巫女姫の悲劇

サラと石臼

サラと石臼・1


 苦しくて眠れない……。

 サラは、苛々しながらベッドから体を起こした。

 真夜中である。

 季節は秋――風が強い。夕は晴れていたが、朝には雨が降り出すだろう。

 燭台に火を灯し、よろよろと起き上がる。

 隣の小さなベッドの赤子が母親の気を感じて泣き出すが、それすらも苛々を募らせるもとだ。

「お黙り!」

 小さな声でどやしつけると、それは暗示となって子供の気持ちを押さえ込む。

 少し心が痛む。けれど、赤子とはいえこのような暗示にすぐにかかるとは、もしかしたら能力が足りないのでは? などとさらに気分が重くなる。

 子供のルカスは、体も弱い。産む時も難産で、一時は息がなかった。

 神官になれない子供だったら、どうしよう……などと思うと、ますます気分が滅入ってくる。そして、これから別の女が産むだろう子供と比較してしまう。


 ――私のほうが優れている。


 だから、子供も……と、言い聞かせるのだが、もやもやした気分は晴れない。

 サラは部屋を出て、この小屋の地下にある倉庫に向かう。



 ミキアが建てさせたこの小屋には、本来仕え人も一緒に住むことになっていた。しかし、出産後のサラは子供と二人で住んでいた。

 それなりに仲良くやっていた仕え人と大喧嘩し、追い出してしまったのだ。彼女は、仕え人の控えに住み、早朝にサラのもとへ通ってきて世話をする。必要以外の話は一切しなくなった。

 つまり、サラの相手をする者は誰もいない。

 朝食時に最高神官がお付き合いしてくれるだけだ。だから、サラにとっての心の支えは、唯一彼だけだった。


「それなのに……なによ!」

 サラは憎い女の顔を思い出し、泣きそうなくらいに顔をしかめた。

 夜のたびに夢にあの女が出てきて、サラからすべてを奪ってゆくのだ。

 夢は常に闇の世界。

 サラはいつも泣き叫びながら、彼女を追いかけ、叩きのめし、首を絞めてやるのに、息の根を止めることができない。

 足は動かなくなるまで女を追いかけるのに。拳は切れて血を噴出し、殴れば殴るだけ、サラに痛みを伴わせるのに。手に確かに痙攣する首の感覚があり、サラを恐怖に陥れるのに。


 あの女は消えない。

 なぜならば、最高神官が彼女を癒してしまうから。


 悔しくて、辛くてたまらない。

 サラがもがけばもがくほど、あの女は幸せになり、彼は彼女のものになる。

 だから……サラは、眠れない。



 倉庫に灯りをつける。

 ここには本来子持ちの巫女姫が煮炊きする分の穀物などがあるはずだが、巫女姫の母屋まで食事に行くサラには不要だった。

 その代わり、サラが集めた薬草や薬石がある。中には、誰もが見向きもしないような、役立たずの草もあった。

 サラは、床の石を一つ外す。人知れず作った地下の保管庫から、その草を取り出す。サラにとっては特別な草だ。

 シュロ草――厚めで固い葉を持つが、見かけの立派さに比べて繊維が粗く、何の細工にも向かない。

 香りもない。味もしない。多少の虫除け作用があるとは言われているが、精製・熟成に時間がかかる上、もっと効果的なものがあるので、誰も利用しない。

 霊山にはこの草は少ない。どちらかというと、サラの出身地により多く自生している。

 いわば、雑草である。 

 だが、その草こそ、サラがこっそり集めているものだった。細かく切って干したものを石臼に移して、きこきこと挽く。草は細かい粉となって、あたりを漂う。

 それを集めなおし、再び石臼にかけてさらに細かくしてゆく。


 きこ、きこ、きこ……。


 苛々とした夜は、なぜかこの単純作業が心を落ち着けてくれるのだ。

 挽かれて細かな粒子になってゆく雑草。

 シュロ草は、まるで霊山にいるサラそのものだった。



 サラの出身は、五の村である。

 ムテでは、霊山に近い順から名前を一、二、三……と与えられ、五まで数えられる。三の村までは、最高神官が『祈りの儀式』を執り行う地区である。四、五までは、自然のままで霊山の力が及ぶ限界地区である。

 ムテでは、この五村を【霊山の村】として、神聖とする。

 しかし、実際は最高神官が朝夕に行う祈りのために、ムテにある百八の村の五十四までは、霊山の力が及ぶこととなる。四、五の村には、特に数字で呼ばれるほどの実質的な価値はない。

