持ちになれて、サラはほっとする。
苦しい心の内を、誰か他の人に転嫁できるような。
……そのような気分になれた。
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