 ただ四の村からは、歴代巫女姫が多く出ている。出身者に力ある者が多いのだ。最近では、巫女姫ミキアが選ばれた。

 しかし、五の村には際立った名誉がない。

 元々、純血魔族種は、血筋の名誉を貴ぶもの。それは、ムテであっても同じである。この村の人々の焦燥感は、神聖な村とされているだけに大きかった。

 そのような村の強い後押しを受けて、巫女に選ばれた少女がサラであった。


 彼女は、極度の近親婚で生を受けていた。

 マサ・メルの娘を母に持ち、マサ・メル自身を父に持つ。つまり、親子の間に生まれた子供となる。

 通常、人間では考えられないような血筋であるが、劣性要素の強い魔族では人間ほどの弊害も少なく、血を守るために、このような近親婚は多々行われる。

 しかし、時として偏った能力や精神を持つ者が現れることは確かだ。サラが、ムテにしてはきつい性格を持つのは、そのせいかも知れない。

 当然、彼女は自分の血筋に自尊心を持っている。マサ・メルの血の量でいけば、最高神官サリサ・メルよりもずっと濃いのだから。

 最高神官まで見下すような傲慢な態度で霊山に来たサラだが、あっという間にサリサに恋をした。

 サラは、神官の娘ゆえに父親を知らない。

 だが、その能力の高さゆえに、サリサに父親であるマサ・メルの影を見た。サリサは稀に見る美貌の持ち主だが、何よりもマサ・メルに生き写しだった。

 切れ長の銀の瞳なのに温かみがあり、薄い桃色の唇からは優しい声が漏れた。細長く美しい指先でありながら手を取れば柔らかく、銀糸の髪でさえ時に邪魔そうにして微笑んだ。

 サラは、どれだけこの最高神官を愛したことだろう。だが、彼の気持ちがサラのものであったことはない。


 最初は、シェールには敵わないと思った。

 最高神官はまるで母親のように彼女を頼っていたし、すでに霊山の主導権は彼女のものだったといってもおかしくはなかった。

 サラはシェールに憧れさえ抱いた。そして、ミキアとは同類のように感じ、癒しあうような関係だった。

 そう、最初は仲良くできたのだが……。


「口づけされる瞬間が一番好きよ」

 何気ないミキアの一言で、サラはこの女が嫌いになった。

 やや負けず嫌いなところがあるミキアが、本当に最高神官の口づけを受けていたのかは疑問がある。だが、問題はそれではない。

 最高神官は、サラに口づけしたことがなかった。

 突然、サラの中に焦りが生じたのだ。

 他の女と彼は、一体どのようなことをしているのだろう? などと思うと、気が狂いそうになる自分に気がついたのである。

 誰もが自分と同じように扱われている。

 そう思っていたことで保たれていた気持ちが途切れてしまった。


 それ以来、サラは積極的に愛を求めるようになった。ミキアやシェールにしたと思われる口づけを求め、少しでも長く夜を過ごすことを望んだ。

 しかし、その結果得られたものは、けして自分には心を許して繋がろうとしない最高神官の態度だけだった。


 私を見て欲しいのに。

 私だけを見て欲しいのに……。



 サラの手には傷跡がある。

 ミキアが体調を崩したとき、サリサがお見舞いに行ったと聞き、悔しいと思った。だから、薬草を小さく切っている作業中に、わざと手を切ってみたのだ。

 怖かった。

 だが、最高神官が自らお見舞いに来てくれるとなれば……。

 目をつぶり、自分の手の上に刃物の突き立てた。

 ざくり……という感触にぞっとして目を開けると、思わず気が遠くなりかけた。

 傷は思ったよりも深く、サラの白い手を真っ赤に染めてしまった。だが、その痛みなど、心の痛みに比べれば快いものだった。

 案の定、サリサはお見舞いに来てくれた。

 そして……切ってしまった手を見て、痛々しいね……と、言ってくれた。

 その時のつらそうな顔が、たまらなく好きだった。

 サラを見て、痛々しそうな顔をする最高神官が……。

 最高神官は、寿命を余計に使う『癒し』を施さないことになっている。だが、彼はほんの少しだけ、サラの痛みが引くように癒してくれた。


 石臼を挽くと、この古傷が心地よく痛む。

 

 きし、きし、きし……。

 夜に音が響く。


 この霊山で安眠した夜はない。

 愛しても愛しても返ってこない相手の気持ちに涙して過ごした夜。

 他の女に嫉妬して眠れない夜。

 すべてを石臼でぎりぎりと挽いて、軋むような叫ぶような音を聞く。

 この悲鳴にもにたこすれた音だけが、サラの心を楽にしてゆくのだった。

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